No.12
道路は酷い状況だった。
植物園付近の惨状を見越して歩道を進んでいた私は、案の定パトカーや救急車で入り乱れた道路を見て息を呑んだ。既に噂を聞きつけたマスコミも飛んできている。
被害は市民にも及んだようだ。マスコミの人間の会話がこっちにも聞こえているし、それを耳に入れた野次馬達もあることないこと言い合っている。なるたけ目を付けられないように迂回して、私はその先を目指した。
車道は交通分離帯には珍しいことに渋滞ができあがっていたが、それとは対照的に歩道が空いていた。警察やらなんやらの目が届かなくなったところで私はギアを稼動させる。
昼前にフロウルと話していた時を思い出す。この道はその時に走っていた場所だ。この先に何があるのかは教えてくれなかったが、所長の言う廃工場なんだろうか。もしそうなら、フロウルと一緒に何かをやっているわけだ。そういえば、車で誰かを運んでいるとも言っていた。それがフロウルか? それとも別の誰かを?
あれこれ考えながら進んで行き、やがて廃工場とやらの姿が見えてきた。この辺り一帯は街からも大分離れ、周りには車も人も、建物の姿もあまり見かけない。近代都市の中で唯一時代に取り残されたみたいな所だ。
だんだんと目的地に近付くに連れて、何か様子がおかしいことに気付く。風が強い。私がエアを吹かしているせいじゃない。方向の定まらない風が忙しなく吹き抜けている。
「……やれやれ」
思わず首を振った。
複雑な気分だ。ノンフィクションを含めたって、ここまで非現実的な世界に身を置いている探偵はそう多くないだろう。SF染みた科学が作り出した人工生命体や、経緯不明の魔法使いの知り合いがいる。我ながら何か間違っている気がする。
――いや、確かに間違えたのだろう。どこかで、誰かが。
それは倉見根サユキかもしれない。もしくはサユキの先輩さんかもしれない。裏組織か政府かもしれないし、軍かもしれない。プロフェッサー・ジェラルド・ロボトニックかもしれない。或いは、彼の孫娘かもしれない。
そうやって元を辿って寛容な目で見れば、彼らがみな間違えてしまったのはある意味仕方のないことかもしれない。そもそも不老不死の研究なんかしなければ、ここまで話は大きくならなかった。なんて言ってしまえば、それはジェラルドの孫娘が病弱だったのが悪いということになるし、ジェラルドの孫想いが過ぎたと責めることにもなる。それはあまりにも酷い責任転換だ。
ただ、運が悪かっただけなんだ。
ジェラルドの孫娘が病弱だったのは仕方ない。それを治そうとしたジェラルドは何も悪くない。50年前の国際情勢からすれば政府や軍の判断もある意味自然なことだったのかもしれない。裏組織にその技術が渡ってしまうのも時間の問題だったろうし、サユキの先輩やサユキさんにも何か事情があったのかもしれない。そうした盛大な紆余曲折があって、いつの間にか私も巻き込まれていた。
果たして誰の運が悪かったんだろうか。こんなイカれた負の連鎖、本来ならどこかでとっくに止まっていたはずだ。
どうして止まらなかったんだろう。
どうして止められなかったんだろう。
昨今街を歩けば、平和ボケした連中が気軽に笑顔を振り撒いて歩いている。だけど裏の世界では、わざわざ苦痛に体を浸して生きている人達がいる。それ以上進めば取り返しのつかないところにまで行くものと知っているのに。
本当にその先に、あんたらの信じる幸せがあるっていうのか?
答える者のいない禅問答を、一際強い風が吹き飛ばした。気付けば廃工場は目の前だった。
思い切って敷地内に飛び込む。これが想像を絶するほど広く、メインの大きな工場を奥に構え、暗くてよくわからないが屋外にも倉庫や機械が散らばっている。工場というよりも要塞とか言われた方が納得できるくらいだ。
エアを止めて、手近な壁に張り付いた。不規則な感覚で吹く風に煽られながら耳を済ますと、強風の音に紛れて金属音のようなものが聞こえてくるのがわかる。テレビで聞いたことがあるような音だ。例えるなら、剣と剣がぶつかり合うような効果音。
いくらか迷って、音のする方へと移動していく。壁伝いに動いて、周囲を確認しながら慎重に。
「あっ」
漏れた声を咄嗟に抑えて、壁際から出した頭をすぐに引っ込めた。
いる。小さな人影が、一瞬見えただけでも四つ。二つは所長とシャドウさんだろう。もう二つは……敵。おそらくは人工チャオ。
熾烈を極める効果音が私の背中にも浴びせられているようで、嫌でも寒気がする。私は今、まさに命のやり取りが行われている場所に居合わせている。こんなとこに呼び出してどうしようっていうんだ。加勢しろとでも?
「――だあーっ、おっせーなユリの奴」
やっぱ待たれてるし。
「どうした、もう泣き言か」
「うるせーな、やり難いだけだ。変に騒ぎ起こせばGUNに見つかっちまうだろ」
そういえば、GUNには見つかりたくないって言ってたな。確かフロウルが噛んでる件だからか。
フロウルは不特定多数の裏組織とGUNに追われている。だからあえてGUNを呼び寄せ、裏組織の動きをなるたけ封じることを選んだ、ということになるのだろう。だが今こうして裏組織の人工チャオに目をつけられ、しかもGUNは街中に散らばっていてと裏目になっている状況なわけだ。ここまで面倒な状況を作っておいて、結局フロウルは何がしたいんだろう? その詰めの甘さに溜め息が漏れる。
さて、改めて状況を整理しよう。ついさっき聞こえた所長の言葉からすれば、おそらくは二人とも本調子ではない。付近を誰かが通りかかり、警察だのGUNだのの横槍が入るのを懸念している。幸か不幸か、警察達は植物園前で起きたイベントに夢中だ。市民もせっせと野次馬しにいっているに違いない。地図を風に飛ばされないように確認し、多分近くは誰も通らないだろうと半ば願いを込めるように判断した私は、意を決して所長に無線連絡を入れた。
『誰だこんな時に、ユリか?』
出てくれた。だがその隙を突かれたのか、再び激しい金属音が響き始める。強風も相俟って非常に通信しにくい状態だが、それでも私は声を抑えて情報を伝えた。
「私です。今、GUNは植物園前で起きた裏組織同士の抗争の後始末に追われている状態です。市民も大勢野次馬に行ってます」
『ああ? なんの話だよ?』
「今ならハメ外しても問題ないって言ってんですよ!」
『あーなるほどな。で、お前今どこにいんだよ? 近いんだろ?』
「え? いや別にまだ向かってる最中ですけど」
咄嗟に嘘を吐いた。このまま巻き込まれない方向で行ってくれればありがたい。
『嘘こけそんなタイムリーな報告しやがって、しかも風の音うるせえぞ』
やっぱ駄目でした。もうちょっと自分の身の安全を考えてから通信するんだった。
『まあいいや、ハメ外していいってんならすぐ終わらせられるだろ。ちょっと本気出すからお前は離れて――』
「避けろ!」
シャドウさんの声が聞こえたのは突然だった。目の前に何かが現れたのも突然だった。
腹を貫かれたと感じたのも、突然だった。
「邪魔だ」
激痛は一瞬のこと。体を支配するのは、今日だけでも何度も味わった悪寒だ。
閉じそうになる目を凝らして、目の前にいるそいつを見た。なんてことはない普通のノーマルチャオだったが、その手が鋭利な刃物になっていて、私を貫いたのもそいつの手だということがわかる。いつぞやに同じのを見たことがある。紛れも無く戦闘用に作られた人工チャオだ。
「なに、すんだ」
私を貫いている鋭利な手を、掴んだ。触っただけで手が斬れてしまったが、痛くはない。氷を触っているような感じだ。これはこれで手を離したくなるが、私はその手を離さない。虫けらでも見るような目をしていたそいつは、私の起こしたリアクションに多少は驚いたようだ。
「邪魔だ、と言っている」
そう言ってそいつは、もう片方の手で胸元を貫いた。悪寒は変わらないが、息がし辛いというかなんというか。
「なに、すんだ、って、言って」
もう片方の手も掴んでやると、いい気になっているそいつの顔が怪訝そうになった。代わりに私の方がしたり顔になる。
「貴様、何者――」
そいつは言葉を切って私に突き刺した鋭利な二の腕を引き抜いたが、その咄嗟の反応も空しくシャドウさんの持つ刀に後ろから斬り捨てられた。うつ伏せに倒れ、灰色の繭に包まれる。死んだのだ。あっさりと。
「呼んだところでどうしたものかと思ったが、役に立ってくれてよかった」
彼は軽く言ってくれたが、私といえば目の前で誰かが死んだという事実に――ほんの僅かな間だけど――囚われていた。フィクションほどじゃないけど、職業柄人の死には立ち会ったことはある。いつかに銃の引き金を同じ人工チャオに向けて引いたことだってある。だけどやっぱり、この言い知れない感情を素直に受け取ることができない。
そんなもやもやを、とんでもない強風が吹き飛ばした。今までのものよりも遥かに強烈で、比喩ではなく吹き飛ばされそうになる。身を屈めて踏ん張り風の吹いてくる方向を見遣ると、そこにはシャドウさんと同じような刀を手に悠然と歩を進める所長と、何やら地面に蹲っている敵がいた。信じ難いが、上から立ち上がることもままならない強風に押さえつけられている。
後は簡単な事だった。動けなくなった敵に対して、所長が上から刀で串刺しにしただけだ。まったく、誰がバケモノだ。死なないだけの私に比べれば、所長達の方が遥かに恐ろしいじゃないかよ。
「やっと終わった」
自らが作った灰色の繭を目の前に、所長は一仕事終えた顔をする。風はいつの間にかピタリと止んでいた。
「ユリが来た途端にこれだ。あんま実感ねえけど、助かった」
「……そうですか」
血交じりの溜め息を吐く。私がしたことは情報提供と的代わりだ。それで感謝されるなら安いような、全然安くないような。
何はともあれ凄く疲れたような気がして、手近な壁に背を預けてへたり込んだ。所長はといえば無線機を取り出して誰かと二言三言会話したように見えたが、耳を傾けなかった。