1話 でも、わたしの勝ち
「優志(ゆうじ)、宿題どんくらいやった?」
浩平(こうへい)がミンミとじゃれ合いながら聞いてきた。
ミンミは1週間前にヒーローチカラタイプに進化したばかりの緑色のチャオだ。
「あー俺、宿題はやらない派だから」
「宿題にやる派とかやらない派とかあるん!?」
ノリの良いツッコミを入れてくるのは巧(たくみ)。
「あれ、お前クーどうしたの」
「クーなら泳いでるよ。あっち」
と言って巧はガーデンの隅にある池を指さした。
「あいつ泳ぐの好きだから。今日はクーが勝つかんな」
クーは巧のチャオだ。確か小四の誕生日に買ってもらったやつだ。
俺たちのチャオの中では1番"高級"で、ツヤツヤ青。もうすぐ2歳になる。進化したのは去年の8月。今では立派なニュートラルオヨギタイプ。
「クーは泳ぎ上手いけど力があんまないからなあ。もっと力つけさせないとダメだろ」
「出たー、優志"先生"」
浩平がからかってくる。ウザいノリだ。
「うるせ」
俺の親はガーデンを経営している。チャオを預かったり孵化したタマゴを売ったりする。
あと、レース用のチャオを育てて大会に出させたりもする。
だから昔からチャオには結構詳しかった。
俺のチャオのブレードもレースで勝つために育てている。
赤色のチャオで、まだ進化はしてない。何せ1年前に転生したばかりなのだ。
でも頭の後ろに3本のトゲのようなものが生えてきてて、たぶんもう2週間もすれば"予定通り"ニュートラルハシリタイプに進化するんじゃないかなーって思う。
こてっ! と、目の前でブレードが転んだ。
「ブレードまた転んでる」
と巧。
「転生した後は体が小さくなるから転びやすくなるんだよ。そういうもんなの」
「了解でーす、優志"先生"!」
浩平のウザいノリは続いているみたいだった。
「その呼び方やめろって……」
「でもほんと"先生"って感じだよね! ブレードに走り方教えてる時もそんなオーラある!」
巧が褒めそやす。こういう時、巧は本当に素直だなあと思う。
"先生"というのはもっと小さい頃にガーデンで公開チャオ実習をやっていた時のあだ名だ。
……まあ、実習をしていたのは父さんと母さんで俺はただの手伝いだったんだけど。
その"先生"っていうのも父さんと母さんがからかい半分で言っていただけだ。
「ブレード」
転んで不貞腐れているブレードを呼ぶ。!と気付いたブレードが駆け寄ってくる。
足に触れる。チャオは怪我をすることが少ない。詳しい理屈はよく分からないが、そういう生き物らしい。
でも足の状態が悪い時はどのチャオにもあって、そういう時は稀に大怪我に繋がったりする。
「どう?」と浩平。
「大丈夫そう」
足の状態は悪くない、むしろ良いと言える。転んだのは最近走り方を変えた影響かもしれない。
「ブレード、スタート!」
俺がそう言うと、ブレードはクラウチングスタートの体勢に入る。ばっちりだ。
レース前に木の実をあげておく。ブレードはかぶりついた。昔からよく食べる子だ。
「あんまりミンミをいじめんなよなー」
浩平が泣き言を言う。ミンミはコドモチャオの時にレースに出たことがあって、その時の順位は最下位から2番目だった。
「お前がミンミをちゃんと育てないのが悪いんだろ」
「えー」
「えーじゃない」
「"先生"厳しいっすよお」
「"先生"でもない」
「あれ、巧は?」
「あっち」
池の方を指さしてみせる。
もうすぐ時間なので、巧はクーを迎えに行っていたのだった。でも何やら苦戦している様子だ。
渋々と言った様子でクーが池から上がるのが見えた。
巧がクーと一緒に戻ってくる。
「クー、機嫌直せよー」
クーは泳ぐのがとても大好きなので、遊んでいた途中に連れてこられてちょっと不機嫌みたいだ。
チャオと信頼関係を結ぶのは難しい、って父さんも母さんもよく言っている。
「チャー」
不機嫌である、ということをこれでもかというほどアピールしていた。
どうやらクーは飼い主に似なかったらしい。
チャオの性格はレースにおいても大事で、素直な性格の方が伸びが早い。
ブレードは素直ではないが……何というか、とても元気だ。
「あ、来たんじゃない?」
車の排気音が響いた。母さんの車が迎えに来たようだ。
俺たち3人はガーデンの出入り口に向かう。
母さんが車に寄り掛かって待っていた。
「優志の母ちゃんだ!」と巧。
「こんにちは、たっくん。クーちゃんも元気かなー?」
チャア、とかわいい鳴き声を聞かせるクー。母さんは昔からチャオによく懐かれる。
「ユウくん、ちゃんとブレードの体調管理したー?」
「大丈夫大丈夫。ばっちり」
「じゃあ行きましょうね。乗って乗って」
これから俺たちチャオブリーダークラブは市民大会に出場する。
チャオレースの市民大会……"和倉市ブリーダーズカップ"だ。
「行くぞ、ブレード」
声をかけると、ブレードはチャオ! と元気の良い声で返事をして駆け出した。
俺たちチャオブリーダークラブのメンバーは3人だ。
クラブっていうのは名ばかりで、俺たちが勝手にそう名乗っているだけなのだった。
「ねーおばさんまだー? あと何分くらいー?」
巧が車を運転している母さんに聞く。
ガーデンから市民大会の会場、和倉市民公園までは車で30分くらいだ。
「もうちょっとだからねー」
「今日何人くらい出るんだっけ?」
と浩平。
「わかんね。母さん、どんくらい出んの?」
「んー、20人くらいかなー」
「少なくない?」巧がぼやく。
「あはは。今はどこの市民大会もそんなもんよ。昔は100人くらいいたんだけどねー」
「へー」
母さんは結構明るく言っているけどそんなに気楽なもんじゃないってことを俺は知っていた。
元々チャオブームはもう4年前くらいに終わっていて、今はガーデンの経営も結構危ないって言われてる。
だから市民大会の出場者が少ないってことは、みんなチャオレースに興味がないっていうことで……それはうちの家計にとってのピンチってことでもあるのだ。
ってこの間父さんがお小遣いを減らされた時に言ってた。
「今日ってこの間出てたあの黒いチャオ来るの? クーより泳ぎが速かったやつ」浩平が聞く。
「レンか」
レン。和倉市では(個人的に)結構有名なチャオで、黒色のダークハシリタイプのチャオだ。
ブリーダーは進藤っていう中一の男子。1個上だけど見た目は結構ガキっぽい。俺より身長低いし。
「出るんじゃなーい? 進藤さん家、今日来るって言ってたし」
母さんが答える。
こんな感じで話しながら運転している時の母さんは実は結構危ない。道を間違えたり、バンパーを擦ったりする。だからちょっと心配だ。
「レンくらいだよね、ブレードに勝てるの」と巧。
「まあ今回も俺が勝つけどな」
「ユウくんはまた何言ってんの。レースするのはブレちゃんでしょ」
「育ててんのは俺なんだから勝ってんのも俺なんだよ」
「はいはい。あ、もう着くよー」
和倉市民公園は体育館も併設されている広い公園だ。
駐車場だけ無駄に広いことから、俺たちのクラスでは「人気がない方のディズニーランド」って呼ばれてる。
その二つ名の通りがらがらな駐車場――も今日は半分くらい埋まっていて、母さんはその隅っこあたりにさっと車を停めた。
「母さん疲れたから車で寝てるねー。あんたたちだけで行ってきて」
「オッケー」
「ありがとおばさん!」
「ありがとうございました」
「浩ちゃんは礼儀正しくて良い子ねー。たっくんも、ちゃーんと他の家では良い子にしないとダメよー?」
「わかってるよおばさん!」
浩平は俺たちの中では1番身長が大きくて体格もでかいし顔も怖いけど、すごい礼儀正しい。勉強もできる。
巧は見た目も行動もガキそのものだ。
「じゃあ行ってきまーす」
だけど車から降りれば、俺たち3人はもう一人前のチャオブリーダーだ。
受付に向かうとお姉さんが何人か座って待ってくれていた。
体育館前に臨時テントを張っていて、そこをチャオレースの受付とするのが通例だ。
「はい、じゃあここに名前書いてねー。チャオの健康チェックをするから、チャオも預からせてもらうね」
「お願いします」
大会の受付に座っているお姉さんにブレードを預ける。今日の受付担当は田中さんだ。
ブレードと大会に出るのはもう5回目だ。勝手知ったるというやつだ。
「チャオー!」
「あ、ブレードくーん、ブレードくん待って!」
ブレードは張り切って預けられて行った。ダッシュで健康診断ルームに向かって行った。
チャオは飼い主に似るというが、あいつのああいうところは巧っぽい。
「ブレードってほんと優志に似てるよなー」と巧。
「は? どこが?」
どっちかって言うとお前だろと言おうとして、
「人の話聞かないところ」
浩平に割り込まれる。
「分かる」
巧と浩平はいつになく連携が取れていた。
「お前ら今日のレースでぶっちぎってやるからな……」
「遅れてすみませーん!」
ブレードが健康診断ルームに入ったのを見届けた直後くらいに、やたら髪の長いやつが受付に駆け込んで行った。
白いチャオを連れている。ニュートラルハシリタイプ。
速そうだ、と思った。
「危なかったね、もう少しで受付終わっちゃうとこだったよ」
「ごめんなさい!」
「大丈夫だから、ゆっくりでいいからここに名前書いてね。健康診断はまだよね?」
「はい。ラフ、行っておいで」
「チャ」
白いチャオは返事をして引率されて行く。飼い主はそそっかしいが、礼儀正しいチャオだ。浩平似だな。
でもその確かな足取りを見た時、ラフと呼ばれたそのチャオがすごいスピードで駆け抜けるイメージがふっと湧いた。
「優志ー?」
「どした優志?」
「や、なんでも」
たぶんこのチャオはレースが"できる"。
だけど勝つのは俺だ。
俺たちは会場に向かった。
スタート地点に立ったブレードの隣にレンがいた。
レンは和倉市では常連の黒いチャオ。"クロヒョウ"のレン。
泳ぎが特別上手く、走るのもそこそこ速い。だけどそれだけだ。
"和倉市ブリーダーズカップ"のコースはいたって単純、市民公園をぐるっと1周する。
市民公園の泳ぎスポットは1つしかない。走りでブレードに勝てない限り、どうあったってブレードが勝つ。
「では、各チャオ位置についてー!」
審判員の合図でチャオが準備体勢に入る。ブレードはクラウチングスタートの構え。
「よーい」
ぐっとブレードの体が前に出る。
絶好調だ。
「行け、ブレード!」
「ドン!」
生まれてからずっと鍛え上げ、1ヶ月前に完成させたスタートダッシュは他のチャオとの差をぐんぐん広げる。
ブリーダーはシアタールームという個室に案内され、チャオとはマイクイヤホンで繋がっている。
ここからブレードに直接指示を出すことができる。
"予定通り"ブレードは快調の走り出しを決めた。市民公園の歩道を駆けて行く。
コドモチャオながら、走りでは誰もブレードに敵わない。そういうふうに育てたからだ。
次は第1コーナー"S字の橋"だ。池にかかるくねくねとした橋の上を走ることになる。
人にとっては小さな曲がり道も、チャオにとっては極めて大きなカーブになる。
ブレードはそのカーブを難なく曲がって行く。
転びそうな気配もない。
後方にはレンがくっ付いて来ていた。
でもその差は徐々に広まりつつある。
仕掛けるならここだ。
「ブレード、ダッシュ!」
大人のチャオになるともう少し細かい命令も聞き分けられるようになるが、転生後とはいえコドモチャオのブレードはまだ単純な命令しか聞き分けられない。
だから俺は"ダッシュ"の一言だけを徹底して教えた。
ブレードはギアを上げる。
レースは序盤。
序盤が大事になる。
中盤では多くのチャオが失速する。大抵のチャオはスタミナ作りをしていないから、序盤でスタミナ切れを起こすのだ。
だから序盤から中盤で差を広げる。
ブレードは第2ストレート"けやきの林道"を一気に駆け抜けた。
一方、レンは"けやきの林道"に入った直後、転んだ。
勝った。この差ならレンはもうブレードに追いつけない。
後続との差をどんどん広げつつブレードは泳ぎスポットにたどり着く。
ブレードの泳ぐスピードはそんなに速くない。でもこの差なら抜かれる心配もない。
泳ぎスポットを抜けて、ブレードは最後のストレート"いちょう広場"に辿り着いた。
ここまで来れば安心だ。
そう思って一息ついた瞬間、
白いチャオが後方から一気に差を詰めてきた。
「あのチャオ……!」
髪の長いあいつのチャオだ。
一目で速そうな印象を与えられたあのチャオ。
どれくらいのスピードが出ているんだろう。
もしかしたらブレードの倍くらいはあるかもしれない。
"いちょう広場"を駆ける白いハシリタイプのチャオ。
白いチャオが圧倒的優勢にあったブレードとの差を縮めて行く。
一歩ごとに確かに縮まる。
単純な、走力の差。
「ブレード、抜かれるな! ダッシュだ!」
ブレードは全力で走っていた。けれど差は縮まって行く。ゴールにはまだもう少しある。
俺は間に合わないということに気が付いてしまった。
今のブレードは出せる力を全て使って走っている。
スタミナだってまだ全然ある。
だけど相手の方が速いのだ。
"違う"。
白いチャオはブレードの真後ろに食らいついて、
ゴールまであと30秒くらい、というところで、
すきま風のように――するりと抜き去って、ゴールまで駆けて行った。
速い……!
そのチャオがゴールしてから数秒後にブレードはゴールした。
僅差にもならなかった。
俺はシアタールームを飛び出した。
白いチャオと何であんなに差がついたんだ?
ブレードと何がそんなに違うんだ?
進化してないから?
そんなふうに考えながら走った。
ゴールゾーンに着いてすぐブレードを見つけた。ブレードは疲れているみたいだったが、負けたことは理解しているみたいで、ぐるぐると悔しそうにしている。
俺の姿を見つけたブレードはそそくさと近寄ってきて身振り手振りで悔しさを表現してきた。
分かってる。
白いチャオを探す。
見つけた。
白いチャオはあのダッシュの後でも涼しい顔をしているように見えた。
飼い主と仲良さそうに会話しているだけだ。
疲れを見せている様子が全くない。
何が違うんだ?
白いチャオが飼い主に抱き上げられる。
俺を待っていたかのように、そいつは白いチャオと抱き合ったまま言った。
「楽しかった!」
「は……?」
「でも」
ブイ! とピースサインを俺に見せつけてくる。
「わたしの勝ち!」
やたら気持ちの良い笑顔が、めっちゃムカついた。