四章

四章

 ぼくの就職活動は、何度かお祈りされ、何とか本命に就職することができた、という結果だった。川崎さんやバイト先の先輩にも協力してもらい、戦略を一から立てて、就職活動を乗り切ってきた。ぼくは「他人になりきる」ことも「自分を作る」こともできるので、就職活動の場はぼくに適していた。とはいえ、それでも何度かお祈りされているので、以前と比べれば精度は落ちているのだろう。
 ぼくはとにかく、コーディング速度が速い(と、もっぱらの評判であった)ので、試験でも有利にはたらいた。本命の試験では、いかに多くの問題を解くことができるか、のような試験形式だった。SPIのような形式である。Javaを学んでおいて良かったと強く感じた。
 就職活動が終わるとすぐに、専門学校から卒業、アルバイトから卒業する時期がやって来た。働くことがあまり好きではないぼくは、気乗りしなかったけれど、卒業制作に追われてそれどころではなかった。卒業制作ではandroidアプリケーションのシューティングゲーム(TPSっぽいもの)と、オンライン対戦形式麻雀ゲームを作った。Javaの講師である上野先生はぼくのことを高く買ってくれていて、その期待と信頼にはこたえたいなあと思っていた。麻雀ゲームはネットワークの知識を身につけるために開発したものだ。クラスのみんなの声を収録してボイスとして使用できるようにしたり、自作ならではの工夫が非常に楽しかった。
 アルバイトでは、引き継ぎを行っていた。授業の合間にマニュアルを作成したため、それを元にマニュアルを定着させた。バイト先にはマニュアルがなく、苦労していたから、せめてぼくが作ろうと考えたためだ。市川さんも同じバイト先だったから、彼女にもマニュアル作成を手伝ってもらった。
 このころ、ぼくは自分に小説を書く才能がないことを理解し始めていた。その大きな理由は、小説を書くことが好きではないからだ。自分の考えをアウトプットすることは好きだが、「小説」を「書く」ことが特別好きなわけではない。だから半ば諦めていた。しかしながら、ぼくは諦めがとても悪い。悪すぎて、諦めることができないところがぼくの欠点だ。小説を書くことを完全に辞めたわけではない。常に自分にとって最良の「書き方」を模索していた。
 
 卒業の時期がやってきた。
 ぼくは、あまり感動しない卒業式を終えて、ついに社会人としての第一歩を踏み出したのだ!
 
 
 挿話 ポケモン日記
 
 好きなポケモンを使いたい!使って勝ちたい!しかも面白く勝ちたい!派であるぼくは、
 たくさんのポケモンを厳選してきたが、
 ベトベトンはどのパーティに組み込んでも、良い働きをしてくれることが分かった。
 ベトベトンは、HPが高いから、不一致弱点程度なら受けられる。
 さらにX・Yから毒タイプの使う「どくどく」が必中になったため、
 ぼくの使う「めんどくさい戦法」に磨きがかかったのである。
 ちなみに、ベトベトンの弱点は「じめん・エスパー」。
 ベトベトンの仮想敵は、耐久型ポケモン(スイクン、クレセリア)や特殊ガルーラ、メガリザードンYなどである。
 読みスキルが必要になるが、ベトベトンは面白いポケモンだ。
 今のところ一番面白い型は、スカーフベトベトンの先制ダストシュートだ。
 調子に乗って出てきたメガサーナイトを返り討ちにするぞ。
 また、ぼくはニョロボンもとても好きだ。型が読みづらいから、相手の行動に隙を作ることができる。
 強化してくれれば言うことないぞ! さあ、メガシンカだ!
 
 
 入社式を終えて、ぼくは同期の何人かと飲み会に行った。うんざりするほど意志の弱い男女との会話に嫌気がさして、今後あまり飲み会には参加しないでおこうと胸に誓った。具体的な意志の弱い会話とは、やれ仕事ができるか不安だとか、電話対応が不安だとか、そういう話だ。不安な気持ちを吐露しあうようなパーティはあまり好きではない。白瀬くんという、開発大好きな子がいるのだが、本当にサーバの話しかしなかったりする。同じく同期の加藤さんは、一般的にはとても可愛い部類に入る女の子だけど、愚痴ばかりでとても疲れるタイプだ。ぼくは同期の中で早くも「うまくやる」自信をなくしていた。
 池袋での研修は、正直に言えば、退屈だった。しかし長く勤める会社になるかもしれないので、立ち回りは丁寧にすべきだ。ぼくは人当たりの良いふうを装うことにした。モンスターハンターが流行していたが、他の方々はとても下手だったので、ぼくは遠慮することにした。「うまくなろう」という意志のない人たちと一緒に楽しめる気がしないからだ。
 ゴールデンウィークにオフ会をした。ホップスターさんとは以前、署名提出の際も会っていたが、そのときと何も変わらなかった。彼は常にマイペースだ。だけどぼくは、本質的な対話ができていないこと、薄い話しかできていないことに焦りを覚えていた。
 研修を終えて、ぼくは本社で勤務することとなった。部長の塩谷さんは気さくな人で、麻雀でも変な打ち方をする人だ。塩谷さんはぼくのことをよく気にかけてくれる。気弱そうに見えるのかもしれない。仕事は楽しくなかった。でも、嫌でもなかった。自分が最速で帰るために努力をして、同期を手伝い、早々に帰る。そういったサイクルが続いていた。
 夏休みごろ、オフ会の話があがった。ろっど、ダーク、スマッシュの三人で卓球をするか、のような流れだったと思う。そこに人が集まってきた。輪が広がった気がして、少し嬉しかった。ちょうどそのころ、市川さんからバイト先の問題を相談された。以前、お局様を辞めさせたにも関わらず、今度は別の人が権力者となっているようだった。これはまずいと思い、「権力者」に交渉するべく出向いたのだが、結果的に効果はなかった。
 市川さんとは順調に付き合いが続いていた。ぼくは話をするのも好きだが、人の話を聞くことも好きだ。市川さんとの付き合いの場合、多くはぼくが彼女の話を聞いていた。彼女は高校生のころと比べると、別人のように成長していた。その成長が、ぼくにとってはとても魅力的だった。成長できる人間は見ていて楽しい。彼女は努力家だ。ただ、諦めが早いところがあって、向上心も高いわけではない。できないことを、できないで片付けてしまうところがぼくにとっては嫌だった。だけど、相手の欠点を受け入れることができないのは、仕方のないことだ。ぼくは見て見ぬ振りをすることにした。
 そして、オフ会の開催される九月の中旬、ぼくは父にサーバを作れ、と言われた。どうにも、父は会社では「パソコン博士」として通っているらしく、ホームページを作成することを安請け合いしてしまったようで、その尻拭いをぼくにさせようという魂胆のようだ。ぼくは父の思い通りに動くロボットではないので断ると、父は激怒し、混戦のすえにぼくは家を出ることとなった。警察署に行って、捜索願不受理申請を行った。そのあとネットカフェで一晩過ごしてから、親しい友人に頼み込み、生活費を折半する名目で居候させてもらうことにしたのだった。本当にぼくの人生はままならない。だけど、こんな状況でも何とかできてしまうくらいには、ぼくも成長することができたのだ。
 
 
 オフ会が終わって友人の家に帰ると、友人は既に眠っていたので、起こさないようにシャワーを浴びて、早々に眠りについた。
 翌朝は起きるのがとても辛かった。オフ会後の仕事はとても大変であったが、難なく終えることができたのだった。仕事を終えて、市川さんとの食事の際に別れを告げた。およそ四年間の交際になった。友達の家に帰ると、友達はアルバイトから帰ってきていて、一人で晩酌の最中だった。ぼくも付き合うことにした。ここ最近は特に、お酒の力に頼ることが多い。
 チャオラーと名乗れるかどうか、というのは、今のぼくにとっては微妙な問題だ。ぼくはチャオラーらしいことをしていない。でも、チャオラーらしいこととは何だろう。と考えたとき、ぼくはチャオのゲームを作ることじゃないかなあと、とっさに思いついたのだった。そのため3DCGの勉強をして、チャオのモデリングくらいはできるようになっておこう、というのが、最近のぼくのトレンドである。
 心理的な課題は、「覚醒」では自分しか変えることができない、という点だ。他人に影響を与えたり、他人の気持ちを変えたりするには、「覚醒」では足りない。とっくに正義のヒーローからはドロップアウトしたぼくだけど、人助けは好きだ。だけど、本当の意味で人を助けることは難しい。ぼくでは不適任なのかもしれない。ぼくは人から好かれる人間ではないし、人に助けを求められる人間ではない。他人というのは我侭なもので、助けて欲しい、と言いながら、助けてもらう人を選ぶ。「誰でもいいから助けて欲しい」のではなく、「あの人とあの人とあの人に助けてもらったら嬉しい」であることが大多数だ。そういう人間の弱さがぼくは大嫌いで、だからたぶん、ぼくに人助けは向いていない。
 今は、チャオラーのかかわりを保ちたいと考えている。ぼくにとっては貴重な繋がりで、自分の世界を持っている人たちばかりだから、きっと面白い。ぼくはそういう人たちのほうが好きだ。しかし保つためには現状維持ではよくない。ぼくを使って盛り上がるパターンだけでは、いずれ破綻する。かかわりとは双方向であってこそ、強度が高まるのだ。だからこそ、相手のことを知ることは大事だ。それも本質的な部分で知ることが大切だ。関わったらすでに友達とか、そういう甘い考えには賛同できない。互いの魂を消耗するような意志のぶつかり合いが、本来、ぼくの最も好きなことだ。人と関わり合うというのは「袖すりあう」ことではなく「道連れ」だと、ぼくは思う。
 ぼくの人生は、たぶん他の人よりも色々なことがあったけれど、ぼくにとっては普通の人生のほうがよっぽど良かった。楽しそうに生きている人たちが羨ましい。友達が多い人が羨ましい。好きなものが多い人が羨ましい。親との関係が良い人が羨ましい。ぼくの気持ちには劣等感がたくさん隠れていて、そのすべてが、ぼくの努力では手に入らないものだ。
 だからせめて、ぼくの努力で手に入るものだけは、ぼくはすべて手に入れておきたい。
 
 あのとき、失踪したぼくは、実は二度と戻るつもりなんてなかったのだ。どうして戻ってこようと思ったのかは、実のところ、よく分かっていない。気がつくとチャオ小説の題材を探していたし、ぼくらしい小説をいつも探していた。ぼくは自分がチャオラーであるとは、実はあまり思っていない。チャオ小説家ですらない。チャオを育てるのは、確かに好きだった。けれどもそれは、友達が欲しいがために、他人から承認されるために、自分を主張するためにチャオを利用していただけなのかもしれない。そう考えたときから、ぼくはチャオラーとしての自覚を持つことができなくなった。そのぼくがチャオラーとして「戻る」ことに、違和感を覚える。昔、スマッシュさんが「好きであることを証明するのは難しい」というようなことを言っていた。好きでいることを証し、好きであり続けるのは、なるほど、とても難しい。神田さんのことも、思い出そうとしなければ思い出す機会すらない。それは、あまり好きではなかったからなのだ、というのは簡単だ。でも、そう言ってしまうと、ぼくはチャオがあまり好きではなかったのだ、ということになる。
 ぼくは自分の好きと嫌いを明確に定義できる。ぼくは意志のないものが嫌いだ。感情に振り回されて他人を攻撃する人が嫌い。自尊心を守るために他人を攻撃する人が嫌い。自分を守るために本心を抑え付けて他人に無関心であることを装う人も嫌い。では、好きなものは。意志の強さ。それはとても好きだ。でもチャオには意志なんてない。
 「たかがゲーム」だから。
 たぶん、ぼくはチャオが好きなわけではない。ではなぜ戻ろうと思ったのか。それは、チャオのコミュニティが好きだからだ。人は少ないけれど、毎年聖誕祭になると、みんな忘れずに集まってくる。好きであり続けるのは難しい。スマッシュさんはそう言っていた。チャオなんていう、古いゲームともなれば、更に難しい。だけど集まる。ぼくはそういう例を他に知らない。間戸くんや疋田くんも、黒川くんも、松浦くんも、いま何をしてどこにいるかなんて知らない。ただ、「ここ」だけは別だった。少なくともぼくにとって、チャオは帰るべきところなのだ。おそらくみんなにとってもそれは同じだ。そしてぼくの帰るべきところというのは、「友達が欲しい」だった。
 好きであり続ける方法は、実はたくさんあるとぼくは思う。欠点に目をつむればいい。他のものを目を向けなければいい。しかし、そうして得る「好きであること」に、何の価値があるのだろう。ぼくは、欠点に目はつむりたくない。他のものも見たい。だけど、その上で選んだものにこそ、ぼくは大きな価値を感じる。それは、自分の意志で選び取ったものだからだ。
 いずれチャオのコミュニティに戻らなくなる日が来るかもしれない。永遠に帰るべき場所であり続ける保証はない。だけど今、ぼくにとって、ここは帰る場所だった。自分の意志でそう決めている。だからこそ、それを維持するためならどのような努力も惜しむつもりはない。帰るべき場所に誰もいなかったら、とても寂しいから。
 ぼくは「自分を作る」ことを、自分の意志で使うことにした。実態のない正義のためではない。困っている人を助けるためでもない。ただ、友達を作るため、友達と仲良くし続けるためだけに、ぼくはぼくの持ち得る全ての能力を使おう。それがぼくにとっての、好きであることの証明だ。

このページについて
掲載日
2014年10月13日
ページ番号
4 / 4
この作品について
タイトル
ろっどの物語
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
2014年10月13日