あとがき リメイク
この作品は「リメイク」という言葉の重さを知ってもらうために考案した一種の実験的な短編です。どちらも至極つまらない小説であるのに、リメイク、という言葉を聞いただけで胸の中に花が咲くような、そんな奇跡的なミラクルを今まさに目の前で見ているという感覚に陥りがちですが、実際はそうでないのです。ごらんなさい。どんなに頑張って、俺が脳みそを振り絞ってみたとしても、結局書けるリメイクというのはせいぜい上の程度であり、それ以上の跳躍は望めない位置にあるのです。たとえば、昔まだスクウェアが質の良い、もとい中二病ホイホイなソフトを創っていたころ、ゼノギアスというゲームがあったのですが、いまだに多くの人がリメイク希望、リメイク希望、とのたまっています。しかし、リメイクというのは果たして本当にそれ以前のものより良いものができるという確信があるでしょうか?彼らは本当にそのような展望を予測したうえで、このように電子画面上にぺちぺちとその希望的観測を書き連ねているのでしょうか。私が思うに、彼らは物足りなさをゲームというものに対する完成度に原因を押しつけているだけだと考えます。しかし、よくよく考えてみると、果たしてそれだけが原因なのでしょうか。そう、それを考えると、リメイク、という質の向上を図る手段が以下に陳腐なものかがよくわかると想います。私もかつては悪魔攻略戦線というドブの中の糞よりもクソみたいな小説を書いていた時代がありました。もちろんそんな茶色い文章にレスポンスをくださる方は誰もおらず、俺は幼い脳みそながらに必死に考えたのです。結果として思いついたのが、リメイク、という形でした。だがしかし、その結果が上の様なザマです。最初の設定などは書面にせずとも、自分でとっておくべきことです。それを堂々と公開している揚句、内容も陳腐で、逆にギャグとしてタグをつけられてもおかしくないのでは、という中学校の頃の初恋にも似た想いを感じるのです。嗚呼、やはりリメイクという手段は短絡的かつ、進展が望めない、いわば、小説を上手くするためのダメな方法なのです。常にいろんな世界を妄想し、空想し、それを少しずつメモに取り、物語を広げることこそが小説家として求められるべきスキルではないのでしょうか。また、同じ世界に固執して、それを何度も何度も作りなおしては、僕の小説はクソだ、運子だ、糞田運子だ!と、私の小学校の時のクラスメイトの名前と同姓同名な方を思い浮かべているだけでは何の進展にも結び付かないのです。何かカッコいいフレーズとか、可愛げな名前を考え、言うたびに、お前は中二だ、だせぇwwwなどといった嘲笑も浴びるかもしれません。ですが、小説はそんな幼い背伸び心と表裏一体の世界であるのです。大人としての感性、子供としての感性、そんな二つの相反する感性を上手くバランスよく小説に入れていける方こそが、真の小説家ではないのでしょうか。ともかく、一つのネタを一度ボツにしたからには、そのままで、こうやってチャオライブラリーの新規作品にわざわざ昔のものを引っ張り出してくるという愚かな行為は慎んだ方がよ下げかもしれませんね。あぁ、話はめっちゃ変わりますが、最近はダブルスクールが忙しくて、めったな時間が無ければ小説が書けない状況になっています。小説は出来るだけ完結させたいと想っているので、皆さま、気長に見守ってやってください。今は、それを完結させようと努力しつつ、新しい物語を描こうと想っています。んまぁ、何と言いますか、俺らしいといえば俺らしい、そう言った小説です。そんなわけで、みなさま、また近いうちにこんどはまじめな小説を更新させようと想うので、その時はよろしくお願いいたします。アディオス。