序章 其ノ四

静かなホテルの一室。丁度最上階に位置したこの部屋はスイートルームとなっていてそれこそ下の部屋に比べたら広さも内装も格が違った。隣の部屋もその隣もその日の住人がそこで思うように楽しんでいるというのにこの一室だけは灯りはついておらず人の気配もなかった。しかしその部屋はただ一人だけを待っている。 その人物の帰りを心待ちにしているかの様に静かだった。やがて赤絨毯の廊下に足音が響いた。やや足元はふらついていて足音も不規則だがある部屋に近づいている事は確かであった。

 ドアのロックを外し室内に入るや大きく背伸びをするAIR。背伸びの次は唇を舌でソッと舐める。ホテルの食事はやはり高級な物ばかりで栄養がついた。 周囲が驚く程、異常な量を口に運んで嫌というほど一流の名がつく料理達に舌鼓を打ったのだが流石は一流、しばらくは飽きそうな気配もない。相棒のチャオも特別なフルーツにありつけただけあってかなりご機嫌だ。それにしてもチョコとドライフルーツで過ごしていった日々はどこへ行ったのだろうか? 今頃、外のブリザードで途方もない遠いところに飛ばされたかな。
しかしまぁ・・・とAIRはホテルの一室を見渡してみる。一人と一匹とはいえやはり広すぎる。これほどのマンションを借りれば月にいくら掛かるのだろうか?といっても男にマンションを借りた経験など無い為見当なんてつくはずもなかった。そんな事よりもこの広さなら人数なら後5人はゆったりできるスペース。そんな一晩に5人も要らないけどそれでも後一人は欲しい。ホテルで女の子と二人っきり・・・
思春期、青春の真っ只中なのだからこんな妄想だって仕方ない。そう心に秘めつつ我に返る。
「この街は・・・・景色がいいな。」
「う~!」
そう言って二人は夜のEDENを見下ろしていた。ドームの照明も完全に消えて代わりにそれぞれの建物の窓からは明かりが灯されている。街の中の隠れた絶景 ―AIRとチャオはこの街全てを手に入れたような気分だった。しかし都会の幻想的な光は男の視野には入っても瞳の奥、心に届く事はなかった。複雑な感情を抱いていた時に丁度外からノックの音がした。

「あの・・・何か御用件は・・・・?」
「あれ?」
「ぅ?」
扉を開けてみれば先ほどの秘書さんだった。
時刻はとっくに10時を過ぎているから仕事なんてないはずだが・・・?
「従業員もやってるの?」
「ぁ・・・ぃぇ・・・」
随分歯切れの悪い事。これでは御用件もあったものではない、とはいえこのまま沈黙させておくのも悪いし一つ聞いてみるか とAIRは次の言葉をくりだした。
「自販機の場所教えてくれる?」
「ぇ・ぁ・・・・こっちです」
と指さす方向はこの部屋よりもずっと奥の方。よく見れば煙草の看板が出ているのでわざわざ聞くことでもなかった。
「じゃあそのチャオ見ておいてて」
そう台詞を残してスタスタと目的地へと歩いていった。それを確認した少女は他に誰もいるはずのない部屋を見渡してみる。そして目の前に居る可愛らしい生き物に話しかけた。
「こっちにおいで~」
しかし生き物はその呼びかけには応じず警戒してその場でたたずんでいるだけだった。またも周りを確認した少女は一拍、間を開けると次はそっと生き物を両手で抱き上げる、そして・・・胸元に持っていくとギュッと抱きしめた。生き物は抱き上げられた時は多少の抵抗はしたものの抱きしめられた時にはもう素直だった。
「すごく可愛い!」といって優しく抱き続ける少女、続いて撫でてあげようと右手を頭に回そうとした。
「指噛むから気をつけろよ」
少女はビクっとして振り返ってみるとAIRが後ろに立っていた。ただでさえこんな事を見られたことが恥ずかしくてたまらなかったのに、ものすごく不満そうな目で見られてる事もあり彼女の頭は爆発寸前だった。顔も耳の先まで真っ赤になってその場をあわてて立ち去ろうとするがAIRが扉の前に立ちふさがっていて逃げられなかった。
「何もそんなに怖がらなくても」
ちょっと悪ふざけという軽い気持ちのAIRとは正反対に少女の気持ちは以前爆発寸前だった。
恥ずかしさのあまり、呂律も回らないし視点も定まってないが必死で弁明をしていた。
「ぁ・・の・・・め・・め・・い」
「お・・・ちょっと・・」
「ぁ・・わ・・・・こ・・・その・・・え・・・う・・・」
「落ち着け!」
紙パックについているジュースのストローを少女の口に無理やりねじこんだ。男の持っている紙パックはオレンジの写真が印刷されていた。最初は真っ赤な顔だったがやがて落ち着いてきたのでジュースを手渡す、といっても渡した時にはすでに半分位飲んでいたが。一段落して男もペットボトルの蓋を開けて喉を潤す。男の喉を鳴らす音だけがしばらく部屋に響いた。
「ぁ・・・ぉ・・お金は・・・」
「いいよ100円ちょっとだし、それより名前教えて」
「・・・・ユキネです。」
そう恥ずかしそうに答えた彼女。名前通りの白い肌の持ち主だったが頬や耳はまだ赤く染まっていた。

このページについて
掲載号
週刊チャオ第296号
ページ番号
4 / 4
この作品について
タイトル
PEACE PIECE
作者
キナコ
初回掲載
週刊チャオ第293号
最終掲載
週刊チャオ第296号
連載期間
約22日