ねぇ、あいしてよ。
――チャオガーデン内にて。
「ふぅ……」
あたしは寝っ転がりながら、どこまでも続く青空を眺めていた。
夢にまで見たチャオブリーダーの仕事を始めて、もう一年になるくらいだろうか。何とか、自然環境の良いガーデンを作ろうと、かなり田舎の方まで引っ越してきてしまったけれど、相変わらずのチャオの可愛さに骨抜きにされてしまったあたしは、たいして苦には思わなかった。
広い空が見えて、傍には海が見える崖もある。滝も天然のがあって、なかなかに見栄えの良いところだ。
ふわふわとした草は寝心地が良く、この場所は常に温かい。
最近は、家にさえも戻らず、このガーデン内で過ごすことが多くなっている。
(ホン……ハ、モ…オ……、モド………ロナド…イ)
親は最初はそんな生活に反対したけれど、積極的にお金を出してくれたのは、私の婚約者であるタクマくんだった。
彼だけは、何故かこんな突拍子もない計画に、ガキの頃からの憧れだったんだ、と大賛成して、ぽいっ、とどぶに捨てるような感じであたしに資金援助をしてくれた。
現在タクマくんは海外に出張中だ。来週くらいに帰ってくる予定だと言っていたが、どうも最近外国での仕事が忙しいらしく――最近不景気なモノだから――帰る日が先延ばし、先延ばし、になっているので、今回ももしかしたら無理かもしれない。
「あーあ、タクちゃん、早く帰ってきてくれないでしゅかねー?」
子供をあやすような言い方で、あたしは隣のほうに真似して寝転んできた紫色のチャオに手を伸ばす。彼の頭はあたしの手にすっぽりと収まり、撫でられると、気持ちよさそうな顔をしながらハートマークを浮かべた。
(…ク……ン…、シ……ヨ。ソ………オタ…ハ………ャジ………カ)
このチャオガーデンでは様々な種類のチャオをそろえている。
ドラゴンのような頭の形をしたダークチャオ。河童の様な見た目の、泳ぎタイプのチャオ。頭の先っぽがとんがっているヒーローチャオ。全身をクマのパーツで固めた茶色いチャオ。
「このチャオには小動物代がすごくかかったんだよなぁ」
思わず口に出して文句を言ってみたりするが、自分の無意識に悪意が存在しないのか、言われた当の本人はあたしの言葉に笑顔を浮かべている。
あぁ、ここにいるチャオたちはみんな良い子たちだ。
誰もあたしのコトを咎めたりしないし、否定もしない。
みんな、良いコ、良いコ。
と、寝っ転がりながらチャオともふもふするあたしに、他のチャオとは雰囲気の違う、冷たい感じを持っているチャオがゆったりと近づいてきた。
「あ……」
それは、何かが足りなかった。他のチャオと同じような高さに目があり口がありぽよがあり羽根がある。
だが、何かが無い。
「ふふ、今日ははじめて会うね、シースルー」
そう、答えは全身の「色」。
彼は、正真正銘の「透明な」チャオなのである。
もちろん触ることは可能であるが、視覚的にはそこには一瞬何もないように思えてしまう。昔は彼を探そうとそこらじゅうをかけずり回ったけれど、ある日、そんなことしなくても、彼は、何故かあたしが会いたいときにやってきてくれることに気付いた。
今は、あたしも自分から探すなんてことはせずに、偶然目に着いたときだけ、彼を可愛がることにしている。
「おー、よしよし」
撫でる手にも思わず力がこもってしまう。
別に、チャオに対する愛情が偏っているわけではないが、彼だけは常に高い高感度を維持させようと頑張っている。
珍しいチャオだ、とタクマくんが教えてくれたこともある。
けれど、本当の理由は……
(アハハ、見える見える)
あたしが万華鏡のように、太陽の光にかざすと、彼の体越しに、映る人影があった。
「うふふ、タクマくん、やっほー」
そう、その人影は、さっきからずっと考えている人物、タクマくん。
最近はずっと帰ってこないからなのか。あたしは、そんな彼との想い出の風景や、彼の顔や体、彼と一緒にいるあたしを映すその想い出とも言える身体を溺愛していた。
どうしてそう言うことが実現できるのかはわからない。透明なチャオには飼い主の思念を実像化出来る能力でも備わっているのかもしれない。あえて、これ以上何かを詮索しようとは思わないが。
「ふふふ、タクマくん、あたしは相変わらず頑張っているよそっちの調子はどうちゃんと外国で仕事しているのかなぁあたし寂しいよ早く帰ってきてほしいしいしいしてでふ……あぁ、だめだ、落ち着け、あたし」
偶然目に付けたときだけ愛でる、と言うのは彼が必要な時に来てくれるからだけではない。あたしも、彼が四六時中そばにいると、タクマくんがいない寂しさで狂ってしまいそうになるからである。
あたしも、自分で理性を保とうとはしているが、いつ頭のネジが取れてしまうか心配だ。チャオたちの前で、あたしのみじめな姿をさらすわけにはいかない。
せっかくハートマークで埋めて、みんなあたしの仲間になってくれているのに。
――またいなくなっちゃうよ。
―― ま た ? ――
「あ、あははヒュつスジュェスははは……ううん、駄目駄目、おちついて、あたし」
一瞬、変なことを思い出しそうになったが、すぐに気を取り直して愛しのシースルーチャオに顔を合わせる。透明で純粋な彼や、周りのみんなが、何があったの、と心配そうにこちらをじっと見つめていた。
チャオに心配されるようじゃあ、まだまだあたしも半人前だ。
あたしは深呼吸をすると、彼の体に焦点を合わせていく。ぼやけていた先ほどの映像たちが、ぽつぽつと、また彼の体越しに3Dで浮かんでくる。
そこから見える透明の景色――あたしがこれまで浸かってきた数々の彼との想い出がシアター上映される様は、見ていて綺麗だ。
呆然と彼を両手に抱え上げながら、その景色と自分の意識をシンクロさせていく。
今日は特に、嫌な気分になったから、深く、深く、シンクロさせて――
ぱりぃん
「ほえ?」
空想の世界から強制的に追い出され、素っ頓狂な声を出して、あたしはチャオガーデンを見渡した。
今確かに、ガラスの割れる音が聞こえた。
しかし、そもそも、そんなものをガーデンにおいているはずがない。チャオが怪我でもして、泣いたら大変――彼らの好感度が下がって、死んでしまったりでもしたら大変――だから、そういうワレモノは置いておこうとはしないのだ。
あたしは何だか変な気分に襲われたが、すぐにまた空想の世界へトリップしようと、透明な彼の体を抱こうとする。
「……あれ、無い」
あたしは、さっきまでいた所に彼がいないことに気付いた。いや、でも、ここから歩き去るような音はしていないし、とすると、あぁ、飛んで行ったのかもしれない。
すっと立ち上がって、彼を求めるようにあたしはガーデンをさまよい始める。
せっかくうつ状態から抜け出そうとしていた矢先にこれだ。早くしないと、自分の気がくるってしまいそうで怖い。
「ねぇ、早く、シースルー、しーするー、透明なアタシのフォトグラフ。もどってきてよねぇおねがいだから」
だが、ガーデンのすみっこ、滝の周辺、木陰、チャオの好きそうな場所にはどこにもおらず。仕方なくあたしは手掛かりを探そうと、元いた場所に戻ることにした。
戻ろうとした、――その時。
「痛いっ」
あたしは反射的に右足をあげた。
何かが刺さった。
冷たくて、とがっている、何かが。
「何があったのかは知らないけど、……足の裏を見てみよう」
正直、血を見るのは嫌いだが、何が起こったのかを知りたくて、あたしは地べたに座り込むとよいしょ、とその足裏を顔のもとにあげた。
――目が刺さっている。
そう、それは目。目、目、めめめめめめめめめめめめめめめめ……
あぁ、誰のかは大体想像がつくけど信じたくないいやこれはウソだこれはまやかしだあたしの幸せを邪魔する何かがあたしのこころを壊そうとしてこんなことをしているんだ一体誰だよ出てこいよまた殺してやるまたころしてやる
「アハハハハハハシースルーの目じゃんアハは、シーするーのメじゃない、いつもミテいるからきづいているはずなのにアタシハバカですねはいそうですねうん」
バラバラだぁばらばら目も口も羽も全部バラバラのがらすの破片になってら。アタシはちょっと気になって一欠けらお日様にかざしたけど、てんで何も映らないね、残念だね、もうタクマくんを見れないじゃんみれないじゃん
(ホントウハ、モウオマエ、モドルトコロナドナイ)
(タクマクンハ、シンダヨ。ソノチャオタチハオモチャジャナイカ)
本当はお前、もう戻るところなどない。
拓真くんは死んだよ。そのチャオたちはオモチャじゃないか。
「うふふ、ちがう、違うのよ、あたし、これは現実、あれは夢だ」
と、そこに突然オモチャオがやってくる。
なんだあいつら、いつもいらねぇ、くだらねぇときばっかにきやがって、もし包丁があるなら殺してやりたいなぁ、ははは
「ま、真里菜さん、落ち着いてください!」
「中谷君、真里菜さんを一時的に端の方へ押さえておいて!」
「はいっ!」
流暢に日本語をしゃべりやがる、全く不愉快な連中だ。でも、今のアタシは無力だから、彼らの思うがまま、身体を動かされる。なんだこの性奴隷みたいなあつかい、ははっ、アタシのこんなからだを屠ってもいいことないのにばかじゃないのかしらん
はは、ははは、ハハハハハハ、ははは……
『僕にとって、君の考えは重いんだよ』
『昔は好きだった、本当だ、だから、そんなに怒らないでくれ』
『すまない……』
『や、止めてくれ、違う、僕は君から何かを奪おうとなんて思っていない』
『落ち着け、落ち着け真里nゴボゥォ……』
「メギァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
もういやだ、もうぜんぶキライだ、とおもったら手が勝手に動くのよあたしってば昔もおなじことになったのにきょういくがたりないね
ヒーローチャオを殴りつけると首や手や足が吹き飛んで散らばったアハは楽しいタノシイ茶色いくまさんみたいなチャオはびりびりと音がすると中から白い肉片が飛び出してきて愉快だあーあみんな消えろ全部消えろあたしにはアタシの仲間だけいればジューニブンだウェぇンウワァァァァンワァァァァァァァァァン
だれか仲間になって
だれかあたしを助けて
ねぇだれかあたしを愛してください
タクマくんを殺してごめんなさい
もうそんなことにどとしません
だからあたしを愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください
ねぇ、あいしてよ。
* * *
「ごめん、シューちゃん、こんなめんどくさい仕事をさせて」
中谷さんは苦笑いを浮かべ、シャラシャラといわせながら、箒とチリトリでわれた花瓶の回収を行っていた。当の本人である石倉真里菜は現在もっと厳重な部屋で待機をさせていところだ。
……と言っても、彼女自身が「待」機なんてありえないので、彼女の保護担当になったあの三人の看護婦さんたちはさぞかし大変な目にあっているだろう。
それを考えるだけ、この部屋の清掃担当になった僕はまだ幸せな方だろう。
「はぁ、でも、院長、だから忠告したじゃないですか、患者の部屋にワレモノを置くなと」
「うーん、あれは石倉さんが肌身離さず持っていたモノらしいし、なんだか奪ってしまうと逆に病状が悪化しそうで怖かったのよ」
「あれ、彼女が殺した恋人からのプレゼントでしょう? こういう展開になると、俺だったら考えますけどね、……で、後は、なんだかガキっぽいおもちゃが目白押しですね」
「こう言うテの患者は年齢退行も起こりうるんだけれど、彼女の場合は、なんか仲間のような扱いをしていたわね、そこのテディベアとか、ガンダムのプラモデルとかは、特に……ふう。まぁ、とにかく――」
彼女には私も結構まいっているんだけどね、と、院長は思わず本音を漏らしていた。
散らばったガンプラ、綿が飛び出たテディベア、首が取れたゴジラ人形、細い腕がちぎられたケロロ軍曹のぬいぐるみ。
彼らを抱いて、彼女は何を思っていたのだろう。
彼氏からもらったビンを光にかざしながら「想い出なの」と笑って語っていた彼女は、どうして彼を殺してしまったのだろうか。
本体もないくせに「彼氏とよくやっていたの」と見せてきたゲームは、一体彼女にとって何だったのだろうか。
――彼女にとって、幻想にないものは、全て嘘なのだろうか。
俺には、彼女の想いが、未だに理解できずにいる。
最近研修が始まって、精神病患者のための精神科医になることの現実と理想のギャップにいつも苦しんでいる俺。
もしかしたら、彼女も同じような感情を抱いていたのかもしれない。
fin