水色の滴

たった今、ガーデンで一匹のチャオが消滅した。


俺の目の前で。


こうなるとわかっていた。だってあいつはいつもブリーダーから虐待を受けていた。消えるのも自然の摂理ってやつだ。人工生命体のチャオが「自然」というのもおかしい話だが。

別に特別仲が良かったわけでもないし、悪かったわけでもない。
「あいつ」としか呼べない。
名前がなかったから。
ただ、いつもあいつは笑っていた。生まれつきそういう顔だったからかもしれないが、にこにこと。

俺は生まれたときから無表情だったし、今はカオスになったからさらに無表情だ。
でも、もし表情があっても、蹴られて頬が腫れてるのに笑うなんてこと、俺にはできないだろうな。

あいつはブリーダーのストレス発散の標的になっていた。アビリティが悪かった上、レアチャオを作る際の繁殖の、いわば「失敗作」だったから。

思いどおりにいかないのが人生ってもんだろうに、ブリーダーは癇癪をおこしたもんだ。まったくもってガキくさい。八つ当たりで暴力。はたから見れば醜いことこの上ない。

そして、目の前で殴られ、蹴られしているあいつに、一度も声をかけずに、見て見ぬ振りして、与えられたきのみを食ってた俺も相当醜い。
やっぱり、誰でも我が身が一番かわいいのかな?

ああ、自己嫌悪。

こんなこと考えてても、あいつはもう還ってこないってのに。


散々あいつに暴力ふるって、あいつが目の前で消滅したのに、なんでもない顔して、ブリーダーは俺の頭をなでてくる。

おい、俺は何もいいことしてないぞ。

もちろんそんな言葉は口に出ないし、こんな気持ちも伝わらない。

なでてくる手は、優しくて、暖かい。
でもさぁ、なんでその優しさをあいつに与えてやらないんだよ?
あいつを傷つけて、消滅させた手と今、俺をなでている手。
そのコントラストがひどく気持ち悪くて。
でも、プログラムには逆らえなくて、手を払いのけることもできない。

俺は無力だ。
灰色の繭に包まれてゆくのを見ていることしかできなかった。
仕方がないことなんだけど。

命の始まりと終わり、そして生活までも管理され、存在自体が人工物。
俺たち何のために生まれてんだ?
所詮チャオは暇つぶしの玩具なのか?


いつの間にか、ブリーダーはガーデンからいなくなっていた。


そして、俺は知らずのうちに泣いていた。
あいつに向けてなのか、自分に向けてなのか。それはわからないけれど。
声を上げて泣くでもなく、嗚咽をかみ殺しているわけでもなく。
ただ泣いている。
自然に流れ落ちる涙の止め方がわからなくて、俺は泣き続けた。

思えば、初めて泣いたことに気づいた。

でも、しょうもないことで泣くより、ずっといいと思った。


もう、あいつのいた痕跡はなにもない。
死体も残らないから、存在自体が消えてしまったようだ。
かといって、墓をつくることもできない。

でも、俺は忘れないでいようと思う。
俺が生きている間だけでも。
それが、あいつを目の前で見捨てた俺のせめてもの償い。

広い、大きな空を眺めながら、あいつは天国にいけたのかなと考えて、俺は静かに目を閉じた。

俺の立っていた地面には、涙の跡が残っていた。

この作品について
タイトル
水色の滴
作者
白露
初回掲載
週刊チャオ第191号