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ある日、僕は街の路地に入った。
今まで仕事仕事で時間が取れず、自由な時間を作れなかった僕は、仕事を辞めさせられたので急に暇になったのだ。
辞めさせられた理由は"自分から動こうとせず、受身的であった"ことが理由だという。
確かに、言われてみれば思い当たる節はいくつかある。
だが。占いのように言われてみれば気付くという、ある意味作った理由だとも考えられる。
何とかして僕を辞めさせても会社にデメリットが無いと判断するならば、その考え方もいい。
そんなに僕はジャマであったか?と考えると、やはり前述の理由が本当のようにも思えてくる。
同じことを何度も何度も繰り返して考えれば何か新しい発見ができるかも、と何度も何度も頭の中を疑問が行き来する。
だけれど、真相に達することは無い。それがどんな疑問であろうと、自分で適当に結論を出さなければ永久に考え続ける。
だから誰かの知恵が必要だ。一人で抱え込むよりは、何人か。もしくは知恵が必要になる。
自分では分からない部分を、当然のように他人が知っていることもある。
人間が考えた先の結論は人さまざま。それを一つの知恵として自分に注ぎ込む。
それが一つの生き方、支え方なのだろうと、"人間のやるべきこと"の疑問に結論をつける。
こうして、疑問が疑問を生み、結局はその前の疑問すら忘れてしまう。
考えることのできる動物、人間はそこが欠点でもある。
そうだ、辞めさせられた理由だ。今はその真相を知る術が必要であった。
だけれど、わざわざ僕を辞めさせるような会議が行われるとは考えられない。理解に苦しむ。
だから、書類などは無いはずである。他にも辞めさせられた人がいるならば、その理由を聞きたいところだがその人を知らない。
僕一人があの舞台から降りたとしか考えられないように、同時期に辞めた人を知らない。
生活費やいろんなことに困る。お金のことしか考えないようになると、犯罪を起こしてしまう可能性がある。
それだけは回避すべきだ、というのが僕の犯罪に対する考えである。
全てはお金から始まり、お金に終わる。過程の形はさまざま。それが犯罪である。
お金という制度に疑問を持つことは無い。その制度を止めてしまうと、その後どうすりゃいいって話に発展する。
そう考えていると、辞めさせられた理由なんてどうでもよくなる。
今は、自由という時間を貰えたことに感謝して生きればいい。また他の会社に行けばいい。
この小さな島を発展させるには、技術が必要だ。
科学を扱う研究所なんかもある。そこに人手が必要だろう。僕を受け入れてくれるはずだ。
また「受身だからいらない」と言われ追い出されようと、それに注意して自分を変えることができればそれでいい。
楽観的になるのも、自分を崩さない方法のひとつだ。時には鬼になることも、ひとつ。
こうして僕は、スーツ姿で暗い路地に入ることになる。
こういった狭いところにはクモの巣かなにかあるかと思うと、意外にそうでもない。
誰かが通っているという証拠でもある。クモがまったくいないということは無いだろう。
自分の家にいると、クモが時々中に入ってくる。それを見た上で、クモなどいないと考えるのは良くない。馬鹿げている。
人二人くらい入れるスペースを前に前に進んだ先。
左へと曲がる道がある。路地にゴロツキが溜まっていても、それはそれで無知であった自分を恨めばいい。
思いっきり逃げれば、会社を辞めた僕は見つからないだろう。
一息、覚悟して左に曲がる。どんどん先へ進む。
結構行ったところで行き止まりだ。他の路地から入れば奥まで進めそうだが仕方が無い。
引き返そう、と思ったところで行き止まりに一つの発見をする。
行き止まりには古ぼけた一軒家があったのだが、ノブに"OPEN"と書かれた札がかかっている。
店なのか?開店時間だ。
好奇心を刺激する、その一軒家に僕は入っていった。

このページについて
掲載号
週刊チャオ第219号
ページ番号
1 / 6
この作品について
タイトル
「道端に落ちている仮説」
作者
Sachet.A
初回掲載
週刊チャオ第219号