(後編)

 季節はまだじーわじわとセミの鳴く夏。
 肌を焼く太陽はあの頃よりももっといじわるに頑張っていて、ぼくはそれにも負けずランニングシャツ姿で学校の花壇の横を駆けていった。
 手に持った発泡スチロールの箱を落とさないように気を付けながら、澄んだ川の上の石を順番に踏んでいく。

(この中にはぼくがおこずかいをうんとためて買ったアイスクリームがたっくさん入ってるんだ。チャータ、気に入ってくれるかなあ)

 ぼくは心をおどらせながら、草木を分けて雑木林を進んでいく。
 小高い丘の上、草むらの大木の下に敷かれたダンボール。

「あれ? チャータ、どこか遊びに行ったのかなあ」

 いつもそこに座っていたはずのぼくのチャータ。
 その日はそこにいなかったので、ぼくは周りの草むらをかきわけながら探した。

「だめじゃないか、チャータ。きみはただでさえ背がちっちゃいんだから、わかりやすいところにいないと」

 探す、探す、必死に。

「ねえ、出ておいでよチャータ。かくれんぼなんてあとにしようよ。せっかく買ってあげたアイスクリーム、とけちゃうよ?」

 やがて夜にもならないうちに空は黒い雲に覆われ、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。
 雨粒は、どんどん数を増やしてどんどん草やぼくを濡らしていった。
 小高い上から見える川は少しにごってきて、渡るために置かれた石はどれも少ししずんでいた。

「もう、しらないよチャータ。アイスクリーム、一人でたべちゃうからね」

 すっかりとけて液体になったアイスクリームの箱を揺らして、ぼくは小高い丘から雑木林へ、来た道を戻っていった。
 子ども心に、もうチャータには会えないような気がした、のに。


 それからというもの、ぼくは小高い丘の、ぼくとチャータのヒミツ基地に何度も足を運んだ。
 何度も何日も、チャータを探した。
 それなのにチャータは姿も形も現さない。
 たまりかねておとうさんやおかあさんにチャータの話をした。
 するとおとうさんはこう言ったんだ。

「それはきっと、純粋な子供にしか見えないっていう『座敷わらし』だったのかもしれないよ」、と。

 1978年の夏。
 ぼくのトモダチだった水色の動物、チャータは姿を消した。
 そう、まるで真夏のかげろうのように。



 これは後で聞いた話だが、どうやらその頃に川の上流に工場が出来ていたらしい。
 きっと、きれいな川のほとりにしか住めない純粋な天使だったのかもしれない。

 あれから20と4年
 季節はめぐり、時はめぐり。
 自分のことを「ぼく」ではなく「私」と呼ぶようになり。
 人付き合いもうまくなり、多くの友達を持つようになり。
 妻を持ち、二人の子供に恵まれた家庭を持つようになった。

 この話を思い出したのは、ここ田舎の別荘を家族で訪れたときに私の息子の小さい方からとある話を聞いたからだ。
 ここはいい所だ。
 まるで24年前のあの場所を思い出させるような大自然、きれいで澄んだ川。
 筆を置き、椅子をきぃと回転させて息子たちの方へ向く。

「そんなに弟の話を頭ごなしに否定しないで、お兄ちゃんも一緒に行ってごらんよ。そう、きっと―――」

    きっと、すてきな思い出になるから


                  (完)

このページについて
掲載号
週刊チャオ第129号
ページ番号
2 / 2
この作品について
タイトル
真夏のかげろう
作者
RYO助
初回掲載
週刊チャオ第129号