(前編)
こんな話を、信じてくれる人はいるのだろうか――。
それは、まだ携帯電話もテレビゲームもない1978年の夏。
じーわじーわ、セミの鳴く季節。
ぼくは、入道雲を追いかけるように舗装(ほそう)されていない道を一人、駆けていく。
真夏の太陽が麦わら帽子越しに頭を焼く。
ランニングシャツの生地のない部分から、時々蚊が血を吸いに来る。
ぼくはそれを手で追い払いながら、小学校の裏山の奧を目指した。
夏休みということもあり、小学校には人がほとんどいなかった。
校門を通り、スコップでていねいに手入れされてある花壇を通り、ぼくは裏山の登山口を目指した。
じーわじわじわ、セミたちの声がより一層にぎやかに聞こえてくる。
草木をかき分けながら、獣道を奧へ奥へと進んでいった。
やがて一面に空を覆っていた木の葉はぷつりと途絶え、代わりにきれいに澄んだ川が見えてくる。
間近に小石が見えるほど浅い川の上を、ぽつぽつと置かれた石の上を順番に踏みしめて渡っていく。
その先には雑木林と、背の高い草に覆われたちょっとした小高い丘があった。
ぼくは元気よく雑木林を駆け抜け、丘の上を目指した。
――そう、ここはぼくだけのヒミツの場所なんだ。
そのはず、だったんだけど。
草むらの大木に敷かれたダンボールの上に、緑色の玉のようなものがゆらゆらと左右に揺れていた。
(おかしいな。誰かここに来て、おもちゃでも置いていったのかなあ。ぼくだけのヒミツ基地のつもりだったのに)
少し残念そうに後ろ頭をぼりぼりかきつつ、正体を確かめるため近づいて草をかき分ける。
「チャ~」
それは、玉なんかじゃなかった。
草のすき間から姿を現したそれは水色の体をした、見たこともない小さな動物だった。
背中には、小さな羽根のようなかざり。
その水色の動物が首をかしげて、頭の上にはそれの頭よりおっきなハテナマークが浮かんでいた。
(玉は、どこに行ったんだろう)
ふしぎに思いつつも、ぼくはとりあえずその水色の動物に話しかけてみることにした。
「ねえ、キミ一人なの?」
「ン~?」
「じゃあ、いっしょに遊ぼうよ」
「ウホホターイ」
ごく自然と出てきたその言葉に、水色の動物はぴょんぴょん飛び跳ねながら頭の上におっきなハートマークを浮かべた。
ぼくたちはすぐにトモダチになれた。
おとうさんやおかあさんにもナイショのトモダチ。
ぼくだけのヒミツの場所に住む、ぼくのたったひとりのトモダチ。
それからというもの、ぼくはヒマを見つけては小高い丘の上にいる水色の友達に会いに行った。
学校を通って、雑木林を抜けて。
名前は、よく口にしている「チャオ」という言葉からとって、「チャータ」ということにした。
どうやら、ぼくが最初に見かけた緑色の玉は水色の動物の体の一部で、いろんなマークに化けることができるようだ。
ぼくが頭をなでてあげるとハートマークになって。
学校で折ったいろんな折り紙を見せてあげるとハテナマークになって。
草のすき間からとんできたバッタにおどろいてしりもちをつき、ぐるぐるマークになることもあった。
「ねえ、チャータ。空っておっきくてひろいね」
「チャー」
「空、飛べたらきもちいいだろうなあ」
「チャ? ン~フフ~フフ~」
赤ちゃんにするたかいたかいの体勢で向かい合うぼくとチャータ。
と、とつぜんチャータの背中がもぞもぞと動きだし、空に浮かんだ。
ぱたぱたぱた、とはためく羽根はかざりなんかじゃなく、本物だったんだ。
「すごい。天使みたい」
くるくると輪をえがくように、どんどんと高く空へのぼっていくチャータ。
そのうち雲までさわれるんじゃないか、と思ったところで。
大木のまん中ぐらいの高さでぴたりと羽根がとまる。
ひゅ~、…………こてっ。
一直線に、お尻からチャータが落ちてきた。
「だっ、大丈夫。チャータ?」
ぼくの心配をよそに、チャータは何事もなかったかのように頭の玉をハテナマークに変えた。
チャータと出会ってからの毎日はこんなにも楽しい。
ぼくはこのしあわせがいつまでも続くといいな、と。
小高い丘のダンボールの上、おかあさんに渡されたおにぎりをチャータと並んでかじりながら、お空の向こうにいる神様にお願いした。
けれど運命は残酷に。
別れはとつぜんやってきた。