第四話 南
南へ高速電車で向かう。
昔、南には大きな国があった。
ケーダという国だ。
今では国が丸ごと悪性のマナに侵されてしまって、立ち入りは禁止されている。
電車でその近くまで行って、その後は車で国境を越える予定である。
俺たちは駅弁を三つ買って電車に乗った。
これからの仕事の報酬は既に振り込みが始められて、それで出し惜しみすることなく最高級の弁当を買ってみた。
電車が走り出すのを待つクリックはそわそわしていて、しきりに窓の外を見る。
まるでホームに立つ人がいなくなれば電車が動き出すと思っているかのように。
電車が走り出すとすぐにクリックは弁当に付いてきたおしぼりで手を拭き、弁当の蓋を開ける。
そして刺身を一口二口とぱくぱく食べると、
「やっぱ電車には駅弁だなあ」と言って、おいしさを表現する。
「駅弁だからおいしいんじゃなくて、高いの買ったからおいしいんだよ」
そう言って、イナナも一口食べて、
「あ、おいしい」と呟く。
「これからは毎日こういうの食べようぜ。報酬高いんだろ?」
クリックは俺にそう言った。
確かに報酬は高くて、毎日こうとはいかなくても、少し贅沢な生活をするくらいのことはできる。
だけど俺は、無理だな、と返した。
「金はあっても、金を使う所がないぞ」
「マジかよ」
「侵食されてるんだからな」
そんな所でずっと暮らすわけはないのだが、クリックはそのことに気付かなかったようだった。
「この弁当が最後の贅沢か」
クリックはエビフライを見つめて、ゆっくり噛んだ。
大事に味わいなよ、とイナナも子供を諭すように言う。
「せめて木の実くらいは食わせてくれよ」
「わかってるよ」と俺は答える。
チャオは人の食べる物だけでなく、チャオらしく木の実も食べる。
人からすればチャオの食べる木の実はどれもまずくて食べにくく、ある意味でチャオは人以上に雑食だった。
「あ、そうだ。じゃあさ、これからしばらくどっかで観光しよう。戦いの前の休息。バカンス。あ、新婚旅行だよ」
クリックは俺たちを交互に見て言った。
そんなのするわけないだろ、と俺はすぐに返したくなった。
一応イナナの気持ちを知りたくて、俺は呆れたような顔をしながらイナナの顔を見る。
するとイナナは、
「新婚旅行は全部終わった後に、めっちゃ凄いのする予定だから。世界一周とか」と言った。
「ああ、それいいなあ。今からやらない?」
どれだけ贅沢な食事をしていたいのだ、と俺は本当に呆れた。
「怖気づいたのか?」
戦いを先送りにしたいと捉えたように俺は言ってやる。
するとクリックは、そうじゃない、と首を振る。
「わかったよ。すぐに終わらせて、それで世界一周、食べ放題ツアーだ」
「世界一周の旅行に食べ放題って付いてくるかな」とイナナは首を傾げた。
終点で俺たちは電車から降りる。
電車の中で眠っていたクリックは、眠そうに俺の肩にしがみ付いて目をつぶっている。
長距離の移動だったために、もう夕方だ。
駅近くのホテルを取ってあった俺たちはチェックインする。
ここで泊まるホテルも、駅弁と同じように、しばらく贅沢なことはできないだろうから大きなホテルにしておいた。
ツインルームは広く、布団を敷いてしまえばもう十人は泊まれてしまいそうだ。
「いい所だな」
部屋の広さと、十二階という高さから見る外の景色の両方を眺めながら、俺はクリックをベッドに転がした。
「また魔獣が突撃してきたりしてね」
イナナは笑って言った。
もっと高い部屋だったらそんな心配をしなかったかもしれないが、デパートや他のホテルなどから魔獣が飛びかかってきそうな高さだった。
「まさかそんなことないと思うけどな」
苦笑いする。
「まあ、私もないと思うんだけどね。でもちょっと心配」
「魔獣は多いだろうしな。でも南には強い魔法使いも多いからな、大丈夫だろう」
そう言って俺はホテルのロビーの自動販売機で買ったコーラを飲む。
悪性のマナに侵された国が近くにあるせいで、国境を越えてきた魔獣が頻繁に現れる。
それで魔獣退治を得意とする魔法使いは以前から南に集まっている。
南の魔法使い、と言えば魔獣と戦うことを好む魔法使いというイメージがあるほどだ。
俺とクリックだけで戦うのは辛いだろうから、ここで仲間を探すというのも悪くないかもしれない。
きっと南の魔法使いたちにも、俺と同様の依頼が来ているはずだ。
「こいつの言ったバカンスじゃないけれど、しばらくここに滞在するのもありかもな」
そう言って俺は、仲間を増やすという考えをイナナに話す。
「それいいね。みんなで戦えば怖くないよ」
イナナに頷かれて、やはり仲間は不可欠だという考えになっていく。
クリックは性能が上がったと言ったって、全身を改造しているわけではないし、クリック自体に天才的な力が宿っているようにも見えない。
俺にしたって、魔法を扱う才能に恵まれてはいない。
そんなので、悪性マナの根源やそれを守る魔獣たちを打ち倒すことができるとは思えない。
「どこで探すの? 酒場?」
「ゲームや西部劇じゃないんだからさ」
俺はそう笑うが、案外酒場はいい場所かもな、と感じた。
「とは言っても、酒場以外だと、どこ探せばいいんだろうな」と俺は言ってみる。
「SNSで出会うとか」
イナナは人差し指を立てた。
「それか、魔獣と一緒に戦って、それで友情が芽生えて仲間になる」
「それができれば一番いいや」
俺はクリックの寝ているベッドに体を横たえて言った。
魔獣と戦っているところで出会えれば、相手の実力もわかる。
いい仲間と出会うには最適の方法だ。
「夕飯どうする?」
イナナに聞かれて俺は、寝ているクリックの羽をそっと撫でつつ、
「ステーキでも食わせてやるか」と答えた。
朝、目を覚ますと、イナナはもう起きていて、ニュースを見ていた。
「おはよう」と俺が言うと、イナナは挨拶を返さずに、
「大変なことになったよ」とどうでもいい世間話をするようなテンションで言った。
「どうした」
「ちょっと遠くだけど、でもケーダからこっちの方に悪性マナの塊みたいなのが落ちてきたってさ」
「マジかよ」
クリックはまだ眠っている。
ニュースでは、悪性マナの落ちてきたという地域の映像が放送されている。
そこでは何頭もの牛が魔獣となって、暴れている。
そして所々で魔法使いによって倒される。
「魔獣がこっちに来るかもしれないから気を付けろってさ。外でも放送されてるよ」
「そうか」
窓を開けてみると、魔獣に警戒するようになどと言っている放送が聞こえる。
クリックが飛び起きる。
「魔獣が来るぞ!」とクリックは言った。
俺たちは、そんなこと知ってる、という顔をして立ち上がる。
「じゃあ一度外に出るか」
イナナは頷く。
また部屋に突っ込んでこられても困る。
もしくはこのホテルが崩されるかもしれない。
「急げ近いぞ」
クリックが早口でそう言うなり、ホテルは大きく揺れた。
「まさかこれ?」と俺が聞くと、クリックは頷く。
遅れて外の放送が、魔獣の出現を速報で告げる。
「上か? 下か?」
「上」
「右腕だ」
クリックは指示した通りに、俺の右腕に座る。
俺はクリックと同調する。
クリックの体はほとんど溶けない。
機械の脚と俺の右腕を接着する分だけ尻尾が溶けているだけである。
廊下に出ると、同じ階の宿泊客が動揺しながら階段に向かっている。
エレベーターで逃げる人がいないことを期待するが、エレベーターはどれも上へ下へと動いている。
階段で上ろうにも、下りてくる人の波には逆らえそうになく、俺たちも一階まで下りることになる。
「向こうはまだ同じ階で暴れてるような感じがする」
クリックは囁くように俺に言ったが、一階のロビーは人で溢れていて、周りに聞かれたように思った。
ホテルの外に出ようとする流れから外れるように、壁際に俺は移動する。
俺にぴったり付いてきていたイナナに、
「お前は逃げてもいいんだぞ」と言う。
「え、こっちの方が安全そうだし」
否定はしないけれど、肯定もできない。
まあいいか、と思う。
「じゃあ人がいなくなったら、適度に離れてろ」
「うん」
人はホテルの外へ逃げていって、ロビーには俺と同じようにチャオと一緒にいる魔法使いらしき人間だけが残る。
俺たちを含めて、魔法使いは四人いた。
「さあ、どうしようか。ここで迎撃か、こっちから行くか」
両腕にチャオの体の機械をまとった魔法使いの一人が言った。
「考える必要はなくなったみたいだぞ」
クリックは小さな声で言った。
同じように悪性のマナを感知できるらしいチャオの飼い主が、来るぞ、と大声で言う。
「落ちてくるみたいだ。そこから来る」
クリックは俺の右腕を動かして、エレベーターに向ける。
他の魔法使いたちもエレベーターのドアを注視する。
そのドアを破って、魔獣が姿を現した。
猪のような姿をしている。
まるで弾丸のように体は変形している。
猪らしいことから、全員が相手の攻撃を避けてこちらの魔法を当てる戦い方を選んだらしく、脚に力を入れている。
そして魔獣も身構えていた。
動けばやられるとわかっているかのようだった。
そこにクリックが、そういう気配に気付いていないかのように唐突に、魔法を放つ。
拳ほどの大きさの氷の塊を脚の機械から飛ばした。
それをこめかみに当てられて、魔獣は即座にこちらに突進してくる。
クリックのやりたいことは俺の頭に伝わってきていた。
俺は魔法の力で脚力を強くして、横に飛ぶ。
それと同時にクリックとの同調をやめて、俺の体から離す。
魔獣の体は俺の横を通り、そしてクリックはその魔獣の体に取りついた。
魔獣は前肢の片方でブレーキをかけ、そこを中心にして体の向きを変えることで方向転換をして、止まることなく走り続ける。
その魔獣の体にしがみ付くクリックは、ナイフを振り下ろすように脚を魔獣の体に突き刺す。
「俺の勝ちだあ!」
それは攻撃の手に困っている魔法使いたちに言っているようにも聞こえた。
そして突き刺した先から爆発の魔法を使って、魔獣の体内を破壊していく。
クリックは魔獣の体が二つに引き裂かれるまで、爆破を続けた。
「どうだよ俺の戦いは」
さっきの台詞はやはり魔法使いたちに向けたものだったらしい。
誇るようにクリックは魔獣の体の上に立って言った。
魔法使いたちはそんなクリックを見ていた。
「俺は死ぬかと思ったぞ!」と俺は叫ぶ。
「私も!」
イナナも叫ぶ。無事なようではある。
俺はクリックの思い付きを実行する時に、イナナのことを意識から外していたことに気付いた。
俺たちがクリックに文句を言ったことで空気は緩んだようで、
「飼い主放り出して戦うなんてあり得ねえよ。クレイジーだ」と両腕に機械をまとっていた魔法使いは言った。
「普通に戦えばよかっただろうに」
他の魔法使いもクリックに呆れたように言う。
「そうでもないでしょ。だって、チャオとの同調切って戦う魔法使いってよくいるだろ」
クリックは反論する。
確かに同調することで短時間に細かい指示を出せるのを利用して、チャオをブーメランのように繰って戦う魔法使いはいる。
俺も右腕にクリックを乗せたのは、そういうことをするつもりだったからなのだが、
「飼い主がそうしろって指示したわけじゃないんだろ?」と魔法使いに言われる。
「ああ。俺のアイデアだ」とクリックは言う。
「それで飼い主を危険に晒すのは、やめた方がいいぞ」
「勝ちゃあいいのさ、勝ちゃあ」
クリックは少しも彼らの言うことを聞こうとしない。
それで魔法使いたちの視線は俺の方に向いて、
「お前チャオ変えた方がいいぞ」とか言われてしまうのだった。