第二話 破裂して、旅立ち
結婚式をしてから俺たちは旅立つ。
式場できちんとやっては時間がかかるので、式とは言えないくらいの簡易なものを俺の暮らしているマンションの部屋で行うことにした。
家族や友人を呼んで飲み食いするだけの、ただのパーティだ。
ちゃんとした結婚式はいつかやろうね、とイナナは言った。
そのパーティにクリックは参加できなくなった。
クリックのメンテナンスは一日長引くのだと連絡があった。
「クーが戻ってこれないの、残念だね」
「これから危険な戦いに飛び込むことになるからな。クリックもそれなりに自分を強化するつもりなんだろう」
チャオの改造については、飼い主である魔法使いが意見を出すことが多いそうだが、俺はクリックに判断を任せている。
それはクリックの意思を尊重してのことではなく、クリックの方が自身を改造することについてよく学んでおり詳しいからだった。
そして今回のように、こちらには連絡もなくクリックとメンテナンスセンターが勝手に改造を進めることは常だった。
「ケーキどうやって切ろうか」
イナナはゆっくりチョップをするように右手を動かして考える。
クリックがいれば、買ってきたホールケーキは八等分すればよかったのだ。
俺たちのパーティに来るのは、イナナの両親と魔法使いの友人一人とそいつのチャオ、それからイナナの友人が一人だ。
俺の両親とは五年前から連絡が取れなくなっていて、呼ぶことができない。
「八等分して、食べたいやつにやればいいんじゃないか」
たぶん友人の魔法使いかチャオが食うだろうと想像して俺は言った。
「そっか、そうする」
チキンやケーキなどが並べられているのを見て、クリスマスみたいだな、と魔法使いのツキは言った。
「半年早いじゃん!」
彼のチャオ、ウサウサがそう叫ぶように言って笑った。
クリックと比べて随分子供っぽい言動をする。
クリックも生意気なことを言うだけで子供っぽくはあるのだが、ウサウサの落ち着きのなさはまさに幼い子供のもので目に付くのだ。
「一応、ウサウサにプレゼント買ってきたよ」とイナナは言った。
するとイナナは目を輝かせて飛び、イナナにぐっと顔を近付けて、
「本当に!?」と言った。
笑顔のままイナナは頷き、包装されたプレゼントを渡した。
「やっぱりクリスマスだ!」
機械化されて大きくなった手で万歳するように受け取ったプレゼントを持ち上げてウサウサは喜ぶ。
「開けていい? ねえ、開けていい?」
「いいよ。開けてごらん」
「やった」
ウサウサは一転黙り込んで、包装紙が破れないようにテープを慎重に剥がす。
そして中の箱を開けると、そこにあった物を見て固まる。
イナナからのプレゼントは、図書券だった。
「図書券じゃん」
ウサウサはがっかりして、仰向けに倒れた。
イナナの笑みが、優しいお姉さんの振りをしたものから、意地悪そうなものに変わっている。
俺も笑いを抑えきれない。
このプレゼントは二人で選んだ。
ウサウサの騒がしさには飼い主のツキも困っていたし、いつもうるさくて苛立たされるので、ウサウサが喜ばないであろう物を選んだのだった。
「ありがたい。これでウサウサに勉強させるよ」
ツキも笑っていた。
ウサウサは勘弁してほしいといった感じで変な声を出しながら転がってうつ伏せになった。
「まあ、とにかく食べよう」と俺は言った。
ウサウサはケーキを食べたがったが、それは後で食べると決まっている。
ケーキ入刀をするのだ。
ツキがチキンをやると、ウサウサはそれを食べるのに夢中になって静かになった。
「なんか子供みたいですね」
ウサウサを見て、イナナの友人のミリアがそう言った。
「ああ、ガキなんだ。そいつのチャオは大人しいんだけど」とツキは答える。
「こっちはこっちで子供だよ。小学生とか中学生とか、そんな感じ。結構楽しいよ」
イナナがそう言うと、ミリアはうなだれて溜め息をつき、
「私も結婚しなきゃなあ」と言った。
「いつから付き合ってたの。全然知らなかった」
「私たちも知らなかった」とイナナの母が言った。
「いつからって。いつだろう?」
イナナは首を傾げた。
俺もわからなかったから、いつだろうな、と言った。
「え、何それ、どういうことなの」
「告白とかしなかったから」とイナナは説明した。
恋人という関係になった境目があったとしたら、それは初めて体を交わらせた時となるだろう。
それは中学生の時になる。
まず小学生の頃、俺たちは好き合っている男女がそういうことをすると知った。
授業で教えられたのである。
そして、もしもする相手がいるとしたらこいつだろうな、と俺たちは互いに思った。
相手が自分と同じように考えているとわかって、じゃあそういうことなのだ、という気分になったのだった。
実際に事に及ぶまでには間があったが、数年その気持ちが変わらなかったので余計に、そういうことなのだ、という気分は確信めいたものに変化していた。
「ずっと一緒にいたから、まあ、不思議なことでもないよ」
イナナはなんでもないことのように言った。
「それだったら幼稚園の時から付き合ってたことになるねえ」とイナナの母はにこにこして言った。
「二人は凄く仲良かったから。こうなるんじゃないかって、思ってたのよ」
イナナの母はミリアにそう言った。
そうなんですか、とミリアは相槌を打った。
「そう。マキハル君のところで飼っていたチャオと一緒にね、朝から晩まで遊んでたの。あの子が来れないのは残念ね」
「うん。どこ行っちゃったんだろうね」
イナナは頷く。
そして事情を知らないミリアと、それからツキに向けてイナナはそのチャオがある日姿を消してしまったことを話した。
「寿命ではないんだよ」と俺は補足した。
「そうなのか?」
「あのチャオはカオスチャオだったから」
カオスチャオは、不死のチャオだ。
仮に不死でなくても人間以上に長命だと言われている。
そんなチャオを俺の両親は飼っていたのだった。
「だから生きてると思うんだけど、再会できてないんだよね」
「カオスチャオは長生きだからな。賢くなって仙人みたいになって、何十年か後に会えばいいやくらいに思っているのかもな」
冗談というふうでもなくツキは言った。
チャオは魔法使いのために改造されて初めて喋るようになる。
しかし改造される前からコミュニケーションは取れるし、その小さい体にしては考えられないほどの知性がある。
だからチャオの中には人間以上に賢いチャオもいるという想像をする人は少なくない。
ツキもそういった人間の一人のようだ。
「そうだね。いつか会えるよ」とミリアは頷く。
「うん、そのつもり」
イナナは頷く。
ウサウサがチキンを食べ終わりそうになっているのを見て、ツキはもう一つチキンをウサウサにやった。
「でも安心したわ。イナナがマキハル君とくっ付いてくれて」
「何それ」とイナナは母の言ったことに笑った。
「ほら、あの子だけじゃなくて、マキハル君の両親も行方不明になっちゃったじゃない。だから私はマキハル君のことが心配で心配で」
言っている途中でイナナの母は泣き出した。
「泣くなんて、大袈裟ですよ」
なだめるように俺は言った。
するとイナナも、そうだよ泣くことないじゃない、と言う。
しかしイナナの母は涙をぽろぽろと流しながら、
「イナナはたくましく育ったから、本当に、マキハル君が私の子供じゃないことがもどかしくてね。だから二人が一緒になってくれてよかった。これでマキハル君も幸せになれると思うから」と言った。
それを何度も深く頷きながら聞いていたミリアが、
「よかったね」と俺たちを祝福した。
「うん」
ツキはまた新しいチキンをウサウサに渡す。
ウサウサはのんきに食べている雰囲気ではないことを察して、食べるペースが落ちている。
それでも一応チキンをかじってはいる。
イナナの母が泣き止むのを待って、
「そろそろケーキいこうか」とイナナは笑顔で言った。
ケーキを切る前に、乗せてもらっておいたプレートを取り外す。
チョコペンで二人の名前と、その間にハートマークを書いてある。
包丁を二人で握る。
「こういうのってそれ用の包丁あるのかな」
二人で持つには柄が短くて、イナナは言った。
ケーキは切った所が潰れた。
「それじゃあ後は私が切るね」
ミリアは俺たちから包丁を受け取った。
八等分でいいよ、とイナナが言うとミリアはその通りにケーキを等分した。
ウサウサがプレートを欲しがるが、
「駄目。私が食べる」とイナナはそのプレートを取った。
「ええ、なんで」
「その代わりケーキは二つあげる」
「まあ、それならいいけど」
ウサウサはケーキをもう一切れもらう。
「よく食べるなあ」とミリアは呟くように言った。
「意外と食べるよ」
イナナはそう言うと、プレートの角を口にくわえて噛み砕こうとした。
歯を食い込ませたところで何かを思い付き、手でプレートを抑えて、
「そうだ、二人で食べよう」と俺に言った。
「誓いのキッスだ!」
ウサウサは叫んだ。
何がどう誓いのキスなのか俺にはわからなかったが、イナナは理解したらしい。
「そうだね」
イナナはプレートをくわえたまま、俺に寄ってきた。
それで棒状の菓子を二人で食べるゲームから連想しての誓いのキスなのだとわかった。
プレートは大きくて、ろくなキスにならないだろうと思った。
それでも周りはもう俺たちに注目してしまっていて、やるしかないと思った。
その時に、警報が鳴った。
魔獣が発生したのだ。
「マジかよ」
うんざりと、ツキは言った。
魔法使いの彼は対処に向かわなければならない。
「運動したらまた食えるよ」とウサウサは元気だ。
「俺が守ります。離れないでください」
ミリアはイナナの両親に向けてそう言う。
そして俺に向けて、
「お前も戦えれば安心なんだがな」とぼやいた。
「お前のチャオを使わせてくれれば戦える」と俺は返した。
「あほ言うな。同調できねえだろ」
魔法使いはチャオの力を借りて魔法を使う。
そのチャオを魔法使いが飼うのは、自分用に調整したチャオでなければチャオと同調することが難しいからだ。
仮に同調できたとしても、自分用に調整したチャオと比べて弱い魔法しか使えない程度にしか同調できない。
「さあ、行くぞウサウサ」
「うん」
ウサウサの頭の上の球体が淡く光る。
そしてウサウサの肉体はその球体に吸い込まれるように、形を失ってまとわりつく。
機械だった部分も球体を作るように変形して一緒になっている。
そうしてできた大きな球体をツキは握り、自分の胸に押し付ける。
すると球体を覆うウサウサの肉体だったものがぐずぐずとペースト状に形を変えて胸に広がる。
そして球体はツキの胸に触れ、ツキの体内に潜り込んでいく。
球体が全てツキの体内に入ると、ウサウサの肉体だったペースト状のものが急に意思を持ったように形を作り出しながら移動する。
剣の形になって、ツキの右腕に装着された。
ウサウサの手足だった機械はその右腕の剣の中核となり、それを刃になったウサウサの体が覆っている。
ツキは左手でスマートフォンを操作して魔獣の情報を得ようとしている。
俺も魔法使いなので情報がスマートフォンに入ってきている。
それで確認すると、魔獣はこの近くで発生したことがわかった。
「近いな」
「だな」
ツキが部屋の窓の方を見ると、丁度魔獣がこちらに飛びかかってきたところだった。
窓を突き破って、魔獣が入ってくる。
魔獣はドーベルマンが変化したもののようだった。
それらしい体つきをしている。
しかし体は大きくなっているし、四肢が筋肉質になっている。
悲鳴を上げるイナナの母とミリアを、俺とイナナはかばうようにしながら、後退する。
「切り裂け」
剣を魔獣に向け、静かにツキは言った。
すると剣が光り、魔獣の耳が落ちた。
他にも小さな裂傷がいくつかできる。
その痛みで魔獣は吠え、興奮してツキに飛びかかる。
ツキは飛びのく。テーブルを越えて、着地する。
魔獣は前肢を振るってテーブルを倒す。
ツキは着地するところを目がけて剣を突き出す。
「切り裂く」
光った剣は魔獣の額に刺さった。
深くまでは入らなかった。
魔獣は叫びながら後ろにひいた。
ツキが追い立てる。
魔獣は距離を取ろうとして下がると、ベランダの壁がなくなっていて落ちた。
おそらく魔獣がさっき壊したのだろう。
落ちた魔獣を他の魔法使いが狩ろうと、魔法の炎を手から出すのが見えた。
「たぶん大丈夫だな」
ツキはそう言って、俺たちに微笑んだ。
「はあ、よかった」
イナナの母が脱力して、その場に座った。
「やばいねえ、これ」
壊れた窓とベランダの壁をまじまじと見て、イナナは言った。
「どうせもう出ていくから、いいにはいいんだけどな」
もうここで生活するわけではないのだ。
でもいつか戻ってくることを考えて、持っていかない物はここに置いていくことにしてあるから、それを考えると困った。
「いっそここ引き払っちゃう? 物は全部捨てちゃってさ」とイナナは言った。
そうしよう。
壊れた窓から入ってくる夜風を受けて、俺はそう答えた。