最終話 進化
トウマが産まれてから十ヶ月くらい経つと、トウマの色も形もヒーローヒコウチャオにかなり近付いてきた。
もうすぐ進化するということだろう。
一緒にトウマの進化を見守りたい、と瑠加は言った。
つまりそれは、私が瑠加の家に泊まるということだった。
そのことを話したら、私の両親は休日ならいいと言ってくれた。
平日にトウマが進化したらどうしようもなかったけれど、トウマは待ってくれた。
土曜日は、例のごとく早い時間に瑠加の家を訪れる。
まだ頭の上に浮いている物の形が丸いトウマを私は撫でて、
「待ってくれてありがとう。もう進化してもいいからね」と言う。
トウマは大きく頷く。
「これは本当に今日進化するかもね」
頷くのを見ていた瑠加のお母さんが言った。
「まさか」と私は笑う。
「でも今、頷いてたでしょ。本当に待っててくれたんじゃない?」
「チャオってそんなに気が利きます?」
「利く利く」
本当かなあ、と私は笑った。
人の話していることの意味だって、本当にわかっているのか怪しいと思う。
トウマが傍から離れてしまわないように、リビングの戸やドアは全部閉めておき、テレビを見ながら時間を潰す。
瑠加のお父さんは三脚を付けたビデオカメラを立てていて、進化を撮影する気だ。
そして瑠加のお母さんは昨日のうちにこの休日に食べる物をすっかり用意してしまったそうだ。
なんて気合いの入り方だ。
「いつもこんなふうになるんですか? 進化の時は?」
「そうだよ」と瑠加は言う。
「この二人は、だけどね」
瑠加のお母さんはそう言った。
「私は、今回は楽しそうだから張り切っちゃっただけ。でもこの二人はいつもこんな感じ」
「だって貴重な資料だよ。チャオの進化や繁殖って、まだ科学的にはわからないことだらけなんだ。正直、もっと本格的な機材で撮影したいくらいだもの。大学に連れていくなりしてさ。そうだ、今度研究用に一匹チャオを飼おう」
そのチャオは大学にも連れていって、付かず離れずで一生を記録する。
そうしたら貴重なデータになるかもしれない、と瑠加のお父さんは興奮して言った。
お昼時になってもトウマは進化しない。
進化し始めたら呼んで、と瑠加のお母さんはキッチンに行った。
それから十分程度で昼食が運ばれてくる。
お茶漬け、唐揚げ、サラダ、ハンバーグ、わかめの味噌汁。
「今日はお湯とレンジが大活躍」
瑠加のお母さんは得意そうに言った。
テーブルに食べ物が並ぶと、瑠加のお父さんもチャオたちに木の実を与える。
トウマは勢いよく木の実を食べて、他のチャオよりも早く平らげた。
「トウマってこんなに食べるの早かったっけ?」と瑠加は両親に聞く。
「どうだっけ」と瑠加のお父さんは首を傾げた。
こういう日でもないとあまり注意して見ないからね、と瑠加のお母さんは笑う。
「これからは記録しないといけないな」
瑠加のお父さんがそう言っている途中で、瑠加が声を上げた。
「始まった」
トウマが行儀よく座っていて、生まれたてのチャオの頭と同じ形状の繭が膜のように薄らと発生していた。
「大変だ」
飛び上がるように瑠加のお父さんは立ち上がった。
ビデオカメラの電源を入れ、カメラをトウマの方に向けて撮影を始める。
さらにテレビの近くに置いていたデジタル一眼レフカメラを取った。
それでも写真を撮る。
私たちは撮影の邪魔にならないように繭から少し離れて、進化を見守る。
まだ膜のような繭は、色の付いた液体がゆっくり浸透していくみたいに色を濃くなり、トウマを隠していく。
瑠加は両手を堅く組んで、祈るみたいになっている。
狙い通りにヒーローヒコウチャオになってくれ、と願っているように見えた。
トウマの外見はかなりヒーローヒコウチャオに似てきていたから、たぶんちゃんとヒーローヒコウに進化するはずだ。
だけどもししなかったら、その時私たちはちゃんと手放しで進化を喜んであげられるんだろうか。
心配で、私も両手を組んだ。
繭がすっかり出来上がってトウマを完全に隠してしまうと、膜みたいだった時とは違って繭は頑丈そうに見える。
「これ、触ってみてもいいですか?」
私は瑠加のお父さんに聞いた。
瑠加のお父さんは、いいよ、と言ってくれる。
私は繭に両手で触れる。
繭は堅くて、冷たかった。
「どう?」と瑠加のお父さんに聞かれる。
「堅いです。タマゴとかと同じに」
私は繭を指で軽く叩きながら答える。
進化する時、チャオは三十分くらい繭の中にいる。
私たちはその間に、急いで昼食を済ませる。
私たちが食べている間、チャオたちが繭の周りを囲んで観察していた。
そして、進化が始まってから二十五分が経った。
興味を失って遊んでいたチャオも繭の近くに連れ戻して、みんなで見守る。
「また触ってて、いいですか?」
「いいけれど、軽く触るくらいにした方がいいかもしれない」
よくわからないけどね、と瑠加のお父さんは言った。
言われた通りに、力をかけてしまわないように気を付けながら、私はまた両手で繭に触れた。
進化が終わることに初めに気付いたのは瑠加のお父さんだった。
「ちょっと色が薄くなってない?」と言った。
そう言われても、さっきまでとの違いが私にはわからなかった。
けれどどんどん色が抜けてきて、中のトウマの影が見えるようにもなる。
そして繭も堅さを失ってきて、しっかりしたゼリーみたくなってきていた。
その感触の変化で、私は知らずに力をかけていたことに気が付いたけれど、変化していくのを確かめたくて、私はそのまま触れ続ける。
「よし」
瑠加がガッツポーズをする。
中のトウマがヒーローヒコウチャオになったことを、影の形から判断できたみたいだ。
「ヒーローヒコウだよ。羽が大きい」と瑠加は私に教える。
「うん」
繭が透けて進化したトウマの姿がはっきりしてくるにつれて、繭の感触はどんどんぷにぷにとして、ゼリーに近付く。
けれどゼリーのような繭は決して水のようにはならずに、ずっと形を保っている。
チャオの触り心地にそっくりになって、私はこの繭もトウマの一部なのだと感じる。
繭は最後に、するっとトウマの体内に吸い込まれて、消えた。
瑠加のお母さんが拍手をして、おめでとうとトウマに声をかけた。
それがきっかけで、お祝いムードになった。
チャオも含めてみんなでトウマに拍手する。
トウマは嬉しそうに笑うと、立ち上がって、その場でくるりと回った。
進化した自分の姿をみんなに披露しているのだろう。
「トウマ、こっち」と呼ばれて、トウマは瑠加の方に歩いていく。
瑠加はトウマを抱き上げて、そして高く持ち上げた。
「さあ、飛んでみな」
そう言って瑠加はトウマを優しく上へ放り投げる。
トウマは大きくなった羽を動かして飛ぶ。
すると以前とは違って、上がったり下がったり、好きなように高度を変えてトウマは飛んだ。
放っておくと、いつまでも飛び続けていそうだ。
「トウマ、こっち」
私は両腕を広げる。
するとトウマは真っ直ぐ私の方へ飛んできた。
私はしっかりとトウマを抱き締めた。
体が一回り大きくなっていることがわかった。
その成長に胸を打たれて、私はトウマに何か言ってあげたくなった。
「お前、もっといい子になれよ」
抱き締める力を強くして、言った。
すると瑠加のお母さんが、私にも抱かせて、と近寄ってきた。
トウマを渡してあげると、
「たくさん食べて長生きしてね」と瑠加のお母さんは言い、そしてトウマを瑠加に渡す。
一人ずつ声をかけることになってしまったみたいだ。
「ええと、楽しくやっていこうな」と瑠加は言った。
最後は瑠加のお父さんだ。
トウマを渡された瑠加のお父さんは何十秒も考えた末に、
「君たちが末永く繁栄しますように」と言った。
なんだそりゃ、と私たちはくすくす笑った。
だけどそれが今言う台詞じゃないっていうだけで、凄く大切な祈りだっていうことは、私にもわかっていた。
無理だけどいつまでも一緒にいようね。
私は声には出さずに、心の中で瑠加やチャオたちにそう言った。