4話 ペンギン・ヒット
洞窟から出てきたリコは水色の作業着を着ていた。
腕に沿って黄色いラインが入っている。
産まれたばかりのピュアチャオをイメージした配色なのだ。
チャオガーデンらしい作業着だった。
そして髪にはタオルを巻いている。
「みんな普段着ていないんだけどね、これ一応制服というか、作業着というか、そんな感じで一応あるのよ」
とマユカが僕に説明した。
濡れた制服はマユカが持っていた。
ホウカが制服を注視していたかと思うと、火を噴いた。
「うわっ」
とマユカは体をよじって制服を守る。
「びっくりした。なに、乾かそうとした?」
「チャオ!」
「あ、そうなのね。それじゃあ、ね」
マユカは数歩下がり、手を洗濯ばさみ代わりにしてブレザーとスカートを干すように広げた。
「お願いします」
「チャオ~!」
再びホウカが火を噴く。
今度は充分に距離を取っているので、火が届く心配はない。
制服と火の先端は二メートルは離れていた。
これで乾かせるのだろうかと思って、僕は制服の前に手をかざしてみた。
「おお、あったかい」
「インクくんも持ちなさい」
「はあい」
「ブレザーお願い」
「はいはい」
僕がブレザーを持ち、マユカはスカートとブラウスを持つ。
ホウカは扇風機のように首を振り、制服にまんべんなく熱風を当てていく。
「すごい、この子。ドラゴンをキャプチャしたの?」
「そうなんだよ。やっぱり羨ましい?」
「めちゃくちゃ羨ましい。すごく高いよ、ドラゴンって。ヘルメタルが寿命迎えるまでに一度キャプチャさせてあげたいんだけど、無理かなって思ってるもん」
リコはハイハイの姿勢になって、ホウカの横顔を観察していた。
そんなリコの姿を見て僕は、そういえば眼鏡もきちんと拭いたんだな、と思った。
「セレブが道楽であげるって感じだもんな、ドラゴンなんて」
と僕は言った。
するとリコは、
「もしくは愛だよね」
と言った。
「愛?」
「そう。高級な餌あげたりするじゃん。それと同じ。価値の高い物をあげることで、愛情を示すってわけ。そういう愛し方もあるでしょ?」
リコはヘルメタルに向かって、火を噴く真似をした。
大きな口を開け、ゴオオオ、と言う。
だけど怖い顔をしていて、火を噴いているというより、ライオンが威嚇しているみたいに見える。
ヘルメタルはビビッてしまい、泣き出した。
「ああ、ごめんごめん。怖くないよ、怖くない」
リコは慌ててレスリングのタックルみたいにヘルメタルに飛びつき、頭を撫でまくる。
その様子を見て僕は笑った。
「なにやってんのさ」
「いいの。愛は時々空回りするけど、空回ってもいいから回すのが大事なの」
「いいこと言うね」
とマユカが言った。
「今の、いいこと言ってた?」
「言ってた言ってた」
「そうなのかなあ」
必死にヘルメタルをなだめているのは、原始的な火起こしを思わせた。
やっと付いた小さな火を消さないために息をふうふう吹き込む時の必死さだった。
人生がどんなにクソな終わり方をしても
私の愛は絶対に 死なない
唐突にマユカは歌い始めた。
「急に歌い出したな」
と僕が言うと、マユカはウインクをして、さらに続きを歌った。
こぼれまくっても走り続ける血は
元々はあなたからもらったもの
歩けなくなっても
駆け上がってやるぜ
どうなっても行くんだこの先へ
永遠なんてあり得ない?
夢は夢でしかない?
そうかもしれないけれど
錯覚の永久機関を
持って生まれてきたんだ
あなたが愛したものは死なない
「やっぱマユカさん歌、上手いですよね」
リコとヘルメタルが揃って拍手をする。
マユカはそれに手を振って応える。
「ありがとう!熱くなれたかな?」
一番熱くなっているのはお前だけどな。
やっぱり頬が赤くなっているマユカを見て僕はそう思った。
「歌うの好きなんですか?いつも歌ってるし」
「うん、大好き。それに、私がこの歌を歌うと、みんな転生できるんじゃないかなって思ってるんだよね。おまじないみたいなもんかな」
「そうなんですか。やったね、ヘルメタル」
「チャオ!」
リコはおまじないの対象がヘルメタルやホウカだけだと思ったみたいだ。
マユカは自身が転生したという話をリコにはしていないのかもしれない。
僕はマユカに耳打ちした。
「みんな転生できるって、もしかしなくても僕やリコも含まれてるんだよな」
「そうだよ」
マユカは小さく頷いた。
「やっぱりみんなに転生してほしいからね。たくさん歌って愛情を届けるのさ」
人間の命がチャオと同じようにいくものだろうか。
僕はそう思うのだが、マユカの言い方には芯があった。
信じる信じないの域を越えて、人間の転生についてそういうものだと受け止めている。
そんな感じがマユカにはあるのだった。
現実を直視している、みたいな。
マユカが直視しているものが本当に現実かどうかはさておき、マユカはそれを直視している。
彼女と比較すると僕はなんにも見ていない気がしてくる。
「そういえば歌で思い出したんですけれど、今日はマユカさん、氷やらないんですか?」
とリコが聞いた。
ああ、氷ね。
とマユカは思い出したように言った。
「忘れてた。こんなことになってるし」
乾かしている最中の制服を上下させる。
「あはは。ごめんなさい、ごめんなさい。私が持ちます。だからマユカさんの氷の彫刻、見たいなあ」
ハイハイしていたリコは苦笑いしつつ立ち上がる。
そしてマユカから制服を受け取り、マユカが立っていた所に立つ。
「じゃあちょっと待っててね」
マユカは小走りで洞窟に向かった。
せっかく交代したのにホウカは火を吐き続けるのに疲れたみたいで、マユカが洞窟に向かうとすぐに火を吐くのをやめてしまった。
ホウカは仰向けに寝転がる。
「あらら」
とリコは笑った。
だけど僕たちはなんとなく制服を同じ場所で制服を持ち続けた。
お互い、そうしているべきという気がしたのだ。
「マユカさんの氷彫刻、見たことある?」
とリコは僕に言った。
「あるよ。あの人、いつもやってるし」
「素敵だよね」
「チャオを喜ばすためだけに、よく手の込んだことをするよな」
たぶんステーションスクエアであんなことをする練習も兼ねているんだろうと思いながら言う。
「本当にチャオのこと、愛してるんだろうなあ」
リコは羨ましそうに言った。
「私、自分のチャオのこと、本当に愛せているか自信ないもん」
「愛してるんだろ?ヘルメタルのこと」
「もちろん。でも私の『愛してる』ってみんなの『愛してる』とちゃんと同じレベルに達しているのかな。ヘルメタル、この前六歳になったんだ」
チャオの寿命は五年から六年と言われている。
つまりヘルメタルはもうすぐ寿命を迎えて、リコが充分に愛していたのならピンク色の繭に包まれて転生する。
「それならお前も氷彫刻やればいいんじゃないか?」
それは真顔で言った冗談のつもりだった。
転生とか愛とかいう曖昧な問題、冗談でないとなにも言いようがない。
だけど言ってみると、案外いい手段なのではないかと僕は思った。
確信というのとは違う。
けれども、くよくよ悩んでいるくらいならチェーンソーを持ってみた方がいい、という気がするのだった。
「氷彫刻?マユカさんの真似して?」
冗談の方で通じて、リコは笑った。
「とんでもないものが出来上がって、きっと不機嫌になるよ」
「マユカだって、そんなに上手いわけじゃないだろ」
などと言っていると、マユカがいつものように氷を載せた台車を押して洞窟から出てきた。
「さあて、今日はなにを作ろうかな?」
マユカは氷を手のひらで撫で、ううむと考える。
そしてチャオや僕たちを見渡したかと思うと、
「そうだ。せっかくだからインクくん、今日は君がやろう」
「は?」
「私が教えるからさ。やってみな」
「いいね。面白そう」
とリコが後押しをしてくる。
「いや、それならリコがやればいいじゃん」
ちょうど、さっきそういう話になったのだし。
しかしリコはなぜか頑なに僕にやらそうとするし、マユカは逃げるなみたいなことを言い始めるしで、結局僕がチェーンソーを持つ羽目になる。
「最初は大雑把な形を決めればいいよ。細かい所は後でノミを使って彫るからね。ゆっくりと刃を入れていってごらん」
僕は作りやすそうな小動物をイメージしながら、チェーンソーの刃を慎重に入れる。
チェーンソー自体は重いのだが、これまで見ていたとおり、刃は氷ではなく水の塊に沈んでゆくようにするりと通る。
チェーンソーを操るというよりも、ミシンを使って裁縫するみたいに、勝手に切れていく感触だった。
僕がやることといえば、自分の思い描く形に沿って、進路を調節するだけだ。
「そうそう。いい感じ。君が今やっているのは、氷を壊しているんじゃなくて、氷から命を取り出しているんだ」
マユカがチェーンソーに負けない大声で僕に言う。
間近で僕の作業を見てアドバイスを送るマユカは時折飛び散る氷の粒を顔面に受けるが、それでも立ち位置を変えないで僕の手の動きを見守っている。
僕はステーションスクエアにいる家族のことを思った。
ハンマーを振るって凍った人々を砕いていたマユカの姿を思い出した。
マユカの言うように氷から命を取り出したい。
目の前にある氷に、僕は家族や僕自身を重ねる。
ステーションスクエアが凍った日から僕のなにかが動かなくなってしまった。
この手で解放したいと望みながらチェーンソーを持っていると、マユカが込めているという愛の実体を感じられるような気がした。
チェーンソーで大体のシルエットを作ると、
「なにこれ、お地蔵さん?」
とリコはコメントした。
「違うよ。ここからちゃんと小動物になる」
僕が作ろうとしているのはペンギンだった。
チェーンソーを置き、ノミと金槌を持つ。
マユカがいつもやっているみたいに、まずは平ノミを使って、シルエットをより明確に作っていく。
「そうそう。そんでもって、歌うんだよ」
とアドバイスを受ける。
「なんで僕まで歌わなきゃいけないんだ」
マユカは歌いたいから歌っているだけだろう。
「みんなそれを期待してるんだよ。これはそういうショーなんだから」
「あんたが勝手にそんなショーにしたんでしょうが」
「いいから、歌う」
氷から目を離すと、クエスチョンマークを浮かべているチャオがいるのが見えた。
本当に、チャオまでそれを期待しているらしかった。
仕方なしに僕は歌った。
いつもマユカが歌っているあの歌だ。
だけど僕の歌は散々だった。
それでも期待を受けて歌い切るしかなかった。
酷い目に遭って、マユカの歌が上手いことを実感する。
マユカは歌をちゃんと自分のものにしている。
利き手でペンを持って文字を書くみたいに、日常の技能として身に着けている。
そういうレベルで自分のものになっているのだ、ということを僕は歌わされたことで感じた。
僕はただただ恥ずかしさで顔が赤くなっていく。
体もほのかに熱くなってくる。
だけどこれはマユカと同じ熱じゃない。
本当に、彼女は自称していたとおり、アイドルの生まれ変わりなんじゃないか。
と彼女の言っていることを本当に信じるつもりになった。
そしてペンギンの像が出来上がる。
「やっぱりお地蔵さんじゃない?口が尖ってるお地蔵さん」
とリコは言った。
「ペンギンだっての」
「見えないこともないね」
とマユカに言われる。
確かにこの前マユカが作ったハト以上に不細工だった。
だけど一応ホウカやヘルメタルたちは氷のペンギンを触って楽しんでくれている。
「でも才能あるよ」
優しくマユカは言った。
「お世辞はいいよ」
「本気で言ってる。氷を削る時、インクくんの目はすごく集中していて真剣だった。そういう状態で氷になにかを込めようとしていた。誰かを感動させるものを作る時にはね、その姿勢がまず大切なんだな。込めようと思わなきゃ、なにもこもらないわけでしょ」
「それは少しわかったよ」
褒め言葉をそのまま受け取って喋るのって気恥ずかしいものがあったけれど、マユカの目が見ている世界と僕の目の前にある世界が近くなったことを僕は確認したくなった。
「水ならなにかを混ぜるのは簡単で、氷の中になにかを混ぜるのなんてできないと思ったけれど。凍っているからと言って手を突っ込もうとしないから混ざらないんだな。反対に、そこになにかを込めようという意思さえあれば、水か氷かは関係ないんだ。触れようはあるんだから」
「うん。やっぱり才能あるじゃん」
「まあね」
「ご褒美にこれをあげよう」
と渡されたのはチョコバットだった。
「ご褒美なのか?いつももらってるけど」
などと言い返しつつも僕はチョコバットの袋を開ける。
「あ、ヒットだ」
「すごいね、打率。この前ホームランだったよね」
「腕がいいのかもな」
気分よく最初の一口かじりつく。
マユカはそれを嬉しそうに見ていた。
「確かにね。熱くなれた?」
「恥ずかしさでな」
「あはは。最初はそんなもんだよ。インクくんさ、もしよかったら私の後継ぎになってくれない?」
「え?」
「私、来月あたりにこの町から出ていこうと思ってる」
マユカは晴れやかな顔をして言った。
気持ちのよさそうなその表情は冗談でもなんでもなく、そして予定ではなく決定事項だと告げていた。