8 勇者たちの戦場
8 勇者たちの戦場
ジュエルピュアは水色の光沢を持って生まれた。ポヨの代わりに天使の輪を持ち、燃え盛る煉獄の炎をも持っていた。
その姿はまさに三位一体であった。三種のカオスの形態を一つにまとめられた、その集合体。それでいて、体のいたるところが変色していた。
有色透明に、あるいは黒く、白く。
カオス遺伝子と日誌には書いてあった。
人工的に造り出され、生み出されたチャオ。
どんな気持ちだったのだろう、と和利は思った。最初に思ったこともそれだったはずだ。だから、大切なことはそれだけなのだ。
人の都合だけで造り出され、人の都合で人の為に人の世に出る。
生まれたいと願って生まれたのならいい。
でも彼は違った。
彼は単なる実験の成功例として生み出されたに過ぎない。
プラントと書いてあった。
失敗例の行く末である。
恐らく彼はそれを見た。
和利は見ていない。だから分からない。
けれど想像に難しくない。
廃棄されたチャオたち。
遺伝子実験の廃棄物。
物扱い。
そういった全てに憤りを覚え、自分がそうなるかもしれなかったことに恐怖し、激怒した。
だから悪いのはジュエルピュアじゃない。
人なのだ。
「仮想現実との融合はほぼ完了しているよ。今更何をしに来た?」
「世界の修正の為です」
チャオの仮面を付けただけの何かが笑う。赤黒い煙と、会場の『染み』を思い出して、和利は身震いする。
「人間はこういった方法でしか変わることは出来ない。いつまでも同じことを繰り返すだけだ」
その通りだと思った。
「自分の都合しか考えていない。そのくせ他者を哀れみ、高等生物のような真似事をする。傲慢な人間どもを訂正する為には、これが最も効率的で最善な手段だよ」
その通りだと思った。
「お前もそう思っているはずだ、浅羽和利」
そう、そして自分は同じ事を思い、考えている。
今も和利に信じることなんて出来なかった。
もし元に戻ったとして、それが何になるのだろうか。ジュエルピュアがいなくなっても、また同じようなことは起こるだろう。そもそもリセットして、ジュエルピュアがいなくなるわけじゃない。
どうせ、人が変わらないのなら、世界自体が元に戻っても同じことだ。
「何をしに来た? お前の心無い愛を与え続けたエモート君は既に消滅している。システムのリセットを使っても元には戻らないよ」
そうだ。何をしに来たんだろう。
今更することなんてないはずだ。出来ることなんてないはずだ。リセットしても人間が変わるわけじゃない。『廃棄物』は量産されるだろう。成功例を糧として、悲しい思いをするチャオが増えるだろう。
人の身勝手な都合で。
そして、それを正しいと思うのか?
「チャオの為の世界。すばらしいとは思わないかい? 純粋な思いだけが溢れる世界だ。そこで人は罰を受ける。今までの傲慢の罰を」
それは正しいとは思えない。
どちらが得をしても、損をしても、どの道を選んでも、正しいなんて思えない。
だから、自分のことだけ考えていればいいんだ。
「エモを返してくれ」
ジュエルピュアは仮面の奥で嘲笑する。
「まだ言うか。エモート君は存在しないよ。君のせいで死んだんだ。君が本物の愛を持つことが出来る人だったら、エモート君は君の元に居続けたろう」
「でも、俺にはエモが必要なんだ!」
自分のせいで死んだ。そうだと思った。他の誰かのせいなんかには出来ない。それは自分が背負うべきものだし、人任せには出来なかった。
ジュエルピュアの言う通り、自分がもしエモを幸せに出来ていたなら、エモはあのとき、ジュエルピュアの元になんか行かなかったのだろう。
「言ったろう?」
ずしりと心が重たくなる。
「お前は家族の身代わりとしてエモート君を育てていただけだ。自分にとって都合の良い愛! 自分が見下すのにちょうどいい存在! それがエモート君だっただけなんだよ!」
「違う!」
そうかもしれない。
「お前の愛は偽物だ。違うというのなら、証明して見せればいい。簡単なことだ。そしてお前はそれに失敗した」
そうだ。失敗した。
「自分は違うと思っているのか? 愚かな人間の同属では無いと思っているのか? だとしたらそれは大きな間違いだ」
間違いだった。
「お前はただの人間だよ。お前の嫌う自分の為だけに生きる人間と同じだ。違うのなら、どうして僕に敵対しようとするのか。エモート君の幸せを思うのなら、チャオの世界を望むべきだ」
その通りだ。
「依存を愛と誤解し、自分の家族を否定する材料としてエモート君を使っていただけだろう」
言い返せない。
「お前の愛は偽物なんだよ、浅羽和利」
「違う」
「本当に自分勝手だ。人間は生きるために平気な顔をして誰かを犠牲にする。時には罪悪感すら覚えない。悪いことだと思わず、自己を正当化し、原因を他者に押し付ける!」
ジュエルピュアは正しいことを言っている。
「違うはずが無い! だから僕は造られた!」
「違うんだ」
「じゃあどうして僕は造られなくちゃならなかったんだ! なんで生まれさせられた! 僕は生まれたくて生まれたわけじゃない!」
「違うんだよ」
浩二が動く。その動作を見逃さず、ジュエルピュアはふっと手を上げて浩二の動きを止めた。
がくりと腰を落とす浩二。重力が倍になったかのような、そんな苦痛の表情を浮かべていた。
「機械風情が僕に何様のつもりだ?」
「ジュエルピュア、彼は一般人です」
「フン、AIにも感情があるのか?」
「私にはありません」
和利は思わず声を上げそうになった。そうして思い出す。以前、ここに来たときにも、ジュエルピュアは浩二のことを機械と呼んでいた。
どうして今まで忘れていたんだろう。
「ほう、お前は知らないのか」
ジュエルピュアが和利に目を向ける。
「お前が仲間だと思っているそこの二人は、仮想現実システムの制御AIだよ。単なる機械さ! 人間じゃあないんだ!」
「……二人?」
心が揺らぐ。二人。ジュエルピュアはそう言った。浩二も、愛莉も何も言わない。
「なぜ人の姿を取っているのかは知らないが、大方、僕がシステムを乗っ取る前に脱け出していたんだろう。誰の人格をトレースしたのかは分からないけどね」
ばっと振り向く。愛莉は俯いていた。
嘘じゃない、のか。
確かに思い返してみれば、おかしなことはあったはずだ。どう見ても自分より小さな少女が自分よりも体力があるなんて馬鹿な話、あるだろうか。
息切れ一つしていなかったし、普通の人間が仮想現実システムを自由自在に使えるわけがないじゃないか。
「お前が信頼を寄せているそこの制御AIも、ただの人工知能だよ! 感情の無い! 単なる機械さ!」
ただの機械。
だから『九割』とは違っていたのか。
そうだ。当たり前だ。人間じゃないから、『九割』じゃない。
感情がないから、『九割』じゃない。
それを彼女だからと勘違いしていただけだったのか。
「これで分かったろう。人間は全て、須らく——!」
ジュエルピュアが声を止める。
音がしていた。何の音かは分からない。小さな音。その小さな音は、ここに近づいているように、段々と大きな音になっていく。
「なんだ?」
「ジュエルピュア」
和利が言う。
「機械だの何だのと、そんなこと、愛莉には何の関係もないよ」
溜息を付く。
時間稼ぎは終わった。
「何を?」
轟音。ジュエルピュアが仮面の奥で驚きの表情を浮かべた気がした。
「整備班! 何をやってる! 全力稼動だ! 出力を全てそっちにまわせ!」
柊が怒鳴る。飛行戦艦は会場の天井を突き破り、落下の慣性を保ったまま地下へと激突する。
同時、何らかの相殺エネルギーが発生して、減速していた。次第に艦のかたちがひしゃげていく。
「隊長! 私にもあの子のような息子がおります!」
軍服の男が叫ぶ。轟音が響いているが、それよりも大きな声だった。
「ああ! 私にもいるさ! だからこうしている!」
「では隊長、行ってまいります!」
「軍曹!」
男は体の二倍はある大砲を担いで、斜めになった甲板を下る。ターゲットサイトはない。しかし外す気はしなかった。
標的はマザー・コンピューターである。
弾数は一発。これを当てなければ意味がない。
「軍曹! 何をしている! 持ち場へ——」
爆音。発射音と同時、甲板が粉々に砕け散ったのだ。柊が苦悶の表情で壁に寄りかかる。
「くそっ!」
だが、砲弾は届いていた。
爆風が吹き荒れる。愛莉の体を庇うように立つ和利は、その爆風と衝撃で走ろうにも走れない状態だった。
天井が落ちて来る。地盤が歪む。
しかし、ジュエルピュアは奇襲を受けたせいで防御に全ての力を使ってしまっているように見える。
今ならエメラルドを奪取できる。けれど歩くことすらままならなかった。
「私が行きましょう」
浩二が立ち上がって駆け出す。
ぞくりと、嫌な予感がした。優勢のはずなのに、何かおかしい。背筋が凍りつく。
「浩二!!」
ジュエルピュアの視線が体を貫いたような錯覚がした。
浩二がカオスエメラルドを手に取った瞬間、まばゆい光がジュエルピュアを包み込む。
とっさの判断で、愛莉の体を押さえつけたまま頭を伏せる。
耳の奥で巨大な音が響いた。
壁を突き破る。天井を崩す。一面が崩壊し、会場の辺り一帯を吹き飛ばした。戦艦が不時着しているのが見える。砂埃が舞う。浩二が水色のカオスエメラルドを持ったまま倒れていた。
「浩二!」
「あと少しで融合が完了するところだというのに」
六つのカオスエメラルドがジュエルピュアを中心に旋回している。
今のはエメラルドの力なのか。
ごくりと唾を飲み込んで、和利は浩二に駆け寄った。
右手に持った水色のカオスエメラルドを取って、手に掴む。
「止めておけ。お前には使えないよ」
「やってみなくちゃ、分からないだろ」
喉がからからだった。緊張で声がうまく出せない。でも、やらなくちゃならなかった。そうじゃなきゃ、本当にどうすることもできない。
願う。なんでもいい。ジュエルピュアを倒せる力。カオスエメラルドを握り締める。頼む。今、出来なきゃ、みんな無駄になってしまう。
だから。なんでもいい。
カオスエメラルドは何も反応しない。
答えない。
「くそ、なんで、くそ!」
「こう使うんだよ、人間!」
驚く余裕もなかった。いきなり体を浮遊感が包んで、瓦礫に激突する。痛みはそれほどでもなかったが、衝撃で体がぼろぼろになったような錯覚があった。
痺れてうまく動かせない。
カオスエメラルドは、と前を見ると、ジュエルピュアが七つ目のカオスエメラルドを手にしているところだった。
「フン、人間風情が」
「待て、待って……」
がくりと腰が折れ曲がる。
逃げたい。痛い。もう嫌だ。またこんな目に、またこんなことに、なんでいつも、こんなことばっかり。
なんとか歩く。ジュエルピュアは無表情だった。その無表情には、本当に何の感情も浮かんでいなかった。笑うことの出来ないジュエルピュア。
怖い。
もう十分頑張っただろう。
いい加減休んでもいいはずだ。
だって俺はただの人間なんだから。
ただの人間なのにここまでやったら、褒められてもいいくらいだろう。
逃げたっていいはずだ。
どうせこれで全部終わりなんだから。
もうどうすることも出来ない。
諦めるしかない。
だから、そう、だからきっと、悪いのは——
「制御AIの分際で、一丁前に人間を守ろうという魂胆か?」
和利の目の前を小さな背中が覆っていた。
声は聞こえない。
「わたしに感情がない? 馬鹿にしないで」
「誰かの感情パターンをトレースでもしたのだろうが」
声が聞こえる。
「死にたいというなら、止めはしないよ」
もういいんだ、止めろ。
守ってどうなるんだ。
守られてどうすればいいんだ、俺は。
体の節々が痛む。強烈な痛みだった。なのに嫌な予感だけはひしひしと沸いて来る。そして、俺の嫌な予感は当たる。
赤黒い煙が愛莉の目前で止まる。同時に、愛莉が頭を抑えてよろけた。
「システムを使用したらこうなるってことが分からないから、お前たちはAIでしかないんだ」
ジュエルピュア。
チャオの姿をした、化け物。
勝ち目のない相手。
現実。
敵。
赤黒い煙がジュエルピュアの真上に生み出される。それは次第に肥大化し、エメラルドのエネルギーを受けて光り輝く。
もう死んだっていいと思った。
どうせ何をやっても失敗するのなら、最初っから何もしないでも同じことじゃないか。
そう思った。
——三回。
体が動いたのは、とっさのことだ。愛莉の体を押さえつけるようにして、右側に飛びのく。体に力が入っていなかった。でも、赤黒い煙を避けるのには成功する。
「まだ動けたのか。人間のくせにタフなやつだ」
「俺は」
段々と体に力が入る。
——三回。
あと三回。
まだ三回、チャンスがあるんだ。
「俺は、お前が、間違ってると思わない」
走る。
「だけど、お前が、正しいとも思わない!」
一回だけだ。
一回だけ避ければ、カオスエメラルドに手が届く。
それで、どこか遠く、どこかとても遠いところにワープすれば。
一回。
「減らず口を!」
赤黒い煙。
絶対に自分を狙って来る。
ドッヂボールと一緒だ。
当たる前に避ければいい。
それだけなんだ。
ボールが来る。
右側に避ける。
近づく。
手を伸ばす。
光が包む。
頼む、カオスエメラルド。
どこか、ずっと、遠い場所に。
「く、ふざけるな、僕にはまだ、やることが」
まとめて、飛んで行け——
「ふざけ、るな!」
カオスエメラルドが光る。
「俺は、お前みたいにはならない!」
視界が歪む。
しかし、それは再び失敗に終わった。
体が地面に落ちる。
指先一つ、動かすことが出来なかった。
「そんなに遠い場所に行きたければ、自分だけで行けばいい」
ジュエルピュアが遠くから見つめる。
「浅羽くん!」
あと、二回。
まだ、残っているんだ。
残っているのに。
「では、天国にご案内しよう。君の頑張りは認めてあげるよ、人間」
天国。
天国か。
行けたらいいな、そんな場所に。
視界を光が包む。
暗転する。
和利は消える。
「浅羽、くん……和利くん」
愛莉が力なく項垂れた。ジュエルピュアは笑うことも、泣くこともせず、背を向ける。
「そこで大人しくしていろ、制御AI。今から僕が、世界を変える」
「そこで大人しくしていろ、ジュエルピュア」
背を向けたジュエルピュアが、寸でのところでその赤黒い煙を避ける。チャオの仮面をつけたその奥に、驚きが見えた。
甲高い音がして、それが靴の音だと分かる。
薄汚れたブラウンカラーの外套が風に揺れる。
帽子を押さえながら、彼は言った。
「時間稼ぎをさせてもらうよ」
口元は笑っていた。それを見て、浩二も立ち上がる。まだ終わりではないとばかりに、歩き出す。
「では私もお手伝いしましょう」
「AIが、大人しくしていろと!」
浩二がフィールの隣に立つ。
ジュエルピュアの持つカオスエメラルドの光が増す。
それはカオスエメラルドに内蔵された無限のエネルギーがジュエルピュアの情に反応していたのだが、もはやそんなことを気にかける余裕はなかった。
「良いだろう。カオスエメラルドの真の力、とくと見せてやる!」