6 いつも、あの声で目を覚ます(Always,and Always wake up to the noise
いつも、あの声で目を覚ます。
「 」
いつも、あの声で目を覚ます。
「 」
いつも、いつも。
あの声が鳴り止まない。
耳を塞いでも。
目を瞑っても。
聞こえて来る、あの声。
「 」
いつも、いつまでも聞こえて来る。
俺は何もしていないのに。
だからこれはきっと、俺のせいなんかじゃない。
目を覚ます。
朝の七時。カーテンを開ける。やや暗めの日の光が部屋に差し込んで、つい瞼が閉じる。
頭がぼーっとしている。昨日は何時に寝たのか。あまり憶えていない。机の上には鞄が無造作に置いてあった。無機質な部屋。何かあったような気がする。何かは思い出せない。
いつもの通り音を立てずに洗面台まで行って、歯を磨く。両親の朝は遅い。場合によっては仕事に行かない日もある。そういう日は決まって機嫌が悪いから、関わり合いになっちゃいけないのだ。
着替えを済ませて、登校の準備をする。教科書の類は全て学校に置いてあったはずだ。
今、何月だったっけ。
そうだ、冬休みが終わって。新学期が始まる。三学期。今年の冬は遊んでもいられない。もう高校三年生になる。そうなれば受験勉強が始まるのだ。
うかうかしていられなくなる。
友達と遊ぶなんてことはなかったが、それでも暇がなくなってしまうのは辛いものだ。心の余裕がなくなる。どことなく嫌な感じである。
なんだか、何かを忘れている。
それが何かは思い出せない。
鞄を肩にかけて、忍び足で家を出る。ここに来てようやく一息つけた。両親を起こさずに家を出るのはもう手馴れたものだが、もしおきてしまったらと不安でたまらない。
自転車に飛び乗って、鞄を籠に放り投げる。
何か忘れている。
それが何かは思い出せない。
二年二組。窓際から二列目の、後ろから三番目。それが浅羽和利の席である。
教室に入った自分を見て、また自分たちで談笑を始める。内容の大半は誰かの陰口だ。この世界の人間のうち九割はクズとゴミで構成されている。
人は陰口を言い合って生きるものだと理解はしているものの、納得することは出来ない。
普段は仲がいいのに、笑いあっているのに、どうして本人がいないところで否定の言葉が出て来るのだろう。
何が楽しいんだろう。
どうしても分からない。
この世界の人間のうち九割はクズとゴミで構成されている。
あいつらがクズとゴミなだけで。
だからこれはきっと、俺のせいなんかじゃない。
授業をぼーっとしてやり過ごす。50分といえど、時間が経つのはわりと早い。頭のいいグループが授業を進めてくれるから、余計に楽に感じる。
休み時間は学年のたった一人をターゲットにした陰口が盛んである。
今月の流行は隣のクラスの澤田光義。地味で目立たない生徒の一人だ。
本当に自分勝手だ。自分たちが楽しければそれでいい。それは子供だから許されるのだろうか。じゃあ、大人になったらこれはなくなるのか。自分はその答えを知っている。
クズだから仕方が無いのだ。
この世界の人間のうち九割はクズとゴミで構成されているのだから仕方が無いのだ。
彼らは今日も自分たちのために誰かを犠牲にして生きている。
誰も、彼も、どうすることなんて、出来ない。
だからこれはきっと、誰のせいでもない。
コンビニで購入して来たおにぎりを机の上にずらりと並べて頬張る。
「 」
いつもの声が聞こえる。陰口の時間が再開した。浅羽和利は黙々と食べる。耳を塞いでも、目を瞑っても、どうせそれは聞こえて来る。
「 」
「 」
哀れに思ってはいる。けれど仕方の無いことだ。
自分にはどうすることも出来ない。力が無いのは誰でも同じで、運が悪かったのだ。流行が去るのを祈るしか無いだろう。
醜いな、と思った。
クズとゴミは死滅すべきだとも思った。
彼らはどう思っているんだろう。
きっと何とも思っていないんだろう。
自分以外は目に入っていないし、頭にも入っていない。
自分が良ければそれでいい。
その通りだと思った。
それがお前たちの生き方なら、そうしていればいい。
お前たちが九割であることに変わりは無いのだ。
偏差値的には多少高いはずの学校なのに、図書室には誰もいない。
図書委員さえいない。
少し心安らげる時間であった。
ここには声が届かない。
何かを忘れている気がする。その何かは思い出せない。何かが足りない。足りない何かが違和感になる。
本を開く。何の本だろうか。分からない。自分は何の本を読んでいるんだろう。
「 」
声が聞こえる。自分に対するものだ。
誰だろう。
「 」
機械的に答える。
どうして話しかけて来るんだろう。
九割は九割同士で九割らしい話に花を咲かせていればいいのだ。
「 」
分からない。
何を考えているんだろう。
「 」
それは放課後に起こった。
「 」
声である。
何か悪質な、非難の声。白羽の矢が立ったのは、図書室で話しかけて来た人だ。
同族同士の諍いである。
争い事は同じレベルのものでしか起こらない。
「 」
自分には関係が無い。
まだ陰口じゃないだけマシだ。
憎みたいのなら、正面から憎みあうべきなのだ。それを回り道のようなやり方をするから何かがおかしくなっていく。
どちらにしても、結局、九割であることに変わりは無いのだから。
家に着いていた。どうやって帰ったのかは記憶にない。
車があった。今日は機嫌が悪いみたいだ。音を立てず、気づかれないようにして家に入る。
「 」
怒号だった。二人の声。
嫌になる。食欲は無い。早く寝てしまいたい。そうすれば聞こえない。
「 」
もう聞きたくない。
同じような声ばかり。同じような音ばかり。同じような話ばかり。
憎みあいたいのなら、自分たちだけの世界でやればいい。
そうやって自分のことしか考えていないから、お前たちは永遠に九割なんだ。
「 」
今度は自分に白羽の矢が立つ。
怒号が飛ぶ。
殴られる。
「 」
いくら呼んでも叫んでも、助けは来ない。
そう、だから、きっと、俺は何も悪くないんだ。
これは家族じゃない。こんなのは家族じゃない。
俺の家族は、たった一人しかいないのだ。
目を覚ます。
学校にいた。四時間目の授業が終わったところだった。声が聞こえない。静かだった。まるで誰もいないみたいに、静かだった。
けれど、その静かな時間は続かない。
「 」
今月の流行は————だ。
————は図書室で話したことがあるだけで、面識はほとんどない。————がなにをしているかも、また、どんな人間であるかさえ、知らない。
所詮九割の仲間じゃないか。
同じ事をしていたろう。
同じ事を見てきたろう。
九割は九割同士、つぶしあえばいい。
俺には何の関係もない。
目を覚ます。
————は学校に来ていなかった。
別に、だからなんだというわけではない。九割の一人が一割に脱落しただけの話だ。誰のせいでもないし、————のせいでもない。同族同士の戦いに負けた。それだけだ。
図書室に向かう。
本を読む。
何の本なのかは分からない。
ただいつも誰かが隣にいたのを、すごくよく憶えている。
それが誰かは思い出せない。
だけど。
いつも、あの声で目を覚ます。
繰り返される怒号と罵声。何かが割れる音。何かが落ちる音。それから逃げるようにして、布団を被る。耳をふさぐ。目を瞑る。
そうだ、学校に行かなきゃならない。
身支度をする。
憎みあう偽者の家族から逃げるように家を出る。
何か、忘れ物をしている。
それが何かは。
自転車に飛び乗って、鞄を籠に放り投げる。
たった一人、家族がいたはずなのに。どうしても思い出すことが出来ない。
道をすれ違う人たちが、何かと手を繋いでいる。何かと笑いあっている。
その中に笑いあう九割の姿があった。
とても楽しそうに笑いあっていた。
これが家族だと思った。
本物の家族。
家においてあるような、怒号と罵声を繰り返すだけの置物ではない。
たった一人だけでもいい。
本当の、本物がいてくれたら。
俺はきっと生きていける。
目を覚ます。
すごすごと昼食の準備を始める。
今月の流行は浅羽和利だ。
争いは、同じもの同士でしか起こらない。
けれど。
もし————が救われるなら、九割になってみてもいいかもしれない。
それに、俺にはたった一人の家族がいるから。
他には、何もいらないんだ。
だから、これはきっと俺のせいなんかじゃない。誰かのせいでもない。
たった一人の家族がいた。
ずっと一緒にいたはずだった。一緒に笑いあって、一緒に生きて来た。生きる意味だった。理由だった。本物の家族だった。
置物とは違う。
九割でもない。
本物の家族だった。真に思いやっていた。愛情があった。一心同体と言っても良かった。
それが何かを、俺は思い出すことが出来ない。
6 いつも、あの声で目を覚ます(Always,and Always wake up to the noise)
「いいから、逃げろ!」
フィールの声がする。
痛む体を押さえて、思い切り立ち上がる。足ががくんと落ちたが、なんとか持ち直した。
踵を返し、全速力で駆ける。赤黒い煙が視界を通り過ぎていく。何が起こっているかは分からなかった。ただ、一刻も早く逃げたかった。もう嫌だった。
「チャオは、本来カオスエメラルドに守られていたんだ! この意味が分かるか!」
ジュエルピュアが叫ぶ。
「お前たち人間が持つ小さな力では、チャオを守ることは出来ない!」
「フィールさん!」
浩二が叫ぶ。
その浩二たちの元へ、走って向かう。
「後から行く!」
「っ、しかし!」
「後から行く!」
なんとか辿り着いて、足をもつれさせて、転倒した。
同時に、視界が入れ替わる。
鋼鉄の地面。強風が疲れた体に心地よくなびいていた。耳を劈くほどの音が響き渡る。
——助かった。
そう思って、項垂れる。
「浩二さん、愛莉さん、浅羽さん、お怪我は?」
「問題ありません」
柊の尋ねに浩二が答えた。
身を起こして、みんなの姿を確認する。いないのはフィールだけだった。いくら和利でも、彼の言った『後から行く』という言葉が偽りだということくらいは分かる。
仮想現実システムの効果も、カオスエメラルドの力も分からない。だが、それは分かった。確信に近かった。
自己利益の為に他人を平気で犠牲にする。
吐き気がした。
「ここは?」
「我が軍の飛行戦艦です。さあ、こちらへ。少し休憩しましょう」
柊に手を差し伸べられて、頭を振るう。
助かったと思った。この次は変わろうとしたのに、結局、自分は変わることが出来なかった。自分が生き残るのに必死で、逃げるのに必死で。
フィールが自分で望んで残ったのだから、気に病む必要なんてない。そう思ってはいても、納得は出来ない。
恐らく、身に染みて分かってしまったのだ。
自分はこの世界の人間のうちの九割にカテゴライズされる人間でしかない。
もう、どうでもよかった。
ジュエルピュアも、自分も、浩二も愛莉も、この現実がどうなっても。
俺は何にも悪くないんだから。