5 未知との遭遇

 休憩する暇が欲しいと思わなかったわけではない。足は既に棒のようだし、瞼は開いているのさえ難しい。しかしエモを失った和利を、何かが支えていた。それが何かは本人にも分からない。
 勿論、ある類のプライドでもあったろう。愛莉が歩いているのに、自分だけが立ち止まるわけにはいかない。そんなちっぽけなプライドだ。
 溜息を付く。大きな溜息である。呼吸が上手に出来なくなっているのは、疲れか。それとも。
「空気が淀んでいるんだ」
 フィールが溜息を察する。
 ここは人工衛星。かつてそらにあり、地上へ墜ちた人工衛星である。何があっても不思議じゃない。
 ところがそんな場所なのに、人が住んでいた様な形跡が見て取れる。草木が生い茂った通路の中にいくつもの手すりや階段がある。本当にこれは人工衛星だったのだろうかと和利は思った。
 それに、おかしなことは他にもあった。
 仮想現実システムを利用してワープのような真似をしたから実感がわかないが、この人工衛星は海に浮かんでいるのだ。もっと色んな生物が住み着いていてもいい。
 けれど、さきほどから生物は愚か虫の一匹すら見ない。フィールの言うところの『淀んだ空気』のせいなのか、それは分からないが。
「浅羽くん、だいじょうぶ?」
「うん」
 自分より小さな少女に心配されるのは少し自尊心が傷ついたが、悪い気はしなかった。
「それにしても、さっきから本当に何にもない場所だな。もう調べが入っているんだから、エメラルドはないんじゃないか?」
 気を紛らわすために生意気な子供らしく減らず口を叩いてみる。答えたのはフィールだった。
「恐らくだが、あると思うよ。エメラルドを見つけられるような優秀な人間が研究所にいたのなら、それ以前にジュエルピュアの反乱を許していないだろう」
 なるほど最もだが、カオスエメラルドがあるという確証にはいたらない推測である。
 素直にエンジェルアイランドでも探した方がいいんじゃないかと考えて、和利は思い出した。
 先輩は今頃どうしているだろうか。バイク一つで今もエンジェルアイランドを探しているのか。この騒ぎに巻き込まれて死んだ、なんてことはさすがにないと思いたい。
「妙です。人の気配を感じます」
 浩二がそう言うと、ほぼ同時だった。
 どこかに隠れていたのか、軍服の男が四人の背後に揃い立つ。見れば前にも勢ぞろいしていた。確かに隠れる場所はいろいろあるだろう。そもそもが廃墟のような場所であるし、そこら中に瓦礫が散っている。
 では何がおかしいのか。和利はそれに気が付いた。浩二が今になって『人の気配を感じる』といったことがおかしいのだ。すぐ近くにいたのなら、気づくのがあまりにも遅すぎる。
 だとしたら、それは彼らが人ではないことを表している。和利はそう直感した。
「あー、諸君、ここは立ち入り禁止である。命までは奪わない。立ち去りたまえ」
 壮年の男が荘厳な声色で『忠告』した。恐らく彼が一行のリーダー格なのだろう。
「こちらも事情があってね。申し訳ないが通していただきたい」
「何の用かね?」
「そちらこそ、何の用でしょう」
 男が右手を上げると、まわりの軍服が細長い銃を構えた。
「すまないが立場を理解してもらおう」
 変だ。和利は思った。この軍服がチャオフェスタの会場の入り口で攻撃して来た彼らなら、問答無用で発砲してくるだろう。この人工衛星に大切なものがあるなら、よほど。
 ジュエルピュアに姿を見せてしまったし、こちらの容貌は伝わっているはずだ。なら余計に。
 しかもこの軍服は、少し記憶と違っていた。チャオフェスタの会場で発砲して来た一団とは違う種類の軍服——そう、チャオの回収運動をしていた方の軍服である。
 和利は考える。状況的には不利ではない。こちらは化け物が二人いるのだ。だが、向こうも仮想現実のシステムを利用できないと決まったわけではない。
 一手を間違えれば終わってしまう。どうすればいいのか。
 試すしかなかった。
「お前らは会場で俺たちを殺そうとして来た奴らじゃないか!」
 全員の視線が一斉に向けられるのを感じて、和利は身震いする。銃口がこちらを向いているのが分かった。
「どうせジュエルピュアの命令で俺たちを殺そうとしているんだろ! なら早くやれよ!」
「ジュエルピュアだと? なぜそれを知っている?」
「とぼけんじゃねえよ! お前たちの親玉だろうが! 俺たちを殺そうとしやがって、ふざけんな!」
 ——どうだ?
 和利が叫び終わったあと、男が軍服の一人と囁きあった。沈黙が痛々しい。
「我々はジュエルピュアとは無関係だ。君たちこそ、彼の刺客ではないのか」
「少し待って下さい。私たちはジュエルピュアの目論見を阻止するために来たのです」
 一息つく。彼らの言っている事が本当だと証明する手段がないが、これで一つ先に進めたような気がした。
「あなた方はチャオの回収運動を行っている集団では?」
「そうだ」
「では会場で発砲して来た人たちとは」
「会場? チャオフェスタの会場のことか? ……軍のものがいたのか?」
 よし、と和利は呟く。恐らく、自分は正しい想像をしている。この推測は間違っていない。
 咳払いをして注目を自分に集めてから、和利は空気を吸い込んだ。
「恐らく、チャオを回収している軍人と、攻撃して来た軍人は別ものなんだ。この人たちがジュエルピュアと通じていたら、もうあいつはここに来てる」
「なるほど。して、あなた方は?」
 男は大きく溜息を付いた後、帽子をきゅっと被りなおして、一歩下がる。もう一度彼が右手を上げた。銃口が揃って下を向く。
 ——エモ、なんとかできたよ。和利は心の中でそう呟いて、ほっと心をなでおろした。
「我々はジュエルピュアの世界変革に対抗する為に活動している軍隊だ」


 5 未知との遭遇


 緑が生い茂る。塩の臭いは全くしない。明るい場所。こんな場所を和利は知らなかった。
 多くのチャオが、チャオ同士で遊んでいる。ちょっとしたジャングルにでも来た気分。
 良い場所だなと思った。でも、和利は良い気分じゃなかった。だから目を背けてしまうのだ。
「先は申し訳ない。私は柊と申します。あなた方は?」
「俺、いや、私はフィールです。これは浅羽。こっちの二人は兄妹で」
「浩二です。妹の愛莉。こちらも失礼をしました」
 手を振って構わないと言う柊。実を言うと彼らにあまり良い印象を持っていない和利だが、仕方ない。ここで彼らを敵に回して良いことなんて一つもない。
「どうしてチャオの回収運動を?」
「ジュエルピュアの目的をご存知か?」
 和利は座り込んで頬杖をついた。話は長くなりそうだったし、疲れていたからだ。
「ええ。チャオだけの世界をつくるんでしたね」
「チャオだけの世界をつくる。仮想現実との融合により世界の構造を修正する。人類に復讐する。その三つだな」
 フィールが訂正した。
「それで構わない。しかし仮想現実システムはそこまで優秀ではないのです。世界に散在するチャオのデータを参照できるほどの能力はマザー・コンピューターにない」
「だから一度全てのデータを初期化するか、全てのチャオを集めるしか方法はないってことですね」
「そうだ」
 どうしてチャオだけの世界をつくろうと思ったのだろうか。確かにうんざりするほど醜い世の中ではある。理不尽だ。不当だ。何が信じられるかも分からない。
 ジュエルピュアは人のチャオに対する愛が偽物だと言った。そうかもしれない。そうだと和利は思った。自分も結局、生きるためにエモを利用していただけなのだ。だからあの時エモはジュエルピュアの元へ行ってしまったのではないか。
 違うと言えるだけの言葉を和利は持っていない。
 『自分のしていることが正しいと信じて疑わない人間を矯正するには、まず地獄を見てもらわなければならない』——自分もそう思っていた。だったらエモがいなくなった今、ジュエルピュアに味方すべきじゃないのか。
 ジュエルピュアは何も間違ったことを言っていない。
 人が勝手に造って、勝手に祀り上げた。増長していたのだ。その反動が来た。それだけの話だ。自らの快楽の為に犠牲をいとわない。ならばジュエルピュアが自らの快楽の為に犠牲をいとわなくて、何もおかしくはない。
 正しいことを和利は追い求めて来たつもりだった。これは正しい。これは間違っている。
 あの日、エモと出会った日から、エモが必要としてくれた日から。でも、必要としていたのは自分だけだったのだろう。家族の身代わり。ずしりと心に響いた。
 他の人間とは違わない自分。自分の為にエモを犠牲にした自分。
 本当にこれで良かったのか。そう思わずにはいられなかった。もっと別の方法があったのではないか。自分はこういう人間だからこうしなければならない。それは間違っていることなのか。
 分からない。
 分からないんだ。


 ふっと目が開いた。
 ——しまった。
 唐突に頭が醒める。眠ってしまったようだった。そんな暇はないのに。足手まといにならないつもりが、しくじった。
「そう何時間も経ってないよ」
 フィールの声。隣を見れば、彼が腕を組んで立っている。
「みんなは?」
「浩二は柊と一緒に探索に行ってる」
 それだけ言って、フィールはあぐらをかいた。帽子を目深に被っているせいで輪郭がぼやけてしまう彼だが、間近で見ると、そう自分と変わらない年頃に見える。
 ふっと、彼が微笑んだように見えた。和利はその視線の先を見る。
 愛莉とチャオたちが触れ合っていた。彼女は、そうだ、そういえばチャオが好きだった。純粋に好きだった。彼女の笑顔は綺麗にうつった。いいなと思う。あんなに純粋な『好き』は自分にはないのだろうから。
 しかし、フィールの微笑みは何か違うような気がしてならない。
 いいな、ではない。
 どこか憂えるような、慈しむような、哀れむような。そう、懐かしむような。
 気のせいだろう。
 和利は眼鏡のレンズに付着した汚れをシャツでふき取って、かけ直した。
「全ての人間が、彼女のようだったらいいのに」
 彼のぼそりと呟いた一言が、和利の心に突き刺さる。
「どうして勝手な奴らばっかりなんだろうな」
 彼のことが気に食わなかった理由が分かった気がした。
 エモを助けてくれなかったからではない。いや、もちろんそれもあるのだろう。でも違う。彼は似ているのだ。自分と。自分を少しオトナにしたら、ちょうどこんな感じになるんだろう。
 現実的で、命を天秤にかけるような人間。一匹よりも三人を優先するような人間に。もちろんそれを悪いとは思っていない。むしろそうするのが当然であるのだ。
 もし同じような状況で、最も大切な一人と三人の他人がいて、三人を見捨てて一人を助ける人間がいたら、和利はその人間を否定するだろう。自分のことしか考えていないと。だから自分も『あいつら』と同じなのだし、否定する資格を持たない。
 けれど気に食わないのだ。
 同じだから。
 似た者同士だから。
「ちゃー」
「ちゃおー」
 彼女と触れ合うチャオたちは、どこまでもひたすらに笑顔を振りまいていた。
 自分たちは幸せであると訴えかけるようだった。
「報告します」
 軍服のうち一人が駆けつけてきて、敬礼する。フィールが立ち上がって尻の汚れをはたいた。
「衛星の奥に空洞を見つけたとのことです」
「分かった」
 手を振り上げて愛莉へと合図する。彼女は察して、名残惜しそうに走ってきてくれた。
「案内をしてもらう。休憩は済んだな?」
「大丈夫だよ」
 チャオたちの楽園。もしそれがあるとすれば、こんな場所になるのだろうか。
 ジュエルピュアがつくろうとしているのは、こんな場所なのだろうか。
「ばいばい」
 隣では、愛莉がチャオたちと別れの挨拶をしていた。


「まさか衛星の中にこんな穴があるなんてなあ」
 フィールが空洞を覗き込む。暗い空洞である。暗闇。落ちてしまったらどこへ付くのか分かったものではない。
 まわりにはふるい機械の残骸、のようなものが散乱していた。ここは何かの入り口だったのかもしれない。
「行ってみましょうか」
「仮想現実システムを稼動すれば安全に降りられましょう」
 恐怖を感じずにはいられなかった和利だが、相変わらずの愛莉を見て、どうしても強がってしまう。この子より弱いわけにはいかない。そんなふうにだ。
 どこに繋がっているのか分からない空洞。地獄まで繋がっているんじゃないかというくらい、深い底。
 いっそのこと落ちてしまうのも悪くはないかもな、と考える。
「着地時に衝撃を霧散させます。私の後に付いて来て下さい」
「え?」
 浩二がそう言って、空洞の中へ飛び込む。続いて愛莉が一旦座ってから少しためらって飛び降りた。柊と軍服の男たちがその後に続いて降りる。
 残ったフィールと和利は顔を見合わせて、一斉に飛び降りた。
 胃の底が抜けるような、思わずひやりとする感覚が体中を駆け巡って、目の前を暗闇が通り過ぎて行く。怖い、と感じる余裕もなかった。まだ落ち続ける。どこまで続くんだ、と思ったところで、景色が変わった。
「おわっ」
 何事もなかったかのように地面に着地する。仮想現実って便利だなあと思わずにいられなかった。
 呼吸を整えて、まばたきを数回する。
 変な場所、だった。
 七本の折れた柱が崩れかかった高台を中心として、円を描くように建っている。そこら中に砂埃が散らばっていた。見れば見るほどおかしい場所。神聖な印象を受ける。神聖、いや。どことなくオカルトチックな、そんな印象だ。
 誰も、何も言わなかった。
 ここは一体なんという場所なのか。
「我々が先行しましょう」
 柊とその部下らが前を歩く。慎重に進む。和利は怖気づいていた。彼を立たせているのは安っぽい矜持だけで、何か嫌な予感が彼の脳を支配する。
 高台に近づくにつれ、何か光るものが見えて来た。それは各々に光を放ち、無残なかたちで放られている。
 七つの、石。
「カオスエメラルド……本物ですかな?」
「恐らく、本物だろう」
 七つの石は、七つそれぞれに光を放っていた。
 そこに存在するだけで、圧倒的な存在感を発する。意志を持っているように思えた。それは物であったし、人でもあった。触れてはならない何かを感じる。嫌な予感、という意味ではない。
 抵抗。強い抵抗だ。七つの石が自分から遠ざかった。そんな錯覚がする。和利は頭を振った。意識を保たないと呑み込まれそうで、たまらないのだ。
『私か、全、もよ』
 唐突に、声が響く。
「動くな。じっとしていろ」
 呼吸の音がやけに大きく聞こえた。何が起ころうとしているのか。この声は一体、なんなのか。足が竦む。自分の弱さに泣きたくなる。そして、まだ余裕があることを再確認する。
『私から、てを、った、かしい』
 次第に声が大きくなる。
 それは、どこから発されているものなのか。身近なようにも思えたし、すごく遠くのようにも思えた。
『私から、全てを、奪った』
 ノイズがはしる。声が途切れる。フィールがだいじょうぶだと言って、和利は大きな溜息をついた。頬を冷や汗がつたる。
 何も起こらなかった。
 いつの間にかあのおぞましい感覚も消えていた。本当にもう大丈夫なのだろう。
 そう安心しきっていた。
「かつてこの衛星の主は、カオスエメラルドの力を以ってこの星を破壊しようとしたらしい」
 全員が一斉に振り向く。七つの石がその声に呼応し、光を増して浮遊していた。
「人の愚かさに、人の身勝手さに苦しめられた人間の、最後の悪あがきだった」
「構えっ!」
 柊が右手を上げる。部下が銃口をジュエルピュアへと向けていた。しかし余裕の笑みを崩さないジュエルピュアに、柊は苦悶の表情を浮かべる。
「私から全てを奪った愚かしい人間どもよ。同じ絶望を味わうがよい」
「ジュエルピュア、なぜそうまでして」
 なぜそうまでして人間に復讐するのか。
 ところが和利は、その疑問に対する答えを自分の中に持っていた。
 全てを奪った愚かしい人間は、自分が同じ目に遭う事でしか誰かの気持ちを分かることが出来ない。だからこそ同じ絶望を味わうのだ。そうすれば、自分の愚かさが身にしみて分かるから。
 ——ここまで来て、また自分はおかしなことを考えている。
「どうしてここが分かった?」
 フィールが尋ねる。その言葉の裏には、仮想現実システムはまだ完全ではないはずだ、という確認が含まれていた。
「チャオが導いてくれたのさ」
 自分の中の正しいことを振り払って、和利は前を向く。カオスエメラルドはジュエルピュアの手にある。仮想現実システムもそのほぼ全てが彼の手中にある。
 けれど、ここで折れてしまったら。
 また、エモのときと同じようなことになってしまう。
 和利は必死で考える。
 どうやって逃げるか。そもそもカオスエメラルドはどれくらいの力を発揮できるのか。時間稼ぎをすることは出来るか。カオスエメラルドを取り返すことは出来ないか。
 しかし、どれだけ考えたところで自分の無力さを思い知るだけだった。せめて仮想現実システムを使えれば、せめてカオスエメラルドの力を使えれば。
 無理だ。
 どうしても出来ない。
 勝ち目が、ない。
「やあ、エモート君を失ったにも関わらずまだ生きているのかい?」
 どくんと心臓が高鳴った。
「結局君も生きることに固執しているだけだったんだね」
「違う! 俺は」
「何が違うんだい?」
「ジュエルピュア!」
 浩二が叫ぶ。ジュエルピュアは確かに笑っていた。表情のない顔の奥で、確かに笑っている。
 あんな小さな体なのに。
 チャオなのに。
 自分は、ジュエルピュアを恐怖していた。
「カオスエメラルドを手に入れた以上、もう用は」
「撃て!」
 放たれた銃弾が消滅する。柊が一歩後ずさった。
 こいつはチャオじゃない。ただの化け物だ。そう思っているかのように、和利には見えた。
「無い、と言おうとしていたんだけどね。どうせだから死んでもらうよ」
「逃げろ、ここは俺がやる!」
 フィールが声を張り上げる。
 和利はその場から動けなかった。頭の中は誰かの助けばかりを欲して、何も考えられなかった。悔しさも、苦しさもなかった。ただ逃げたい。それだけだ。
「何やってる、早く逃げろ!」
 視界が光に包まれる。
 頭がぼーっとする。
 意識が遠のく。
 最後に見たのは、ジュエルピュアがふっと、悲しげに笑った姿だった。
 
 

このページについて
掲載日
2010年12月23日
ページ番号
6 / 14
この作品について
タイトル
Deus ex machina's CHAO world~はい、私は御都合主義が大好きです~
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
2010年12月23日