0 そして誰もいなくなった
「澤田!」
友達がいた。
よく遊んでいた。
かけがえのない友達だった。
「どうしたんだ?」
いつの間にか疎遠になっていた。
気づけば会うことはなくなっていた。
その理由には気が付かなかった。
「光義、おい、光義!!」
ある日、別れを告げられた。
それだけの話で、それだけの話なのである。
ただ、彼が自分によく言っていた台詞を、自分は今でもよく憶えている。
「——君って、あせると名前で呼ぶ癖があるよね」
今思えば、彼は年甲斐にもなく大人びた性格をしていたと思う。
0 そして誰もいなくなった
黒縁の眼鏡を机の上に置く。
思い出にふけるのは楽しいものだと一人ごちる。彼の葬式が行われたのはつい先日。親しい人が次々とこの世を去っていくのを見て、寂寥の念を感じてしまう。
後悔は先に立たない。
どのようなきっかけがあったのか、あるいは何もきっかけなどなかったのかは分からないが、再び彼と会ったのはいつの日だったろうか。
「ちゃうー」
寂しそうな声である。抱えて、頭を撫ぜる。その瞳に皺一つない自分の姿がうつっていた。
最期の最期まで、どうにかして自分を『治そう』としてくれた彼は、医者の鑑であったと思う。
そもそも自分ですら気づくまでに六年を要したというのに、彼は一度で自分の問題を見抜いた。元から才能があったとしか思えない。
「ちゃっちゃ!」
使い古した眼鏡を変える必要がないのも、恐らくはそのせいなのだろう。
光沢のあるピュアチャオが気遣うようにはしゃいでいる。転生を繰り返しているだけはあって、言わずとも心が通じ合っているのだ。
机に飾られた写真の中に生きる、自分ともう一人。
ずっと一緒にいられるのは、片方だけになってしまった——悔やんで、しかしどうしようもなかった。
この子さえいればいい。
そう思っていたはずだが、やはり、難しいものである。
二度と会えない、というのは辛い。
どこかで生きていてさえくれれば、とは思っても、既にどこにもいないのだから。
「ちゃお……」
頭を撫ぜる。
システムを使えば、すぐに会えるのだろう。人格を構築するのはそう難しいことじゃない。けれどもそれは、自分の中にいる彼女たちであって、彼女ではないのだ。
虚しいと思う。
飾られた写真の中に生きる、自分ともう一人。
寿命、というのは哀しいものだと思う。
この子もいつしか自分を置いて行ってしまうのだろうか。それは寂しいと思った。
自分の姿も、心も、あの頃とわずかだって変わってはいない。
変わり行くのは現実と、そして。
かたりと、何かが動く。
机の上に、ないはずのものがある。
小さな、丁寧な文字で、自分の名前が記されている。
誕生日プレゼント。
「今更誕生日と言われてもな……」
何が起こっているのか分からない。こんな気分になったのは久しい。不思議な、自分は不思議に直面している。
綺麗に包装された箱。
恐らく今日、この日にこの場所へ届けるようにプログラムされていたのだろうが、なぜこの日だったのだろう。
生唾を飲み込んで、包装を丁寧に剥がしていく。
それを見て、目を見開いた。
「ちゃ?」
ポヨを「はてなマーク」にして、自分を見上げているピュアチャオ。
同時に、携帯電話が鳴った。慌ててそれを手にとって、通話ボタンを押す。
『浅羽さん——ついに完成しましたよ!』
繋がった。自分の頭の中で、全てが繋がった気がした。
ブラウンカラーの外套と帽子を見る。見れば、薄汚れた革靴まで綺麗に包装されている。誰の仕業か。こんなことが出来たのは、彼女しかいないだろう。
黒縁の眼鏡を見る。
包装の中にある、縁の無い眼鏡を見る。
違和感の正体。
いくら探しても見つからなかった彼の正体。
まるで台本を読んでいるようだった、彼は。
『浅羽さん! 浅羽さん? 聞こえてます? おーい』
「時が経つのは早いな」
気が付けば既に六十年。思い出にふけるだけの思い出がたくさん蓄積され、自分の記憶容量を圧迫する。
恐らくはこの時の為に生きてきたのだ。生かされてきたのだろう。何かの手によって。それが代償なのか、あるいは法則なのかは分からない。
だが、これから行うべき事は自分の未来を守ることなのだ。
ひいては、彼女の未来を守ることにも繋がる。
自分がすべきなのだ。
「浅羽さんのお陰ですよ。理論上可能とはされていましたが、まさか実現するなんて」
「俺は、いや、私は助力をしたに過ぎないよ」
「どうしたんですか、急に」
訓練さ、と答えて、黙り込む。
システムの進化に携わったのも彼女。それを指示したのも彼女ならば、全てを分かっていたはずだ。自分がどうなってしまうのかも。
けれど、彼女は人として終わることを望んだ。それは人ではない彼女の、唯一のわがままだったのではないだろうか。
「ちゃお!」
元気のいい声が聞こえる。ピュアチャオは美しく光る体を惜しげもなく晒し、研究員たちの感嘆を受けていた。
「元気にしてるんだぞ」
頭を撫ぜる。
彼女のわがままならば。仕方の無いことだった。きっと辛かったろう。誰よりも優しかった彼女のことだから、ずっと辛かったはずだ。
決別すべきときなのかもしれない。
過去の幸福に縋る自分と。かつての幸福に寄りかかる自分と。自分が今から演じるのは、単なる冷酷非道の現実主義者なのだ。
「ところで、本当に良いのですか」
「うん。大丈夫だ」
「過去にシステムは存在しません。あなたの力、あるいは別の方法で戻って来てもらうことになりますが」
大丈夫だ、と答える。
自分の予想が正しいのなら、自分の内側の『願い』が切れるまでもって数日というところだろう。そうすれば理から外れていた自分は元の歯車に戻り、今までの修正を受けることになる。
あるいは、待つのは死なのかもしれない。
だが、やるべきだった。
「この子をよろしくおねがいします」
思い残すことはない。外套の内側のポケットに宝石のかけらを確認して、頷く。
自分のすべきことは決まっているのだ。
システムが起動する。
光の波が景色を変える。
久しぶりの感覚だった。
気分はすこぶる良い。
巨大なモニターが目の前に出現する。鋼鉄の部屋。機械だらけの部屋に辿り着く。機械を操作して、制御AIの休眠状態を元に戻した。
『動作確認——システムに異常発生。原因不明。捜索を開始する為、意識を素体に移行します』
背後のカプセル・ポッドの扉が開く。いつか見た、いつも見ていた姿が目の前にある。まだ無機質で、何の感情もない状態だ。
いつ感情がプログラムされたのだろう。
そう思った途端、目の前の少女が口を開く。
「感情パターンを確認。トレースを開始します」
無機質だった彼女の瞳に、意志が宿る。
きょとんとしていた。
あの日から自分自身を造り上げてきた少女ではなく、まだ生まれたての少女である。
しかし、感傷に浸っている場合ではない。
男の方は既に感情がプログラムされているのか、冷静な表情で自分を見ていた。
「話があるんだ。聞いてくれ」
そして、自分は話し始める。
これから起こるべきことを。起こってしまうことを。未来そのものを。
自分たちが、どうすべきなのかを。
がたん、がたん。
電車が規則的なリズムを奏で、進む。自分は道端に落ちていた新聞紙——この時代にはまだ存在しているらしい——を持って、『彼』の正面の席に座った。
ピュアチャオが『彼』の隣に座っている。
頭を撫ぜていた。
恐らく、『彼』は今、あのときの自分と同じように考えていることだろう。
意味もなく他者を拒絶し、恨み、見下している。
そして、自分の未来を知らず、ただ漠然と生きている。
自分のことながら、少し哀れに思った。
だが、必要なことだ。
それに、悪いことばかりではない。
考えることは不要だろう。
あとはレールの上にそって歩き続けるだけだ。
ゴールはきっと、すぐそこにある。
立ち上がる。
少しずつ近付く。
さあ、君は自分のしたいことをやってくるといい。
それが、恐らくは。
「君のチャオ、名前はなんていうんだい?」
fin
明日へと繋がる道は無い。
自分の役割は終わったのだ。
あとはただ、自らがいるべき場所へと戻るだけ。
天国があれば、もしかしたら、そんな場所に。
行けると、いいかもしれない。