第四話 ページ1
嫉妬心。誰しも抱いた経験があると思う。七つの大罪の一つとして、人の心の醜い部分が引
き起こしてきた悲劇は数知れない。
嫉妬の炎が燃え上がっている間は、自己を客観的に観測することが困難になる。少なくとも
その間は、自分を中心にして世界が回っているとさえ錯覚できる。正しいのは自分で、悪いの
は周りなのだ。
だが、後(のち)に省みることが出来るのだから、人間は賢い生き物だ。その際に生じる慙愧
の念は、のた打ち回りたくなるほどに耐え難い場合があるが、それは人間的に成長するための
試練なのだ。
憎悪にすら変化しかねないこの感情を静めることが出来れば、それは新たな前へ進む力とし
て、己の糧にすることが出来る。負の力を正の力に導いてやることは、困難だが可能だと思う。
さて、今回のお話は。
——この堅苦しい前フリとは無縁の、僕とカトレアの日常を描いたいつも通りのお話である。
…
我が家のリビングでは、ソファの横に設置された扇風機が、数十分前から右に左に首を休ま
ず振り続け、清涼な風を部屋の中に送り続けている。その風の受け取り主は、ソファの上で軟
体生物のように溶けかかっているこの僕と、向かいのソファでもはや軟体動物といっても過言
ではない状態にあるカトレア。そして——。
「にゃあ」
僕の隣で、毛むくじゃらの体を丸めて小さく鳴いたこの生物。その愛くるしい姿から愛玩用
生物として世界中に人気を轟かせ、元々は鼠を捕まえるために人間が飼育し始めたとされる——
等というまでも無く、先ほどの鳴き声で分かるとおり、猫である。
体の大半を占める灰色の毛に、黒い毛が虎を真似る様に縞模様を描く。緑の大きな瞳が特徴
的、なのだが、眠たいのか今は瞼を閉じているので見られない。
この猫は我が家で飼っているわけではなく、野良猫でもない。普段は隣に住んでいる家族の
下で暮らしている猫である。
その猫がどうして僕の隣で扇風機の風に当たりすやすやと可愛い寝息を立てているのかとい
うと、別段深い理由は無いのだ。家族で旅行に出かけている間、我が家で飼い猫の世話をして
欲しいと頼まれたのである。僕を含めて、猫嫌いの人間も猫アレルギーの人間もいない我が家
は、それを快諾したというわけだ。
もっとも家に上がるなりこの猫『タマ』は、早々に寝心地のいい場所、つまりソファの上で
体を丸めてお休みタイムに入ってしまった。いきなり見知らぬ家に放り込まれ、不安や怯えを
感じるのではないかと心配したが、不要な懸念だったようだ。
夏の暑さを感じていないのか、穏やかな昼下がりの睡眠に身も心も預けるタマ。その背中を、
右手でそっと撫でてみる。
さらさらとした毛と柔らかな体つきが、癒しを伴う心地よい感触を伝えてくれる。猫が世界
中で愛される理由が分かる気がする。
「にゃあ」
さわさわとタマの背中を撫で続けていたら、タマが小さく鳴いた。どうやら起こしてしまった
ようだ。
「ごめんね」
そう言いつつも、僕は右手でタマを撫でることをやめない。すっかり触り心地のよさを気に
入ってしまった。気持ち良いのだ、これが。
僕に背中を触らせてくれていたタマであったが、しばらくするとソファからぴょんと飛び降
り、向かいにあるソファの上で、ぐてっとだらけているカトレアの元へ向かった。