第一話 ページ1
チャオが、人間のパートナーとして世界的に普及した現代。僕にも一匹、パートナーとなるチャオがいる。カトレア、と言う名前だ。
カトレアが生まれたばかりの頃は、その愛らしい仕草の一つ一つを見ているだけで、心が癒される毎日だった。
えっちらおっちらと、ハイハイで一生懸命、僕の元へ寄ってくるカトレア。抱き上げてやると、満面の笑顔で喜ぶカトレア。大好きな青くて丸い木の実に、一心不乱に噛り付くカトレア。
赤ん坊のようだったカトレアがある日、拙い発音で僕の名前を呼んだときの感動は、幼い僕の心に強く刻み込まれ、この先も消え失せる事は無いだろう。
だが、カトレアが人の言葉を話すようになってから、僕とカトレアの関係に変化が起きた。
比較的早い段階で、カトレアは人の言葉を話すようになった。家族や友人と会話するように、何の違和感も無くカトレアと会話するようになると、僕の意識は変わった。
それまでは、「僕がカトレアの世話をする」といった具合に、僕が主で、カトレアが従だった主従関係が瞬く間に崩壊し、僕とカトレアは、まったくの対等な関係となったのである。
カトレアと会話することで、カトレアが何を考えているのか、カトレアはどうしてほしいのか、カトレアは何をしてほしくないのか等……カトレアの気持ちを考えて、カトレアのためになることを考える。
それはまさしく、僕が、家族や友人と過ごす日常そのものであり、カトレアが、真に僕のパートナーとなった瞬間のように思えて、僕はとても嬉しかった。
そして、現在。今年僕は、小学校高学年の仲間入りを果たし、小学校入学時から始まったカトレアとの付き合いは、四年目を迎える――。
…
僕は今、カトレアと一緒に木の実を買いにいくために、民家が立ち並ぶ人気の無い道路を歩いている最中である。
残暑が厳しい九月の初め。雲一つ無い爽やかなブルーに染まる天空に、太陽は優雅に浮かぶ。
照りつける日差しはむしろ、八月より力を増して降り注ぐ。右手で、ズボンのポケットから汗で湿ったハンカチを取り出し、額を拭いてポケットにしまう。
十メートルぐらい先に、飲料水の自動販売機が見える。何か買おうかな。何があるかな。
自動販売機のラインナップに僕の好きなメロンソーダがあることを、自動販売機の神様にお祈りし始めたときだった。
「ワカバ! ちんたらしてないで、さっさとついてこい! このグズ!」
自動販売機の横で、一匹のチャオ――体の色はピンク色で、表面がツヤツヤしている、ニュートラルタイプのトビチャオだ――がそう叫んだ。
ちなみに、ワカバとは、僕の名前だ。
僕は小走りで、チャオの元へ向かう。
「ごめんごめん」
僕は着いた先で、足元のチャオに謝る。
「ワカバは、基本的に行動がとろい! 見ててイライラする! 亀じゃないんだから、もっとハキハキ行動しろ! この鈍間!」
上空に浮かぶ太陽にも一歩も引けをとらない勢いで僕を罵倒するチャオ。
このチャオこそ、僕のパートナー、カトレアである。
「暑くてぼーっとしながら歩いてたら、いつの間にか離れちゃって」
「言い訳するなっ、ワカバのくせにっ! その女々しい根性、ドーバー海峡横断でもして叩き直して来いっ! その途中で溺れて死ねっ!」
手足をぷんぷん振り回して、キンキン響く高音の声で、僕に罵声を浴びせ続けるカトレア。
この暑い中、よくそれだけの元気が保てるなぁ、と僕は感心する。元気なのはいいことだ。
「僕、ジュース買うけど、カトレアも何か飲む?」
僕はカトレアに聞いた。
「いらんっ! 金の無駄遣いだ! この世間知らずのボンボンがっ!」
「そっか。えぇと……あ、あった」
自動販売機は、僕のピンポイントな希望を叶えてくれた。なんと、メロンソーダがあったのだ。
ありがとう自動販売機の神様。硬貨を投入し、感謝の念を右手人差し指に込めてボタンを押した。
がこん、と音を鳴らして出てきたメロンソーダ入りの缶を、自動販売機下部の取り出し口から拾い上げる。
ぷしゅっ、と音を立てて開いた飲み口から、中身の液体を口に流し込む。
「あぁ、美味しい」
「ワカバのくせに、私を待たせるとは何様だっ! さっさと飲め! 三秒で飲め! 炭酸で骨が溶けて死ねっ!」
メロンソーダが喉を駆け抜けていく至福の瞬間を堪能する。三口飲んだところで口から缶を離し、しゃがみこんでカトレアに差し出す。
「ワカバ! なんのつもりだ!」
「カトレアも、飲む?」
「……」
カトレアは押し黙り、俯いて視線を左右に行ったり来たりさせている。
その目にはきっと、コンクリートと僕の靴しか映っていないはずだ。
手をもじもじさせて、たっぷり数分間悩んだあと、カトレアは俯いたまま、力なく呟いた。
「……じゃあ、ひとくち」