1. 引き取り活動

「ほんとに来るんですか?」
 声を潜めて尋ねました。友人Pは、力強くうなずきます。
「確実に、正午までには来るね」
 何を根拠に断言しているのかわかりません。私の不信を察したのでしょうか。友人Pはちょっと考えてから、言葉を付け足しました。
「まあ、引き取り活動上級者としての勘かな」
 そんな肩書き、初めて聞きましたよ。

 チャオガーデンには、今日も人がたくさん来ています。一番多いのは親子連れです。特に、小学生ぐらいの女の子と、その母親という組み合わせが一番多い。私たちが待ち伏せているのも、そういう典型的な親子でした。

 友人Pは入り口近くの植え込みに身を伏せて、じっと様子をうかがっています。彼女は引き取り活動の提唱者であると同時に、筋金入りの実践者でもあるのです。チャオに筋金入りという表現はミスマッチではないかという議論はさておき、彼女の体からは緊張感が始終発せられているようで、サポート役の私としても、真剣に取り組まざるを得ないのでした。

 引き取り活動……というのは、ガーデンでチャオを引き取ろうと考えている人たちに、チャオの方から積極的にアピールしていこうという活動のことです。
 ここ何年かの間に、チャオを飼う人の数はまた一段と増加しました。それに伴って、チャオガーデンの「引き取り・預け入れ制度」を利用する人も、年々多くなってきています。
 私たちチャオにとっても、幸せな家庭に引き取られるのは嬉しいことです。人に愛されれば、転生もできますしね。

 しかし、この制度には一つ、問題がありました。引き取り主が集まるのが、コドモチャオばかりだということです。「無邪気なのがかわいい」とか、「自由に進化させられる楽しみがある」とかいわれて好まれるコドモチャオに対し、オトナチャオには、あまり目が向けられてきませんでした。

 そこで登場したのが友人Pです。彼女はより幸せな家庭に引き取られるべく、戦略的な行動を開始しました。
「一人暮らしよりも、大家族に引き取られた方が、よりかわいがってもらえるんじゃないだろうか。ひいては、子どものいる家庭に対してアプローチを仕掛けていくのが、得策なんじゃないだろうか」
 そんなことをいいだした友人Pは、
「いつもガーデンに来ているあの女の子、チャオを飼っていないために、子どもたちの間で孤立している。それに、もしかしてあれは私立名門小学校の制服じゃないか?」
下心を持って女子小学生に接触。見事にその子と仲良くなることに成功しました。

 私はこれを、結婚活動になぞらえて、「引き取り活動」と命名しました。たかが名前を付けただけでも、暗闇に電灯をつけたように、ぱっ、と概念が明るくなる瞬間があります。まさしく、それでした。友人Pもこのネーミングを気に入って、他のチャオたちに話すときにも、よく使うようになりました。

 と、ここまでは順調だったのですが……雲行きが怪しくなり始めたのは、女の子が初めて母親をガーデンに連れてきたときのことです。友人Pの計画通り、女の子は母親に友人Pのことを紹介して、なんとか飼わせてもらおうとねだりました。けれども、
「チャオを飼うなら、タマゴからの方がいいんじゃない?」
その母親の意見に、まだ年端もゆかない女の子は、うまく反論できませんでした。友人Pのリードも思うようにいかず、ここに来て、友人Pの引き取り活動は、不穏なうごめきを見せ始めていました。

 私は背後に注意を走らせます。つやつやとした大理石の上で、ボールを蹴りあっているコドモチャオが三人。あのボールが、いつこちらに向かって飛んでくるかわかりません。そういう時のために、私は友人Pのそばで待機しているのです。
 もしも何かトラブルがあって、問題の親子に見つかってしまえば、引き取り活動をしていることがバレてしまう。今朝、私にサポートを依頼した友人Pは、それを一番恐れているようでした。

 植え込みに潜り込んだ友人Pの頭の輪が、ふわふわと浮かんでいます。それと入り口とを結んだ線分の間に割り込むように、私は立ち位置を調整しました。

「ご苦労様ちゃおねぇ」
 近く通りかかったエミーチャオが声をかけてきます。このエミーチャオもまた、私たちの友人です。
「うまくいきそうちゃお?」
「まあ……友人Pですからね」
 私の言葉に、エミーチャオはにやりと笑みを浮かべました。
「見学させてもらってもいいちゃおか?」
「どうぞ」
 エミーチャオは私の隣に腰を降ろすと、友人Pと同じように、入り口に目を向けました。

 背中を焼く陽の光が、じりじりと強くなっていくのがわかります。ガーデンの天窓からのぞく太陽が、高く昇ってきている証拠です。まだ、来ないのでしょうか。

 エレベーターが到着したときのわずかな振動が、私たちの間に緊張を走らせます。真っ白い床の上に、落ちる影が三つ。小学二年生ぐらいの、チェック柄のワンピースを着た女の子と、やわらかいスカーフと茶色のチュニックで、なんとなく曲線的な印象の女性。それに、赤セーターとブルージーンズ姿の、三十代ぐらいの男性です。
 友人Pが、舌を打ちました。
「父親もいるのか……」
 それが意味するところは、あまりにも明白でした。この家族構成で、もしも父親を友人Pの側に引き入れることができたなら、一家の過半数を押さえたという意味になります。しかし、失敗すれば……友人Pの引き取りは、絶望的になってしまうでしょう。

 友人Pは植え込みから、静かに頭を引き抜きました。頭についた花びらや葉を丁寧に払い落とします。私の目は、無意識のうちに、彼女の肌の輪郭をなぞっていました。透き通るように白い——けれども、それはもう、私の知る友人Pではありませんでした。そう考えると、イメージは急に儚いガラスになって、手の上で壊れていくのでした。

 友人Pが去っていったので、私の仕事はもう、これでおしまいです。ふう、と溜息を一つついて、エミーチャオに目をやりました。エミーチャオも、なんだか惚けたように、何もない空間を眺めていましたが、私の視線に気付いたのか、
「ここからちゃおね」
「ええ」
軽くうなずいて、友人Pの行く先を目で追いました。

 大理石の床の上に、ヤシの木がくっきりとした影を描いています。そこに友人Pの影が交差して、止まりました。彼女の額の上に、葉の隙間からこぼれた光が揺らめきました。
 女の子が父親の手を引いて、友人Pの元へと駆け寄っていきます。友人Pは、まるで昔からその場にいたかのように、ゆっくりと顔をこちらに向けました。
「この子かい?」
「うん」
 いわれて、お父さんは友人Pをまじまじと観察します。とはいえ、外見から友人Pの本質を見極めるのは、難しいはずです。友人Pは球をはてなマークにしながら、上目遣いで、初めて会うその人を興味深そうに見ています。

 先に口を開いたのは、友人Pでした。
「おとうさんちゃおか~?」
 コオロギの鳴くような声でした。
「そうだよ。私のお父さん。名前はひろし」
「ひろし~」
 友人Pはひろしさんの足元に寄り添ってほおずりし、ジーンズの裾を盛んに引っ張り始めます。その行動に、ひろしさんはちょっと驚いた様子でしたが、すぐに意味を理解したようで、友人Pの目の高さに合わせるために、腰を低く落としました。

 いやはや……さすがです。あの普段から口の悪い友人Pが、玉の輿家庭の前に出ると豹変するのが、あまりにも露骨で、そして面白すぎます。
 エミーチャオを見ると、早くも吹き出しそうになって、口元を押さえてこらえています。気持ちはわかりますが、ここは抑えておかないと。見つかってしまいますから。私は身振り手振りでエミーチャオに指示して、一緒に植え込みの陰に座らせました。それからもう一度、慎重に顔を出しました。

 ひろしさんはというと、あれが演技だとはちっとも気付いていない様子です。彼の指が友人Pの後頭部を優しくなでると、友人Pは、くすぐったそうに頬を赤らめました。
「どう思う?」
 友人Pが軽くお父さんのジーンズの裾を引っ張って、遅れてやってきたお母さん——どうやら、先にコドモチャオの集団の方を見てきたようです——に注意を向けさせました。お父さんが、顔を上げました。
「こいつのいうとおり、このチャオでいいんじゃないか? 他にいいやつがいたか?」
「そうねぇ」
 お母さんは値踏みするかのように、友人Pに目を落としました。

 友人Pもまた、お母さんを見つめました。私は知っています。最近の友人Pが、「目に涙をためる」演技を一生懸命練習していたことを。そしてそれは、今日、最初で最後の舞台のために、最上級の形を持って、実を結んでいました。涙は眼球の上を揺らめいて、お母さんの心に、無言のメッセージを送り続けていました。
 お母さんが、息を飲みました。これが合図でした。ゆっくりとしゃがみこむと、友人Pの両脇を抱えて、我が子のように抱きかかえました。
「この子でいいのね」
「ああ」
 お母さんはまぶたをこすりながら、友人Pをもう一度強く抱きしめると、
「じゃあ」
といって、歩き始めます。
 女の子が、輝くような笑顔をふりまきながら、その背中を追いかけました。

 エミーチャオは、もう、完全にあっけにとられていました。植え込みから頭を出して、立ち上がって、ぽっかりと口を開けています。お母さんに抱えられた友人Pが、私たちを見て、ウインクしたように見えました。けれども、それもつかの間、視界に割り込んだお父さんの背中が邪魔をして、お母さんに何かをいったので、私たちにはそれが、なぜか急に遠いところでの話になってしまったかのように思われました。

 エレベーターの扉が、何事もなかったかのように閉じていきます。やがて、完全にその姿が見えなくなっても、エミーチャオはずっと突っ立ったまま、私の手を握りしめていました。私もまた、強く手を握り返します。強く、強く、何があっても離さないように——

 私はノートを閉じました。一年前の出来事が、今でも鮮明に、このノートには記されています。あれからずっと……私はまだ、あの手の感触を忘れてはいませんでした。

このページについて
掲載日
2009年12月23日
ページ番号
7 / 23
この作品について
タイトル
チャオガーデン
作者
チャピル
初回掲載
2009年7月19日
最終掲載
2009年12月23日
連載期間
約5ヵ月7日