A System Dying

 自分のすぐ隣に、妹は寝っ転がっている。

「どうだい、土のベッドはひんやりしていて、背中の抉られたような切り傷を癒してくれるだろう?」
「ウジ虫のお医者さんは、そのもぎ取られた左腕の、腐りかけた切り口をむしゃむしゃと食べてくれるだろう?」

 小さな妹にかける言葉は、適切なのか、などということは敢えて考えない。僕も、幾分か狂気の怪物に身体を喰われているのだから。そして、彼女もきっと、僕の言葉を皮肉とは受け止めないだろう。
 そんなことも考えている今も、彼女は、大丈夫だよ、と言わんばかりに苦しい笑顔を覗かせながら、じっと僕を見つめて、この心を慰めようとしている。
 愛しい、愛しい、たった一人の家族だった妹。
 でも、そんな健気な顔からも、だんだんと、色が薄れていく。

 ――あぁ、ついに、独りになるのか。
 空を見上げ、ふとそう思った時、彼女はもう瞬きをしなくなっていた。
 僕は黙って手を合わせると、彼女の顔にそっと触れる。柔らかい温もりが、まだかすかに残っていて、傷だらけのこの右手を癒してくれる。
 ――ありがとう。
 不思議と、涙だけは出なかった。

 僕はスコップを取り出すと、粘土質の地面に勢いよく突き刺す。武器になれば幸いだと思って思ってきたモノだったが、結局、人一人殺すことなく、本来の使用法を遵守することになった。
 ガツッ、ガツッと言って、地面が削れていく。午後2時のむわっとする暑さはあっという間に作業をする僕の全身を汗まみれにしていた。

「はぁ、はぁ……」

 数十センチ掘って、僕は勢いよく地面に倒れ込む。ダメだ、体力さえ、もう無くなりかけている。よく考えれば、数日間、ろくな食料も水も手に入らず、飢えをしのぎながら生きてきたんだ。
 妹のコトを考えすぎていて、逆に自分のいまの立ち位置をすっかり忘れていた。

「ずいぶんと頑張っているのね、将来は大工になりたいのかしら」
「……将来は妹と農家を経営する気でいた。それがどうかしたか、誰かさん」
「あら、名前はきちんとあるのよ。あたしは、――」
「僕はリグだ。お前の名前には興味が無い」

 後ろを振り向くと、全身黒い軍服を身にまとった女性がいた。
 俺は特に危機感を抱くわけでもなく、彼女とそれ以上話すこともなく、作業を続ける。どうせ、彼女の狙いはヒーローチャオか、それを護ろうとする人々だろう。
 くだらない。そんな遊び、もっと別のところでやればいい。
 それか、いっそ、銃も兵器も捨てて、拳と拳で奪い合えばいい。

「その子は妹?」「あぁ、さっき死んだ」「なら、将来の夢、もうダメじゃん」
 小憎たらしい女だ。
 僕は彼女の眼を見ないようにして、吐き捨てる。
「早く消えろ」
「あらどうして」
「ここはヒーローの人間の溜まり場だ、お前みたいなダークは見つかり次第、ズドン」

 人差し指と中指を伸ばして、銃を撃つふりをすると、あぁ、おっかないねぇ、と女性は冗談でも見たかのように笑う。
 そこには大した危機感もなく、ここを動いていこうとする仕草も見られない。
 ……俺が言っていることは、本気だ。

「こんな私に、心配してくれるのね。あなた、優しいって周りからよく言われなかった」
「知らない。生まれた時から僕は仲間外れだった」
「いじめられていたの?」
「周りなんて見てもいなかったから知らない。同士は、妹だけで十分だった」
「同士?」
「ニュートラル」

 その一言で、彼女の顔は先ほどとは全く違う様相に変わっていた。

「気持ち悪い」「なんとでも言えよ」
「アナタは、仲間外れにされて当然じゃない」
「そうだ、だから、どっちかの仲間なんて思われたくない、今すぐ失せろ、消えろ、こんな気味が悪い人間のところにいたって、意味がないだろう」
「……チッ」

 彼女は、小さく舌打ちをすると、立ち上がって藪の向こうへと消えていった。
 あぁいうのは、大抵、農家上がりの人間を上手く丸めこんで食料を得ようとする類の人間だ。……まぁ、殺されなかっただけでも良しとしよう。

 僕は黙って立ち上がると、黙々と作業を再開する。


   *   *   *


「ヤダ、気持ち悪い」
 ヒーロー側の村に行って、米をもらおうとしたら、ニュートラルだからと言って、断られる。 

「うわ、近づくな、ニュートラルがうつる」
 ダーク側の街に行って、食料を分けてもらおうとおもぅったら、ニュートラルだからと言って、断られる。

 ――ダーク、ヒーロー、……ニュートラル。
 用法はいくらでもあるだろうが、ここでは全部、「その人が育てているチャオ」という位置づけになる。

 愛玩用として売られていたチャオは、いつの間にか、人の格付けをする役割の生物になり変っていた。
 一般的に、白――ヒーローチャオは倫理や道徳に忠実で、禁欲的な考えを持つ人間が撫でると出来て、黒――ダークチャオはその逆の犯罪に手を染める人間が撫でると出来る、と言われている。
 そんなのはきっと嘘だ。
 他の偶然の要素が重なって、個々人で黒か白に分かれるのだと想う。もし、上の一般論が正しければ、みんな黒になっているはずだから……。
 しかし、白色に進化させた人間は、いつしか黒色にしか育てられなかった人間を軽蔑するようになっていた。黒は、悪い奴、ひいてはダメな奴だと、その存在を否定し、追いやるようになった。
 黒は、黒で、どうせ俺たちは犯罪者予備軍だよ、と言わんばかりに凶行に走る人間が増え、白と一層対立するようになった。
 この僕が住んでいる地域はその一端。
 人間は集団になった瞬間、傲慢になり、いつしか、この問題に関しても、暴力で解決しようと互いが行動するようになってしまった。

「クソ、理不尽……ダっ!!」

 ただ、僕はその戦いを憎みはしない。
 その戦いに混じれない自分を、一番憎んでいた。

 ヒーロー軍もダーク軍も、俺にとってはどうでもいい。ただ、妹と一緒に暮らせる安住の地が欲しかっただけだ。だが、その妹も、結局、戦いに巻き込まれ、重傷を負った、そして、死んだ。
 怒りを鎮める場所もなく、夜になっても、僕は淡々と土を掘り返していた。
 左手の豆が破れ、血が噴き出している。痛くないといえば嘘になる。しかし、その痛みは僕の記憶を飛ばしてくれそうで、かえって心地が良かった。
 全て忘れたかった。

 ザクッザクッ

 彼女が育てたチャオがニュートラルにかならなかったことを。

『兄さんと、お揃いですね』

    ザクッザクッ

 自分の育てたチャオもニュートラルにしかならなかったことを。

『良いじゃないですか、私は蒼色が一番好きです』

   ザクッザクッ

 ある夜、妹に知れぬように二匹を殺して山林に捨てたことを。

『リオ、トール、どこに行っちゃったのでしょう……?』

  ザクッザクッ

 妹には「チャオはどっかに遊びに行っているよ」と言ったことを。

『そうですね、チャオも自分の好きなように、生きたいんでしょうから』

                ザクッザクッ

 妹に結局、チャオが本当はどうなったかを言わなかったことを。

『仕方ないですよね、うん、仕方ないですよ……兄さん……』

         ザクッザクッ


『兄さん、一緒に暮らせるところが見つかって、この世界が平和になったら、あの子たちを探して、みんなで暮らしましょう?』


 その妹も、さっき、死んでしまったことを。


「あッ……」

 がチッ。と音がして、ついにスコップで掘れない場所まで到達していた。
 深さは1m以上あるだろうか。
 ……とにかく、これで、妹を埋めることができる。
 俺は妹の体を抱き上げて、ウジ虫を払い落す。そして、優しく、穴の底へと、彼女の体をおいた。
 小さかった彼女が、一層小さくなったように、一瞬、錯覚する。
 可愛い妹。一緒に添い寝した妹。手をつなぎ続けていた妹。

「僕は、ニュートラルにしかできない自分が大嫌いだったけど。
 ニュートラルにしかできないキミが一番好きだった」

 行くところまで、行ってしまった。でも、どんなに軽蔑されても、怖くない。
 あぁ、そうだ。
 今、俺は独り、チャオも持たず佇んでいるこの瞬間が、たまらなく怖い。

「僕も一緒に、死ねばよかった」

 だけど、妹の前で、弱音は吐かない約束だから。

「おやすみ、明日も良い日でありますように」

 穴の中は、誰もいない、誰も来ない。
 僕ら以外、何もない世界。
 何故か、熱にうなされそうになるほど、暑かった。


   *   *   *


「キミが、リグくんかね?」
「はい」

 その朝、穴から這い出て、俺は僅かな水を飲んでいた。
 人間の腐臭が穴を覆い尽くして、寝てられもいられなかった。最初は、これは妹だと我慢していたが、ついに我慢が出来なくなって、何とかほら穴から脱出したのだ。
 そして、外できに寄りかかって涼んでいたところを、何故かヒーローの一団に取り囲まれていた。

「キミが、昨日、ダークの人間と話していたという目撃情報があるんだが」
「……あ?」
「ちょっと、来てくれるかい」

 人間ってのは、傲慢で、疑り深い。


   *   *   *


「そこの壁に手をつけ!」

 その後、ヒーローの村に連れて行かれた僕は、何故かダークの人間だという触れ込みがされていた。
 いまから、その確認をするというのに、なぜ最初から、この人間どもは勝手に僕の立場を決めてしまうのだろうか?

「さぁ、そこのダークのスパイ、服を全部脱いでもらおうか」

 にやにやとしながら、男が煙草を口にくわえて、僕の服をはぎ取る。
 力が無く、あっさりと地面に素っ裸で転げてしまう。それを見た周りの住人が、見世物ショーでも見るかのように僕を嘲笑っていた。
 こんなのが、ヒーローチャオを作るなんて、一般論は嘘もいいところだ。
 どうせ、ちょっとした噂から、あっという間にこの国中に広がってしまったのだろう。馬鹿げている。けれど、今僕がそれを説明したところで、誰も信用してくれないことなんてわかっている。
 ウェゲナーの大陸移動説は彼の死後一世紀後に認められ、メンデルの功績が認められたのも彼の死後だった。現代人は、それを常識だと言わんばかりに語っているが、昔は同じ種類の猿どもによってけなされていた仮説だった。
 どうせ僕も同じだ。
 いつか、きっとニュートラルも認められていくのだろう。ただ、今は、そんなことなど気にせず、ただ、自分の集団から離れるのが、怖いだけだ。

「さて、最後に言いたいことはあるか」

 裸にするだけしておいて、どうやら僕は死刑になることが確定したらしい。
 改めて全裸にされたまま、壁の方に手をつけと命令される。力なく、僕はそれに従っていた。

「さっき、僕を捕まえたところに穴がある。
 僕の恋人を埋めたところだ。そこに、僕も埋めておいてほしい」
「……そうか、判った。他に言うことはあるか?」

 威勢のいい初老の男が僕に言葉を求めてくる中、ピストルを構えた若い男がそっと近づいてくる。僕の最期に付き合ってくれる人間だろうか、いくらか僕に対して、同情を抱いていたらしい。
「実はさ、俺、人を殺すのが嫌いなんだ。お前かって、ホントはダークじゃないんだろ? 今ならまだ間に合う、お前のチャオを俺が取ってきて、見せてやろう」
 小声で、そうつぶやく。
 でも、僕はそれに飛びつかず、彼に返答するような、小さな声で、
「ありがとう」
 とだけ言った。

「おい、男! 他に言うことはないか!」
「……ヒーローの方々の軍服」
「ん、それがどうかしたか?」

「すごく、ダセェ」


 ――乾いた音が、無情な世界の空いっぱいに響き渡った。


(了)

この作品について
タイトル
A System Dying
作者
それがし(某,緑茶オ,りょーちゃ)
初回掲載
2010年1月12日