No.16

――……わからない。俺がいったいどういう存在なのか。俺の本当の名前も。それに意味があるのかも。意味とはなんだ? 俺という意味は? ユリ、お前ならわかるか。俺はもう、自分では何もわからない――


 私の頭の中では、いつかのシャドウさんの言葉が反芻していた。
 これほど気になることはない。つい先日、病的なまでの悩みを抱えていた彼が、体調を回復させた途端にこれだ。
 本当に、立ち直ったのか? 私はそれが気になっていた。
 パッと見れば、立ち直ったようには見えたろう。だが、それがもし演技だったら?
 私はシャドウさんのことには詳しくない。だが彼なら、自分の悩みくらいは隠し通すだろうと確信していた。その根拠は、彼の立ち位置にあった。
 彼は裏社会の組織を転々として生きている。名前も仕事柄沢山名乗っていると聞いた。つまりはスパイみたいなものだ。人を欺くくらいはやってのけて当然だ。相手を騙す為に。そして、自分の弱点を隠す為に。
 そして――根拠はそれだけじゃない。彼がそういった立ち位置にいる理由。これが本命だ。
 彼は所長であるゼロさん、そしてパウ、リムさんの関係者だ。仲もそれほど悪くはないと思う。それならば裏社会を渡り歩くリスキーな日々なんか送らずに、所長達と一緒に事務所に腰を降ろしたって誰も文句は言わないはずだ。
 そんなシャドウさんが事務所にいない理由を、おぼろげながらも知っている。
 あれから、それほど経ってない。所長の色褪せた背中。パウの冷たい声。リムさんの遠い目。
 あの時、確か二人はこう言ってたっけ。

――恐らく、彼だけは可能性を否定したんだろう。僕達は世界を跨いだのではないのかもしれないとね――

――……気付くのが遅すぎました。きっと義兄さんは、私達よりも早くその事実を知った筈です――

 シャドウさんは、自分の記憶と存在は矛盾していると考えた。それはつまり、自分の記憶か、存在かが偽者であると考えたことになる。
 そして、たった一人でその事実を探しに行ってしまった。
 ずっと一人で、悩んでいた。それは、ラリパラだった時の彼自身が物語っている。そんな長い間抱え続けた悩みが、今になってどうして解決したと言えようか。
 そうだ。シャドウさんは今も悩んでいる。一人になったら、また思考の泥沼にはまってしまう。だから、私に助けを求めようとして――いや、さすがにそれは考え過ぎかな。


「……やはり大した奴だよ、お前は」
 口に含んでいたステーキを飲み込んだシャドウさんが、開口一番やはり大した奴とか言い出した。果たしてどういう意味かと首を傾げると、シャドウさんは笑いながら言った。
「自分では気付いていないだろうが、お前は少なくともそこいらの一般人よりは良い能力を持っている」
「いや、別にそんなことはないですけど」
 また買い被りだった。私はいつものようにそんな言葉に首を横に振ったが、シャドウさんもまた首を横に振って言った。
「GUNとの合同作戦の時もそうだが、今回のこともそうだ。世界規模の発狂者を生んだ今回の事件、犯人が捕まったと聞く。そこには小説事務所の協力があったらしいが」
 知っていたのか。私は今回の仕事に関してシャドウさんには何も話していなかったが、情報が早い。
「解決に導いたのは、お前だろう?」
「は?」
 と思ったら、とんだ誤情報が飛び出した。私が解決しただって?
「お前の推理と行動のおかげでラリパラの原因は突き止められ、犯人も見つけ出すことができた……そう聞いている」
「……あの、ソースは?」
「パウだが」
 頭を抱えた。あの人ったら何言っちゃってくれてんのよ。酷い過大評価だ。あれは推理というほどのシロモノではない。あくまでラリパラをこの身で実体験したからこそあの事実に辿り着けただけだ。それに私の行動にしたって、ただひたすらに空回りをしていただけだ。
 私がそう言うと、シャドウさんは笑いながらやれやれと首を振っていた。
「俺も一通りの話は聞いたが、事実に辿り着いたのは正にお前の力あってのものだろう。それに所員二人の居場所を突き止めたのもそうだ」
 確かにあのメールの内容を知っていたのはカズマとハルミちゃん以外には私だけだったが。
「でも、どうせそのうち捜索に行った三人が見つけたでしょう」
「捜索メンバーはその時には既に別のところを探していた。無線機が壊れた偶然も重なるが、あの場にお前が駆けつけなかったら事態は悪化していたに違いない……だそうだ」
「いや、でも……」
「おいおい、いい加減自分の実力を認めたらどうだ?」
 とうとう呆れられた。
 そうは言っても、自分の実力だって? そんなの、都市伝説並に有り得ない。私は正真正銘平凡なソニックチャオ、「タイラ・ボン」なんて渾名をつけられてもおかしくないくらいだと自負していた。
 それなのに、私の力で事件を解決しただって?
「その報酬が、いい証拠じゃないか」
 シャドウさんは私の横のケースを指差した。
「お前が手に入れた金だ」
 ……そんな言われ方すると、ますます実感が湧かない。
 確かに私は、事件解決の為に誰よりも積極的に貢献したかもしれない。だが、今思い返してみれば一人で馬鹿みたいに動き回っていただけとしか思えない。そんな私が事件解決をした、ねぇ。
「さて、俺はもう行くとしよう」
 そう言ってシャドウさんは席を立った。気付けば私のハンバーグ定食の前にあった料理が綺麗に平らげられていた。本当に食べきったよこの人。
「また機会があれば会おう。じゃあな」
「あ、はい。じゃあまた」
 私に背を見せたまま軽く手を振って、そのまま店から出て行ってしまった。
 それを見送ってからも、私はまだ悩んでいた。横に置いたケースをじっと見つめながら、思慮に耽る。
「私が手に入れた金、か……」
 つまり、これは私の実力、成果ということ。私の力は、このお金と同等の価値がある。そういう意味なのだろう。
「……ないない」
 そういうのは自惚れって言うんだ。私のデマカセのデタラメ推理と空回りでここまで金が稼げるとか、そんな事実あっちゃいけないよ。
 一人納得し、私も残りのハンバーグ定食を平らげる為にフォークを手に取った。既に一口分切ってあったハンバーグを口に入れ――ようとして。
「ん?」
 なんかおかしい。
「あーーっ!?」
 そして気付いた。周囲の目も気にせず、私は大声をあげてしまった。
「はぐらかされたーっ!?」
 見事に私の話題にすりかえられて、シャドウさんの名前の件についての話が聞けてなかった。なんたる失態。私は大いに苦悩したあと、
「あ、失礼しました」
 お客さんの視線のいくつかが私に向けられていることに気付いて、慌てて頭を下げたのだった。


――――


 何はともあれ。
 これでようやく、今回の事件は終わった。
 世界各地で見つかった発狂者の多くは、大した後遺症も残さず短期間で社会復帰。大規模な人手不足による経済恐慌やその他の危機も杞憂に終わり、あれだけ騒いでいたマスコミも「謎の発狂は謎を残したまま消え去った」という感じの文章を最後に、ラリパラに関する話題を取り扱わなくなった。
 唯一問題があるとすれば、ラリパラのせいで今年のクリスマスや聖誕祭が台無しになったことだろう。
 私は特に何も気にしていなかったのだが、世間がラリパラで騒がれていたとき、クリスマスや聖誕祭のイベントに従事している人達も当然発狂とかしていたわけなので、いくつかの国、いくつかの都市では、いくつかのイベントが中止になってしまうほどの事態になってしまったという。(これを聞いた時、ヤイバ辺りが喜んでいた)
 勿論、世界的に当たり前な大イベントを中止とか有り得ないので、後日改めて数日遅れのウィンターパーティとしてクリスマスも聖誕祭もまとめてイベントを行うことにしたとか。これが本当のアフターカーニバルというやつか。これで一応市民の不満を回避することに成功して、イベントの主催者達はほっとしているようだ。(これを聞いた時、ヤイバ辺りが舌打ちしていた)
 しかし。
 オトナである私はもうクリスマスプレゼントを貰うことはないと思っていたが、まさか今年になってゲンナマを貰うことになろうとは思わなかった。
 所長も冬眠期間に入り(多分誇張表現だと思われ)、所員達も冬の間はかなり自由に過ごすらしい。私もそれにならって、今年の冬はこの金を使って羽を伸ばそうと思う。


「おい、ユリ!」
 そう思って雪降る街中をなんとなく歩いていたある日、突然後ろから誰かが声をかけてきた。振り返ってみると。
「げっ」
 例の野次馬同好会の会長がいた。特筆するほどの特徴を持たないチャオなのに、一目見ただけで会長だとわかってしまうあたり、指名手配されてる犯人よりはピン! とくる顔だ。
「ようやく見つけたぞ! どういうことだね! 小説事務所に潜入してはや数ヶ月、なんの情報も送ってこない挙句、退会届けとは! 今すぐ納得の行く説明を――」
 もう聞く気はなかった。間接的とは言え退会した身なんだから、いちいちつっかかってこないでもらいたいのだが……。


 今年の冬は、国外逃亡でも企てようかしら。

このページについて
掲載日
2011年2月8日
ページ番号
18 / 20
この作品について
タイトル
小説事務所 「開かずの心で笑う君」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年1月16日
最終掲載
2011年2月8日
連載期間
約24日