A-LIFE

 チャオとは、おどろくべき生物である。
 そのあいくるしい姿に秘められた能力。それは、世界中に住む生物学者たちの注目のまとになった。
 チャオと自由にふれあえるばしょチャオガーデンは、実はかいはつ当初はそのせいたいを詳しく調べるために作られた研究しせつであった。
 中でも小動物をキャプチャ、つまりその小動物の特性をチャオに取り込ませるというぎじゅつの研究がさかんに行われ、多くの学者たちがそうりょくを結集して見つけられたカオスチャオという存在は世界をきょうがくさせた。

 だが。実は、けっこう地味な研究も行われていた。
 チャオガーデンはさいしょ、有名なとしのあちこちに作られていた。いちばん有名なばしょはステーションスクエアだろうか。
 しかし、数年たったある日、今までとは少しちがったチャオガーデンが作られた。そこは一つのばしょに三つのチャオガーデンがあり、そしてすぐ近くにチャオ幼稚園がたっているという画期的なチャオガーデンだった。
 実はこれ、今でも少しの人しか知らないエピソードが眠っているのである。それは「チャオのかんきょうてきおう能力」のテストである。
 先にもかいたとおり、三つのチャオガーデンが存在する。一つはごくふつうのチャオガーデン。二つめは実にいいかんきょうがととのえられたヒーローガーデン。
 そして三つめが、とあるものずきな研究者がかんがえたダークガーデンである。
 そこはチャオが住むにしては不似合いなかんきょうで、大体のチャオは長くガーデンにはいられずに泣き出してしまう。だから大体の人はダークガーデンにチャオをおいておくなんてことはしなかった。
 だが、このダークガーデンのかんきょうを好むチャオは、当初かんがえていたよりも多かった。いたずらっ子やいじめっ子など、いかにもにんげんてきにしょうらい不良にでもなるようなチャオはダークガーデンのことを実に気に入っていたりした。
 だが、ダークガーデンを作ったものずきな研究者はそんなチャオには目をつけず、もっと別のチャオに目をつけた。

 それが、ボクである。

 チャオというのはふれあう人たちのかんじょうを受け取り、そのすがたをヒーローチャオやダークチャオに変えたりすることが多い。その中間にいちするニュートラルチャオに成長する者は、大体せいかくの違った二人の手で育てられたり、だれともふれあわなかったりして育つことが多い。
 だが、ボクはそのどの例にも当てはまらなかった。ボクは不特定たすうのいろんな人たちに囲まれて育ってきたのだが、そのだれのかんじょうも受け取らずに育ってきたという。
 そんなボクに目をつけたものずきな研究者は、ボクをいたずらっ子やいじめっ子ばかりいる、いわく「とぉ~ってもコワイ」とウワサのダークガーデンへうつした。
 だが、ボクにとっては「どぉ~っこがコワイ」とウワサのダークガーデンで、地面の中に埋め込まれた赤いライトでてらされた血の池にも、お化けのかおをした見た目だけマズそうな木の実をつける木にも、なんにもきょうふをおぼえることはなかった。むしろボクがダークガーデンを作った人にアドバイスしてあげたくらいだった。鳥かごしかさいようしてくれなかったが。その中のオブジェはさすがにR-18していだったようだ。がいこつとかでてくるくせに。
 ボクが一人でぼーっとしてる時にやってくるいたずらっ子や、ボクに聞こえるようにカゲグチを言ういじめっ子も、ぜんぜん苦ではなかった。おなかがすいた時に木の実を取られるなんてよくあることだったが、てきとうにあしらって知らんぷりしていたら手を出されることはなくなった。
 そんなだれとも必要以上にせっしようとせず、だれの助けもかりずに自分の力で解決できるようにするボクを、ものずきな研究者は実にきょうみぶかそうな目で見ていた。

 そんな十二月のある日。
「これから一年間、旅をしてきなさい」

 チャオガーデンしせつ入り口。ものずきな研究者から受け取ったさまざまな道具の入ったリュックを持って、ボクはそのばに突っ立っていた。
 いきなりのことだった。いがいにみじかかったダークガーデン生活を終え、ごくふつうのチャオガーデンでダークガーデンにいたころとあんまりかわらない生活をすごしていたところ、ものずきな研究者がとつぜんやってきて、とつぜんボクをだきかかえて、とつぜんボクを外につれ出して、とつぜんボクにリュックをわたして、とつぜん旅をしてこいと言われた。ついでに、なるべく途中でかえってこないでねと言い足して。
 ……何がいけなかったんだろう。二分くらいぼーっとしてから、ボクは今までの自分の行いをふりかえっていた。
 すききらいしたおぼえはないし、幼稚園の先生にわるいことをしたおぼえもない。ボールの空気をぬいたおぼえもないし、テレビのアンテナを折ったおぼえもない。
 ひとつひとつあげていくのもめんどうだったので、「前科前歴一切無」「地球温暖化防止貢献」と、聞いただけできよく正しいチャオであることをしょうめいできる漢字を並べた。つまり、何もしていない。
 そのこたえは更にぎもんをよび、ボクをてつがくの世界へといざなった。
 それから実に30秒、こたえが出た。

「何もしていない」

 ぎゃくてんのはっそうだった。よく他のチャオから「なんだかオカシなカンガエカタしてて、アタマいーのかわるいのかわかんないチャオ」と言われたしこうかいろがやくにたった。
 わるいことは何もしていないのは正しいことだ。しかしもんだいはそこではなく、むしろ何もしていないこと自体がわるいことだと言うことだった。
 これはさいていげん幼稚園で習わなければいけないことだけしか習わず、大したこうせきを何ものこしていないボクに対するしれんなのだ。その時のボクはそうかんがえた。
 しかしもちろん、ボクにそんなことをするやる気は全くなかった。例えれば学校の通知表の「感心・意欲・態度」の所は常にさいていひょうかまちがいなしのボクに、ぜんとたなんな一人旅にちょうせんするつもりは全くなかった。
 ボクはそっこうでかえろうとした。あのものずきな研究者もむだなことをするものだ。ボクに求めるものを完全にまちがえている。ボクはこのままチャオガーデンですごそう。面白いこともまるでないひまな毎日をつづけさせてもらおう。
 そこまでかんがえて、ボクは足を止めた。何かがボクにささやきかける。

「求めるのではない、与えているのだ」

 ……そうだ、まちがってる。
 あのものずきな研究者だって、まがりなりにも学者なのだ。あたまはいいのだ。ボクに何かを求めたってむだなのはわかりきっている。ならばなぜ、ボクを旅に行かせようとするのだ。
 そう、ボクに求めているんじゃない。ボクに与えてるのだ。すばらしきかなぎゃくてんのはっそう。ものずきな研究者のものずきなごこういをむだにしてしまうところだった。
 このままチャオガーデンですごしたところで、まっているのは面白いこともまるでないひまな毎日。そんなボクに、外の世界を自由に歩くけんりをくれたのだ。
 当時はまだチャオも社会にはてきおうしておらず、チャオはまだペットどうぜんだった。まだどこかの週刊誌作ってるような所でチャオがはたらいてるなんてことのない時代で、とうぜんまちを一人で歩くようなチャオなんていないころだった。
 つまり、ボクは「いちばんさいしょに一人で社会に出たチャオ」ということになる。
 ……わるくないかもしれない。少なくとも、このままチャオガーデンですごすよりは。
 おもむろにボクはにもつをチェックした。
 まず、テントがあった。まだおんだんかがしんこくになってないじきなのでふつうに雪のふる冬をのりきるのに不安があったが、別にかまわないとふんだ。他には手ごろなサイズのおなべ、つり具、などなど。
 そしていちばん下には、チャオにぴったりなサイズのふくがにちゃくと、ぼうしがあった。ボクの水色の体とはぜんぜんちがった、ちょっと薄汚れた茶色いふくとぼうしは、しかしボクのしゅみに合うものだった。風来坊みたいでかっこいい。
 このふくとぼうしをさっそうとちゃくようしたボクは、もう旅をする気はまんまんだった。この先に、ボクの中のくうきょな心をみたしてくれる旅路がまっている。
 なぜかちかばのゴミすてばにあった新品のスケボーをだれの目もつかないウチに手に入れ、これって前科になるのかなぁと思いながらそのスケボーに乗り、ボクはチャオガーデンしせつをはなれた。

 こうして――後にスケボーと共に旅するフウライボウとして有名になる――ボクの旅ははじまったのであった。


 ……ベツにダンジョンをコウリャクしたりはしないチャオよ。

このページについて
掲載日
2009年12月24日
ページ番号
1 / 10
この作品について
タイトル
A-LIFE
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2009年12月24日