第26章:魔女の咆哮、星を穿つか否か
魔女艦隊が放った初撃は、ミレアの咄嗟の判断で、まさに間一髪で躱すことができた。
【カンナ】「…助かったわ、ミレア」
【ミレア】「いえ、これは、まずい、と思った、だけです」
アンヌの主砲発射命令は、彼女が敢えて通信を切らずにクロスバード側にも流したため、カンナだけではなくクロスバードにいたブリッジにいた全員が聞いている。
だがミレアはその命令を聞く前に、『これはまずい』と感じ、咄嗟に艦を回したのだ。
一方、こちらも初撃が外れたことを確認したアンヌは、それを判り切っていたかのようにつぶやいた。
【アンヌ】「やはりこれでは沈んではくれませんか…あちらの操舵手、確かかなり落ち着いた女の子だった記憶がありますが…見た目と違って相当なやり手ですわね…」
【第26章 魔女の咆哮、星を穿つか否か】
カンナは後手を踏むまいと、矢継ぎ早に指示を出す。
【カンナ】「ゲルト、全砲門発射準備を!ジェイクとアネッタも急いで出撃…」
…が、そこまで言いかけたところで、クーリアの右手がすっと彼女の目の前に伸びてきた。
【クーリア】「…艦長、落ち着いてください」
【カンナ】「クーリア…?」
【クーリア】「確かに目の前の敵が魔女艦隊であった、というのは想定外もいいところですが…そもそも私達の現在の目的は何でしたか?
目の前の基地を占領することでも、目の前の敵を殲滅することでもありませんよね?」
【カンナ】「!!」
そこでようやくカンナははっとする。アルベルト元帥に嵌められたこの状況からさっさと脱出するのが、今の第一の目標のはずである。戦果など、帰ってから適当に言い訳を繕っておけばいいのだ。そこで何と言われようと、ここで死ぬよりは何百倍もマシである。
【カンナ】「…ありがとう、クーリア。目が覚めたわ」
【クーリア】「いえいえ。…とはいえ、魔女相手に逃げ切るというのも、楽ではないというのは重々承知ですが…」
そうクーリアが返している間にカンナは一計を案じたようで、フランツに対して指示を出す。
【カンナ】「…フランツ、この辺りの氷の下はほとんど海なのよね?」
【フランツ】「え、ええ、そのはずですが…」
【カンナ】「地形データ、もらえるかしら?」
【フランツ】「了解…これぐらいでいいでしょうか?」
すぐにフランツからデータが届く。それを確認したカンナは、次々とクルーに指示を出した。
【カンナ】「ありがとう。…ミレア、C6方向にお願いできるかしら?」
【ミレア】「了解、です」
【カンナ】「ゲルト、主砲は使わずに魔女艦隊を牽制して!」
【ゲルト】「無茶言ってくれるなぁおい!…任された!」
【カンナ】「ジェイクとアネッタもあくまでも迎撃に徹して!」
【ジェイク】『了解!』
【カンナ】「…魔女相手に逃げ切るとしたら…これしかないわ…!」
カンナがそう小声でつぶやくと共に、クロスバードは大きく向きを変え、魔女艦隊から逃げるように動き出した。
【ドミトリー】「『スイーツガール』、反転して距離を取ります」
【アンヌ】「あら、今回は逃げるんですのね?」
ドミトリーの報告を聞いて、アンヌはそう挑発するようにつぶやいた。但し、既に通信は切れており、そのつぶやきは相手には届かない。
【アンヌ】「普通ならそれが上策なのかも知れませんが…私達にそれが通用するとお思いなのかしらね?」
アンヌはさらにこう続けて、ニヤリと笑った。追撃開始の合図である。
【レイラ】「魔女艦隊、追ってきます!」
レイラの報告に対し、カンナがいくつか質問を飛ばす。
【カンナ】「速度は!?」
【レイラ】「ほぼ同じです!しばらくは追いつかれないはずですが、これでは逃げ切るのも…!」
【カンナ】「距離は400のままね?」
【レイラ】「え、ええ、会敵時と変わりません!」
【カンナ】「それならギリギリいけるはず…!ゲルト、主砲はチャージだけしてまだ撃たないで!!」
【ゲルト】「分かった!…とっておきの策があるんだろうな?」
【カンナ】「そんな大層なものじゃないけど…信じてもらえるとありがたいわ」
【ゲルト】「馬鹿を!俺達には『艦長を信じる』以外の選択肢はハナから用意されてねぇんだよ!」
ゲルトはそう言いながら主砲のチャージだけを開始する。
実際のところ、ゲルトは勿論、この時点ではカンナ以外のクルーはカンナの意図を計りかねていたが、それでも誰もカンナを疑ってはいなかった。
【カンナ】「嬉しいコト言ってくれるじゃない!…もうちょっとよ!」
やがてクロスバードは、見通しの良い氷原に出る。だが、そこは遮るものが少なく、逃走戦の常識で言えば有り得ない場所である。
【アンヌ】「今です!落としてしまいなさい!」
それをチャンスとみたアンヌはそう指示するが、ドミトリーが待ったをかけた。
【ドミトリー】「お待ちください。…あの同盟の超エリート揃いの戦艦が、無策のままこんな場所に逃げ込むとは到底思えません」
それを聞いたアンヌは手を止める。その通りである。『あの戦艦』に乗っている面子を誰よりも知っているのが他ならぬ彼女なのだ。
アンヌは数秒、無言で思考を巡らせていたが、それをかき消すように兵士の声が響いた。
【兵士A】「敵艦、浮上します!」
【アンヌ】「浮上!?」
モニターを確認すると、確かにクロスバードが上昇している。さすがの彼女も驚きを隠せない。
やがてクロスバードはある程度の高度に達すると、そのまま艦首を下に向け、氷の地面に向かって主砲を放った。
【ドミトリー】「主砲を…?ど、どういうつもりでしょうか…?」
【アンヌ】「ま、まさか…!」
…アンヌがある可能性に気が付いた瞬間、クロスバードは既にその場から姿を消していた。
【兵士A】「て、敵艦の反応、ロスト!!」
混乱する兵士に対して、アンヌが思わず叫ぶ。
【アンヌ】「海中よ!主砲を氷原に撃って氷を壊して、海に潜ったんですわ!!」
【ドミトリー】「そんな無茶な…!海中、追いますか!?」
【アンヌ】「さすがに艦隊で追いかけるのは無理ですわね…」
アンヌの言う通り、この氷の惑星でたった1隻の戦艦を追いかけるのに艦隊総出で海中に突っ込むのは、メリットに対してリスクが釣り合わない。
【アンヌ】「やられましたわね…」
完全に出し抜かれてしまったアンヌは、さすがに悔しそうな表情を見せ、こうつぶやいた。もちろん予想外の行動で逃げられたことに対してもそうだが、クロスバードが浮上して以降、予想外の動きに呆気に取られてしまい、ほとんど砲撃ができなかったのもさらに後悔させた。
そもそも敵がどんな動きをしていようが、とりあえず砲撃して当たってしまえばそれで勝ちだったのに。…そんなことを考えているところに、ドミトリーが問いかける。
【ドミトリー】「如何いたしましょう。帰還いたしますか?」
…だが、そこでアンヌも何かを閃いたようで、こう答えた。
【アンヌ】「…いいえ、まだ手段はありますわ。地形図を出して?」
その指示に対して、メインモニターに素早く現在地周辺の地形図が映し出される。
【アンヌ】(このままでは終わらせませんわよ…!)
一方、海中に逃げ込んだクロスバード。
【カンナ】「魔女艦隊の追跡は!?」
【レイラ】「…ありません!振り切りました!」
…レイラのその一言で、ブリッジに安堵の声が相次ぐ。
【クーリア】「さすがに今回ばかりは血迷ったのかと思いましたよ…」
【ゲルト】「氷が薄い氷原で主砲ブッ放して氷を壊したらそのまま海中にドボン、とか滅茶苦茶もいい所だろ…」
【レイラ】「あたしも水中潜航モードに切り替えろって言われた時は一瞬『えっ!?』ってなったし」
【ミレア】「正直、撃たれないか、怖かった、です」
【オリト】「で、これからどうするんですか?ずっと海中にいる訳にはいかないですし…」
【カンナ】「氷がないFB-6ポイント付近で浮上して、うまいこと逃げるわ。大気圏から抜け出せれば後はどうにでもなるし」
【ミレア】「了解、しました」
かくして、水中を潜航すること数時間。予定通り氷のないポイントに到着し、浮上を開始する。
【レイラ】「付近に敵影、ありません!」
【カンナ】「それじゃ、一気に浮上するわよ!そのまま上昇して大気圏離脱まで持っていくわ!」
【ミレア】「上昇、します」
それに合わせて、クロスバードは一気に浮上。水面から艦体が完全に抜け出し、空中に出た、その瞬間だった。
ズドン、と鈍い衝撃がブリッジを襲う。一瞬、何が起こったのか分からないクロスバードのクルー。
コンマ数秒だけ間を置いて、ようやく『被弾』だと把握した。
【カンナ】「ジャレオ、被害状況は!?」
【ジャレオ】『S-2ブロックに被弾!通路なので人的・物的被害はないですが、応急処置をしないと大気圏外への脱出は難しいです!』
【カンナ】「くっ…仕方ないわ、一旦上昇を中止!回避運動を取りつつ今の高度をキープ!」
【ミレア】「了解、です」
とりあえず浮上を止めたクロスバードだが、問題は、何故撃たれたか、である。付近に敵影はいなかったはず。
【ゲルト】「…にしても、一体どっから撃ってきやがった!?」
【レイラ】「被弾位置からして、N-25方向だと思いますが…そんな、まさか…!」
レイラは被弾方向から推測して、ある結論に至った。最も、「まさか」という注釈付きではあるが。
【ドミトリー】「敵艦、浮上を止めました。回避運動を取りつつ高度をキープしています」
【アンヌ】「さすがに直撃とはいきませんでしたか…ですが十分です、全艦、一気に詰めますわ!!」
結論から言えば、魔女艦隊はクロスバードの索敵範囲外から、クロスバードが浮上してくる瞬間を狙って狙撃したのだ。
【ゲルト】「そんな芸当…そもそもこっから浮上するって何でバレてんだよ!」
【カンナ】「あたしらが水中に潜った場所から比較的近くて浮上しやすい地形…向こうとしてもギャンブルだったろうけど、迂闊だった…っ!」
思わず拳を机に叩き付けながら、悔しがるカンナ。完全に、自身の詰めの甘さが招いたミスである。
【クーリア】「水中だと索敵範囲が狭くなりますし…完全に狙われてましたね…」
魔女艦隊にしてみれば、潜って追いかけられないのであれば、浮上するところを狙えばいい。完全に裏を取られてしまった格好だった。
【レイラ】「魔女艦隊、接近してきます!」
【カンナ】「さすがに今度こそ万事休すかしらね…」
と、その時だった。
【兵士A】「未確認機、上空より降下してきます!!」
【アンヌ】「未確認機?」
予想外の報告が飛び込む。モニターに映し出すように指示するアンヌ。
指示通りに兵士がモニターにその未確認機を映し出したところ、小型の宇宙艇がゆっくりと降下してきていた。
【アンヌ】「あまり見かけないタイプですが…これは民間用の小型艇?」
アンヌが指摘した通り、現れたのは主に民間で使われる小型艇。宇宙海賊などからの自衛のため最低限の武装をしているものもあるが、大半は非武装。少なくとも、戦場に出てきていいものではない。
一方、クロスバード側も全くの想定外の展開に呆気に取られていると、突然その小型艇から通信が飛び込んできた。
『お久しぶりです、皆さん』
その声の主は―――
【カンナ】「マリエッタ…王女殿下…どうしてここに…!?」
【マリエッタ】『あら、私のお話をもうお忘れになって?今の私は、ただのマリエッタとして…皆様に会いにきたのですわ』
【レイラ】「お話…?」
【クーリア】「そういえば、王家から離脱するという話を聞いたような…正直、あの演説の後半部分はほとんど聞いてなかったのですが、本当だったのですね…!」
【フランツ】「それにしても、わざわざこんな戦場まで小型艇で会いに来るとは、穏やかではないですね…」
【マリエッタ】『いえ、本当に純粋に、会いに来たのですわ。先日のお礼と、皆様の普段の様子が知りたくて』
【ゲルト】「普段の様子、って…」
呆然とするクロスバードのクルー。しかし冷静に考えると、グロリアでの騒動にX組が絡んだ一件も、元はと言えばマリエッタがクロスバードに駆け込んだことが事の始まりである。良くも悪くも浮世離れしているのが彼女なのだろう、と無理矢理納得した。
【兵士A】「通信、傍受しました。音声パターンから見ても間違いありません。…グロリア王国元第二王女、マリエッタ=ネーブルです」
【アンヌ】「まさかこのタイミングで直接介入してくるなんて…!世間知らずもいいところですわ…!」
魔女艦隊の旗艦・プレアデスでは、そのやり取りを聞いていたアンヌが唇を噛む。
【ドミトリー】「…如何いたしますか?」
【アンヌ】「下がるしか、ないでしょう…!」
離脱を表明しているとはいえ、彼女はれっきとしたグロリアの王族である。いくら『魔女』とて、共和国と国境を接している国の元王族を撃つ訳には、さすがにいかなかった。
かくして、被弾箇所の応急処置を終えたクロスバードがマリエッタの小型艇と共にゆうゆうとリベルクエタから離脱するのを、魔女艦隊は黙って見送るしかなく、この戦いは何とも後味の悪い形で終えることとなった。
【アンヌ】「悔しいですわね…」
リベルクエタの大気圏から離脱していくクロスバードを眺めつつ、アンヌがポツリとつぶやく。魔女の異名を取る彼女とて、これまで一度も敗れたことがない訳ではない。かの『蒼き流星』に苦汁を舐めたことだってある。しかし、これだけの悔しさを味わったのは初めてだった。もちろん、今回の戦いが『単純に敗れた』訳ではなく、訳の分からない介入によって強制的にみすみす敵を見送らざるをえなかった、ということも大きい。
そしてそれと同時に、うっすらとだが、彼女たちクロスバードの可能性、というものについて考えを巡らせていた。共和国内で同行していた時も薄々感じていたが、彼女たちは間違いなく只者ではない。今はただのいち戦艦かも知れないが、やがてこの銀河の戦争の趨勢すらも変えてしまう存在になるのではないか。…仮に彼女たちがそうなった時に、多少なりとも関わりがある自分たちはどうするべきか、どう在るべきか?
…そこまで考えたところで、アンヌはあることを思いつき、ドミトリーを呼び耳打ちする。
【ドミトリー】「お嬢様、それは…」
ドミトリーが耳打ちの内容に驚きそこまで言いかけるが、アンヌはドミトリーを制止した。
【アンヌ】「これも未来のためです。…銀河の、そして我々の。ドミトリー、お願いしますわ」
【ドミトリー】「はっ、仰せのままに」
ドミトリーはそう承諾し、ブリッジから下がっていった。
【アンヌ】「さて、銀河の意思は誰に微笑むのかしらね…?」
彼女は一人になったブリッジで改めてニコリと笑いながら、既にただの点ぐらいの大きさにしか見えなくなっていたクロスバードを見上げながらつぶやいた。気が付くとその点も、もう分からなくなっていた。