4:探索部
車の挙動が怪しいな、と思って目が覚めた。
窓の外の光景に、僕は少なからず面食らった。身震いするほど白い。ちっとも整備されていない雪道だ。どうやらステーションスクエアに近づいてるらしい。
「起こしてしまいましたか?」
荒いハンドル捌きをしながらも涼しい顔をする女が隣にいた。堂に入ったようなその姿は不覚にもかっこいいと思えてしまう。
「お前よく走れるな……」
「オフロードは度胸ですからね」
ラリーでもやってたのかよ。ほんと能力の高さだけなら大した奴だ。
「もう少しで駐車場につきますよ」
「駐車場? わざわざそんなとこに停めるのか」
「屋内に停めないと動かせなくなっちゃうじゃないですか」
ああ、確かに。外を見ると吹雪が吹いてて、放っておいたらタイヤが埋まってしまいそうだ。それにしても時間こそ日中だが、この視界の悪さには目が眩む。前も後ろも見えやしない。突然目の前にコンクリの壁が現れてぶつかるんじゃないか、という恐怖がちらついてしょうがない。
「まるで山の中だな……元々は都会だろ?」
「照明の類が一つも生きてませんから、天気が悪いとこうなっちゃうんですよ」
つまり今のここは山と同じ条件ってわけだ。人も明かりもないという点において。とても都会のあった場所とは思えない。建物の姿だっておぼろげにも見えやしないぞ。
「こんなんじゃ外歩けないだろ。どうすんだ」
「この光景を見たあの子次第ですよ。捜索の約束は今日一日ですし、あの子が無理と判断したらそれでお終いということになりますね」
それはまあ、僕にとってはとても好都合な話だ。けど、お前はそうじゃないだろ? 目線だけで問いかける僕に対して、彼女は目を薄めて笑う。
「あの子は山歩き……というのもおかしいですけど、それらしいものに関しては素人でしょう? 経験のありそうな人に、捜索は可能だ、と言われればやるでしょう。判断はあなたに任せますよ」
僕に? ずいぶんと白々しいことを言う。どうせ僕が無理だっていってもやるくせに。
「いいえ? 私はあくまであなたのボディガードですから」
それだけ言って、会話はピタリと止んでしまった。
最初からここを目指してました、とでもいうくらい簡単に駐車場が見つかった。エンジンを止めた彼女は「ちょっと様子を見てくるので、あの女の子のことは任せましたよ」と言ってスーツ姿のまま出て行ってしまった。常人だったら10分で死ぬ勢いの寒さなのだが、あいつなら平気だろうなという確信があった。
それにしても、地味に嫌なことを任せられた。同年代の女の子を起こすなんて経験したことない。着いたぞと声を掛けてみたり、ベッドの端を叩いても少女が起きない。こうなると揺すったりして起こさなければいけないわけで、異性の眠りを覚まさせることのなんと難しいことか! と思わず天井を仰いでしまった。
とにかくなんだか少女の体に触れるのには抵抗があったので、他にもいろいろ試してみた。迷惑にならない程度に大声をあげてみたり、本と本を使って火の用心よろしく音を鳴らしてみたり。しまいにはコンロを点けたり消したりしてみたが、どれもこれも効果がなかった。眠り深すぎだろこいつ。
とにかく目を覚まそうという気配がちっとも感じられない少女を目の前に、僕もようやく意を決して手を伸ばした。どこを触るのが無難だろうかと悩みながらおずおずと肩を揺する。ところがこの少女めは身動ぎもしないので、今度は肩をポンポン叩いてみたがやっぱり反応がない。すわ、呼吸でも止まっているかと思ったがちゃんと胸は上下していた。
だんだんと手が震えてくる。他に触れるところなんてないが、本当に強いていうなら頬を叩いてみるという選択肢があった。親しくもなんともない女の人の顔に触れる。恥ずかしいを通り越して、失礼というか厚かましいというか、許されないことをしようとしているんじゃないか、僕は?
「……もう一回火の用心するか」
「なにアホやってんですか」
「うおぉっ?」
また本を拾い上げたところで、唐突に後ろのドアから奴が顔を覗かせてきた。お前様子を見に行くとか言ってたじゃないか。
「あなたが初心でかわいいのは結構ですけど、そろそろ見てて頭が痛くなってくるのでキスでもなんでもしてさっさと起こしてください」
とんでもねえ台詞を置いて、今度こそ黒スーツの女は去っていった。キスで目が覚めるのはディズニーだけなのに、今時の連中の認識はそれ中心なんだから凄い影響力だなあ。ってそうじゃないよ、早く起こさないとだよ。
とにかく、何度も深呼吸をして手の震えを抑えようとした。結局止まらなかったけど。恐る恐る手を伸ばすと、指が少女の頬に触れる。やわらかい。何度か軽く触るとそれがよくわかる。そのうちにだんだん慣れてきて、ぺちぺちと音がするくらい頬を叩くことに成功した。ここにきてようやく身動ぎをした少女が薄く目を開く。
「あ、あの、着いたよ。目的地」
「…………あっ、はい!」
さっきまでのはなんだったんだよと文句を言いたくなるくらい少女は勢いよく飛び起きた。寝る前に外していた眼鏡をかけなおし、ベッドの上で正座する。
「えっと、それで、どうすればいいんでしょうか!」
どうすればいいんだろうね。特に何も決めてないよ。なんて計画性のない一日。
「……とりあえず、そこの防寒具に着替えて」
「わ、わかりました! それじゃ――えっと」
「大丈夫、見ない。カーテンもあるし」
言いながらさっとカーテンを閉めた。ほんとやりにくい一日だ、今日は。僕もそそくさと防寒具を装備する。
キャンピングカーから外は、文字通り別の空間だった。しっかり着込んだ防寒具の隙間から寒さが浸食してくる。まだ屋内でこれだ、外はきっととんでもないだろう。
「すごい……天井が氷柱だらけ」
少女の指差す天井は、確かに氷柱がギッシリだった。このまま天井が下りてきて串刺しにされる、そんな光景を思わず想像してしまう。
「雪の降ってないとき以外はずっと大雨ですからね。冬になると全部こうなるんですよ」
僕らが出てくるのを見計らったように奴が帰ってきた。さっきの黒スーツはどこへやら、彼女も防寒具フル装備になっていた。いつ着替えたとかもう心底どうでもいい。
「そうなんですか……詳しいんですね。ひょっとして、ここにはよく来るんですか?」
「いえ、さほど」
どうだか。僕の知らないうちにちょくちょく足を運んでてもちっとも不思議じゃない。
「ただ、廃墟同然の地で引っ切り無しに続いた雨が冬になればどうなるか、想像するのは容易です。二人とも気を付けてくださいね、危険なのは屋外よりもむしろ屋内です」
「屋内?」
言われて、改めて駐車場の中をぐるっと見回す。わかりにくいが、透明な氷が床一面をびっしりと覆っているように見える。
「当たり前のように浸水した雨水が凍って、足場がちっとも安定しません。ほぼ全ての建物で例外なく怪我をする可能性があります」
「うへぇ」
さっそく腰の力が抜けて転びそうになった。まだ雪の積もった外の方がマシなのか。
「オマケに電気の類は全て死んでいるので、外同様に視界が利きません。十分に注意してください」
そういって彼女は僕らの体にライトを取り付けた。懐中電灯で片手を埋めるわけにはいかないから、こういった手をフリーにできる装備はとても重要というわけだ。
「あらかじめ目的のチャオがいたであろうポイントは既に絞ってあります。とにかく怪我しないことを第一に行動しましょう。滑って骨でも折ったら、生きて帰れる可能性はグンと下がりますからね」
凍えるような寒さとはまた違った、別の冷たいものが体の中を駆け巡った。日常を過ごしている時よりも色濃い死の気配が、常に傍らに漂っている。隣の少女の顔はゴーグルでわからなかったが、きっと僕と同じ表情をしているのだろうと読み取ることができた。
墓場なのだ、ここは。文字通りに。
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ここを死地へと変えたのは、二年前にステーションスクエアを襲ったカオスだと言われている。
未曽有の大洪水を起こしたカオスに対して、人々は逃げ惑うことしかできなかった。街にいた人々は外へと逃げ果せ、取り残された人々は死に絶え、やがて街にカオスしかいなくなったとき、カオスは泣き叫ぶような声を残して消えてしまった。
それから二年、この街を覆う雲は未だ晴れていない。人々はこの雲をカオスの呪いと呼び、国はこの呪われた街を放棄した。常に嵐の吹き荒ぶこの街は荒れ果てたまま放置され、封鎖されている。
そんな曰く付きの街を、僕らのような高校生二人と怪しい女が歩いているというのだから、ちっとも現実味がない。
コンパスを手にした黒スーツ女を先頭に、先の見えない吹雪の中を歩く。地形は頭の中に入っているらしく、彼女の足取りに迷いはない。僕らは手を引かれるまま寒さを耐え忍ぶ。普段はこいつと手が触れるのも嫌なのだが、今回ばかりは仕方がない。
それともう片方の手は文学少女と繋いでいる。最初はお互いに手を繋ぐのを躊躇ったが、今は意識して手に力を込めている。文字通り僕らの手が命綱なのだ。
おかげさまでゴーグルについた雪も拭き取れないので、ずっと足元ばかり見て歩いていた。僕らがお互いの手を放したのは、引率の彼女が足を止めてからだった。ゴーグルの雪を拭き取って目を凝らすと、微かに見覚えのある場所があった。
「……ここ、駅か」
ステーションスクエア駅前。すぐ近くにビーチやホテル、カジノにテーマパークまである人気スポットだった場所だ。僕もよく足を運んでいた。きっと文学少女も同じだろう。
「チャオガーデンはそこのホテルですね。エレベーターが動かないので階段を使いますけど、滑らないように気を付けてください」
そういえばエレベーターでチャオガーデンに行っていたなぁ。二年前までの日々を思い出しながらホテルに足を踏み入れる。入口はかつての洪水でガラスが割れていた。破片は散らばっていないが、とにかく滑らないように慎重に動く。
彼女が言っていたとおり、建物の中は天然のスケートリンクだった。スパイクのない靴だったら立つこともままならないであろう空間。手足を冷やさない方法でもあれば、年甲斐もなくハイハイで移動していただろう。仕方なく手すりに掴まって歩いているわけだが、めちゃくちゃへっぴり腰になってしまって二人に笑われてしまう。
「私にくっついて歩いてもいいんですよ?」
「うるせーばか」
ネックウォーマーとゴーグルの下にあるニヤケ面がなんだかよく見える。
そうやってたっぷり10分以上も費やして、ようやくチャオガーデンの扉の前にやってきたわけだ。珍しいことに、ここの入口は壊れた様子がない。
「ここまで浸水しなかった……わけないか。ふつう壊れてるよな」
なにせ当時の大洪水では、高速道路が流されて水面に浮いていたほどだという。扉なんてひとたまりもないと思うが。
「がっちりと固定してあるものはそうでしょうね。でもここは自動ドアでもなく普通の扉ですから、開いていれば蝶番次第で逆に壊れないでしょう」
そうなのかなぁ。でも、なにか引っかかるような気がする。
「さてと。今から扉を開けますから、ちょっと待っててくださいね」
そういって彼女は腰からなにやら物騒なものを取り出した。ハンマーと杭だ。
「それで扉を開けるのか? というか、そんなの必要なのか?」
「ほら、床の氷が結構厚いですから扉がつっかかっちゃうんですよ。まずはこれをなんとかしませんと」
話しながら屈み込み、床に遠慮のない一撃が振り下ろされた。僕らの周囲の床に致命的な音が響き渡り、めちゃくちゃ大きな亀裂が生まれた。
「これは早く済みそうですねぇ」
とか言いながら二発、三発と叩いただけで氷がパリンと割れ、簡単に手で取れるようになってしまった。少女も大きな氷の破片を手に持って、ほうと白い溜め息を漏らした。
「こんなにおっきな氷、持ったことないです……」
だろうね。とにかくようやくできた安全な足場だ。なんだか安心して力が抜けてしまう。思わず胡坐をかく僕の横を通り過ぎて、少女は一足先に扉を開けた。冷凍庫を開けた時のような白い空気が溢れ出してくるのを想像したが、そういうことはなかった。ただ、さすがに水場は浮かんでるゴミが目立っていた。木もすっかり枯れている。
不思議とここは外よりも暖かく、僕らは中に入って扉を閉めた。ようやく幾許か落ち着けた気がする。だが少女は落ち着かない様子でチャオガーデンをキョロキョロと探る。
「あの! 誰かいませんか!」
ネックウォーマーをずらして、少女は声をあげた。まるでどこかから漏れているかのように反響しない声。当然、返事はなかった。
「あのっ! 誰か」
「いないよ」
あまり聞いていられるものじゃない。冷たいように思えたけど、僕はその叫びを止めさせた。ゴーグル越しだけど、少女は僕に敵意に似た視線を寄越すのがわかる。
「……まだ他の場所も探さなくちゃいけないんだ。声を出すのも体力を使うんだからさ」
その視線を受け止めきれないせいか、ついつい目を逸らしてしまう。言葉にも力が入らない。
この少女は、こんなにも酷い現実を見せられながら――まだ本気でいられるのか。誰にだってわかるはずだ。この場の空気が、みんな死んだと暗に主張していることに。この少女は何を根拠にしている? 自棄になってるだけじゃないのか?
「……少し休みましょう。どうやらここは保温性の高い部屋のようです。留まっても体力を奪われることはないでしょう」
僕らの沈黙に耐えかねたのか、後ろにいた引率係がゴーグルを外した。白々しい笑顔が向けられ、僕らは張りつめていた何かが切れたように息を吐き出した。