No.3
その日の夜は、カズマの部屋に居座っていた。
案の定寝てなんかいないカズマは、ベッドを背もたれにしてただひたすらに床に置いたノートパソコンのキーボードと格闘しまくっている最中だった。
最初に見た時は常識の無いおかしなチャオだと思っていたのに、こうして見ると私とは違った世界に生きている人みたいだ。……今はある種、比喩ではなくそうなんだろうけど。
それにしても、カズマは何をしているんだろうか。恐らくどこかにハッキングでもしているんだろうけど、何か今回の情報が眠ってる場所のアテでもあるのか?
『小説事務所、応答せよ。こちらマスカット大尉。まだ起きているか?』
ふと、ノートパソコンの横に置いてあった無線機から声が聞こえた。カズマはそれを手に取り、交信に応じる。
「こちらカズマ。寝るには早いね」
『やれやれ。若い身分で夜更かしとはあまり感心しないがな』
「三文しか得しないから、必要以上に寝る気がしないよ。用件は?」
『二年前の事故の証拠についての詳細は無理だった。だが、圧力を掛けた人物の尻尾は掴んだ』
「誰?」
『残念ながら名前まではな。ただ、そいつは二年前に突然警察を辞めたらしい』
二年前に警察をやめた、か。それはまた不思議なタイミングだ。
『そいつは警視の中でも極めて優秀だったらしい。警察をやめたのは警視正への昇格も目前だった時の事だと――』
「フロウル・ミル警視?」
突然、カズマがその警視の名を言ってみせた。無線機の向こう側の大尉が一瞬言葉を失う。
『何故わかった?』
「今見つけたんだよ。二年前に警察を辞めた警視をね」
いったいどこにハッキングをしていたのかと思ったら、警察の個人情報を漁ってたのか。恐れを知らない子供だ。
表示された画面の、フロウル・ミルという男の顔写真を横から覗き見てみた。当然の事だが、見た事のない顔だ。それにどうも覚え辛い顔をしている。特徴という特徴がないというか、個性の無い顔と言えば良いのか。
「この警視の足取りを掴めば未咲の手掛かりがわかるはずだよ。或いはユリの事も、ね」
『わかった。我々もフロウル警視については独自に調査しておく』
「うん、よろしく」
交信を終えたカズマは休む間もなくマウスを手に取り、忙しなく動かし始める。何をしているのか気になった私は、横から堂々と画面を覗き見ることに。
「なんか寒いな」
「えっ」
寒いって……まさか、私の影響か?
「……まさかね」
気にかけるのも程々に、改めて画面を覗く。
何やらごちゃごちゃしたお気に入り欄から手早くサイトを開いた。そこはとある掲示板らしい。
というか見覚えがあるぞ。ここ、ガチタンじゃないか。ひょっとしてここでフロウル警視の足取りを掴もうっていうのか。
> S/H
> フロウル・ミルっていう元警察を知らんかね。
本当に聞いた。流石にそんなおいしい話が直接聞けるわきゃないだろうに……もっと良い方法でもあるんじゃないか? 頑張れば住所くらいはわかるだろう。ハッカーなんだし。
> S/Hktkr!
>>S/Hさんオッスオッス!
> ポリ公だってお! わんわんお!
>>一人ぐらいいるだろ、警察に知り合い多い奴。
> その言い方だと過去に警察の世話んなったDQNを指してるみたいじゃねーか(失笑)
どうやら、カズマもこのガチタンにおける“名探偵”の一人らしい。反応のされ方からして大した人気者のようだ。なんで普段事務所の仕事に割くべき労力をこっちで使ってるんだか。
>>>呼ばれた気がした。
「ええー……?」
思わず声が出てしまった。別に聞こえないから抑える意味もないのだが。というか、なんで都合良くいるの。
> マジで来ちまったじゃねーかどうすんだよww
>>まてあわてるな素数を数えて落ち着くんだ。
> 4……おk落ちついた。
>>まず素数じゃねぇしwww
こっちはこっちで真面目に受け取ってない感があるし。
>>>いや、悪い。DQNってわけじゃない。親父が昔からやり手の警察ってだけ。
>>ああん?
> なんかリア充くせーな、誰か換気してくれ。
>>俺は火薬のニオイがするぞ。
> おいおい誰だよ爆薬持ってきた奴、ちゃんと捨てとけよ。
>>捨てろって言っても起爆スイッチねーぜ?
> リモコンなんてねーよ言わせんな恥ずかしい。
>>テレレレテレレレテッテッテン、ショオブダ!
掲示板で繰り広げられる寸劇に私はほとほと呆れていたが、カズマはと言えば顔色一つ変えずに何かツールのようなものを開き、再び物凄いスピードでキーボードを叩き始めた。
その間にもどうでもいい話題は垂れ流され続けるが、カズマは視線を忙しなく動かしながらも手を休めない。今度はいったい何をしているんだろうか。
>>>今親父から聞いてきた。フロウル・ミルさんってのは警視だったんだが二年前にいきなり警察辞めたらしい。
それからしばらくカズマの素早い手捌きと掲示板を交互に見比べていたところ、さっきのユーザーがそんな書き込みを行った。それを知ってるっていう事は、少なくとも警察関係者であることは本当みたいだ。
> 二年前だと? そりゃまたくせぇな。
>>さっきからくせーくせーってうるせぇな。おれカレー食ってんだが。
> じゃあそのカレーがくせぇんじゃね?
>>お前頭良いな。
> カレーはともかく、二年前っていう時期の一致はなんだかそれっぽいな。
>>流石S/H! おれたちのわからない事を平然と調べあげるッ! そこにシビれる! あこがれるゥ!
> その警視が事件捜査の圧力を掛けたのに一役買ってるんじゃね?
>>じゃあそいつを探し出しちまえばおれらの大勝利だな。
> テンション上がってきた!
「……よし、大丈夫かな」
そう呟いて、カズマは忙しなく動かしていた手をようやく止めた。
『あー、あー。カズマ、カズマ、ディスイズヤイバ、オーバー』
それを知ってか知らずか、ヤイバが良いタイミングで無線連絡を寄越してきた。
「何?」
『どうだったよ、こいつは』
「警察の息子ってのは本当みたい。信用しても平気だと思うよ」
「ええ?」
ひょっとしてさっきのは情報提供者の身元を調べる為に、直に相手のパソコンに侵入したのか。そしてそれらの事をほんの僅かな会話だけで理解し合うとは。出来レースでも見てるみたいだ。
>>>親父の話によると、つい最近そのフロウルって人に会ったんだってさ。
>>>ステーションスクエアのとこでぼーっとしてたところに偶然出くわして、軽く飲みに行って話して、それっきりらしい。
『……だってお』
恐らく私とカズマが唾を飲んだのは同時だったろう。果たして私、唾なんか飲めたのか謎だけど。
カズマは断りもなく急いでヤイバとの交信を切り、手早く無線機を操作して呼びかけた。
「マスカット大尉、目標はステーションスクエアだ」
『――あー、なんだって? どういうことだ?』
どうやら大尉との連絡らしい。まさかこうも早く情報が来るとは思っちゃいまい。突き止めた本人でさえ息を呑んだのだから。
「つい最近、ステーションスクエアでフロウル警視を目撃したって情報を手に入れた。恐らく今もステーションスクエアにいる確率は低くはないはず」
『了解だ。今本部と掛け合って、フロウル警視の情報を手に入れた。顔写真もバッチリだ。必ず見つけ出してみせる』
「うん、よろしく」
再び交信を終え、ようやくカズマは一仕事終えたように息を吐いた。
「これで空振ったら、一週間は無駄になるな……」
そんな大袈裟な……。
そう思いつつも、私もそんな気がしてしまい居ても立ってもいられなくなってしまう。どうせ寝なくたって支障の無い身になったんだ。そう思うことにして、私はすっとカズマの部屋から消えた。
____
結局、日が昇って街中が人の姿で溢れる頃になって探しても全然見つからなかった。
……ま、そう簡単に見つかるものとは思ってなかったけど。
「はぁ」
死んでから吐く溜め息というものは、気分がどっと沈む気がする。
駅前を流れる人混みをぼーっと眺めながら価値の無くなってしまった自分の時間を無駄に浪費していると、どうしても思考が負に染め上げられてしまう。平たく言うとガッツとかテンションとかモチベーションとか、そういった気力や気概が欠けてしまっている。
このまま人混みを眺めて毎日を過ごすのが一番楽なんじゃないかと、そう思ってしまう。もしそうなってしまったら本当に死人の仲間入りになる気がするから、少なくとも今はゴメンだ。
――仲間入り?
何を馬鹿な事を考えてるんだ、私は。
もうとっくのとうに仲間入りしてるじゃないか。
よく考えてみろ。仮に今回の事件の謎を全て解き明かしたとして、いったいなんの意味がある? 私の心残りの一つでも解消されるだけだろうに。それ以外に何かあるとでもいうのか?
今回の事件の解決を見て蘇れるわけでもない。終わってしまえば、結局私に残された選択肢が変わらない事に気付くだけだ。成仏でもするか、浮遊霊だか地縛霊だかになって永遠にこの世をさまようか。
こんなの、なんの意味もない。最初からわかっていたことじゃないか。
それならいっそ、何もかも諦めてこのまま死人らしくしていようじゃないか――。
「ヤイバくん、聞こえる?」
聞き慣れた声が聞こえたのは、ちょうどそんな時だった。
「うん。今ちょうどこっちに着いた所。……うん、その件について」
聞き慣れた声。でも、いつになく真剣に聞こえるその声。私はその声のする方向を探す。
「大当たりよ。あ、ジャックポットって言うんだっけ。その人の事について探してたんだけどね」
立ち上がって、人混みをすり抜けて、声のする方へ走った。
走って、探して、そして、見つけた。
「見つけたのよ、フロウル・ミル」
ミスティさんだ。ミスティさんがいた。こんなタイミングの良い時に。
「どうやら相当の古株みたい。“BATTLE A-LIFE”計画が始まった頃には既に名前が確認されてるの。お父さんはその人の事についてはあまり知らなかったみたいだけど。詳しい書類なんかも持ってきたから、今からそっちに行くね。……うん。うん。じゃ」
ミスティさんはそこで電話を切った。
「ミスティ」
「んー?」
その後ろ、ミスティさんのリュックの中から頭だけ出しているフウライボウさんの姿もあった。
「ユリも、未咲って人も、僕と同じ被害者なのかな」
「そんな気、する? 未咲って人は知らないけど、ユリちゃんは普通のコみたいだったよ?」
「……行こ」
「うん」
二人の去っていく後姿を、私はしばらくぼーっと見つめていた。
人混みの中に、私も、あの二人も、混ざって見えなくなりそうなのに、不思議と見失わずにいた。
みんな、私の為に頑張ってくれている。私は何もしてやれないのに。私はどこにもいないのに。ハッピーエンドなんて、まかり間違ってもなりはしないのに。
せめて私が草葉の陰から見てやらないってのは、ちょっと酷かな。
「うん、そうしよう」
理屈にもなりゃしないけど、頑張って自分を奮い立たせて二人の後を追った。
やっぱり、まだ死人にはなりたくない。