No.1
――夢を見ていた気がする。
視界が酷くぼやけている。私は、今、どこで、何をしているのかが把握できない。
体を起こそうにも、体を動かしている実感がない。
……と思ったら、視界が変わった。どうやら体は起こせたようだ。
なんとなく、自分の両手のひらを見つめてみた。相変わらずぼやけて見えるが……少しずつ、視界が定まってきた。
それにしても、見覚えのない手のひらだ。
――ここは?
私は顔を上げて、今いる場所を見遣った。
見覚えがある。見慣れている。
ここは小説事務所の所長室だ。
でも、どうして事務所で寝ているんだろう?
それにここはよくみたら所長室の扉の前だ。私はこんなところで寝ていたのか?
どうも寝る前の事がよく思い出せない。
「お邪魔するよ」
ふと、そんなタイミングでパウが部屋に入ってきた。
何故かいつもの気楽そうな表情ではなく、深刻な顔をしている。
「何かあったの?」
気になって私は声をかけた。
でも……パウはそれに答えるどころか、微細の反応も返してくれず横を通り過ぎた。どうしたんだろう?
「パウさん、どうでした?」
ヒカルの声がした。
振り返ってみると、来客用ソファには四人の同僚達がいた。カズマ、ヒカル、ヤイバ、ハルミの四人だ。
窓の外はまさしく快晴なのに、それと対照的にみんな暗い顔をしている。ハルミちゃんなんか今にも泣きそうだ。いったい何があったんだ?
「まず、所長とミキの件だけど……未だに連絡は取れない」
確かに、この所長室にはいない。あの二人はまだ“野暮用”をこなしているのだろうか。
ふと、パウの報告を聞いたヤイバの口から舌打ちの音が聞こえた。いつもくだけた顔をしているヤイバの表情がどこか違う。
「当然、居場所も掴めない。どこで何をしているか全くわからない」
「わからない、ね。アホらし」
吐き捨てるように荒い言葉を呟いた。カズマがそれを見咎めるように口を開く。
「なんだよ、ヤイバ。今回の件は所長さん達のせいってわけじゃないだろ?」
「いいか? 先輩達は確かにユリをずっと尾行してた。ユリがそれを突き止めたんだ、ミスティさんも尾行されてるってこともな。もし何かがあったんなら助けに入れたはずなのに、先輩達はそれをしなかった。それだけなら別にいいんだよ。だがな、それでも連絡が取れねってのはどういう事になるんだ?」
「それはほら、ユリを……」
「それが連絡が取れない理由に――」
どうも私には理解し難い言葉を、ヤイバは途中で区切って力無く首を振って溜め息を吐き、顔を俯かせた。
「……すんません」
「いいよ、気にしないで」
ヤイバの謝罪の言葉は、どうやらパウに向けたものだったらしい。
「ボクもゼロとは長い付き合いだし、彼がユリによからぬ事をしたとは思いたくない。でもこの状況じゃボクだってその可能性を疑うさ」
私によからぬ事?
「あのー、いったいなんの話を……」
「次に、新しい協力者ができた事を報告するよ」
また無視されてしまった。それどころか、誰も私の声なんか聞こえていないのか視線も動かしてはくれない。
「今回の捜索にあたって、GUNが協力者を寄越してくれた」
「GUNが? いったいどうして」
「“いつも世話になっている恩返しとして、ウチで暇してる一小隊を協力させます。使えないと判断しましたら即時連絡を。一小隊ごとクビにします”……だってさ。今回は裏組織が絡んでる可能性があるから、その時には心強い援軍だね」
はて、GUNに協力を要請しているとはどういうことだろう。私の知らない間にまた何か仕事を請け負っているのだろうか。私の疑問をよそに、パウはテーブルの上に無線機らしきものを並べた。
「ホットラインだよ。GUNと連絡する時はこれを使ってね」
「ねえ、パウさん」
無線機を手にとったヒカルが、思いつめたような顔でパウに問いかけた。
「誰が……やったのかな」
「……わからない」
お互い、話しても無駄だとわかったうえでの会話に見える。よほど切羽詰まったような状況に見えるけど……本当に何があったんだ。
私一人をおいて勝手に話を進めるみんな。聞き手に回る以外に選択肢は無く、ただただ話を聞いていただけの私の耳に、パウはとんでもない言葉を言った。
「いいかい、ボク達の目的は犯人を探し出すことじゃない。ユリを探し出すことだ。どうか履き違えないでほしい」
――は?
私を……探す、だって?
「あの、何言ってるの?」
「ユリの捜索は、今日から数えて一ヶ月の間だけ行う。それ以降の捜索は個人でやってほしい。残酷だけど、一応ここも立派な職場だからね。体裁ってものがあるから」
「パウ、聞いてる?」
「有事の際には必ず連絡を。ミイラ取りがミイラに、なんてことだけにはならないようにね」
「パウってば! ……くそっ、おいカズマ! ヤイバ!」
「何か質問はある?」
「ねえ、ヒカル! ハルミちゃん!」
「……それじゃ、解散」
「聞いてよ! パウ!」
踵を返して所長室から出て行こうとするパウ。私は堪らずその肩を掴もうと手を伸ばした。
でも、その手は。
パウの体のどこにも触れず、宙を掠めた。
「え……」
なんで。
なんでだ。
なんで誰も私に気付かない。
なんで誰も私の声が聞こえない。
なんで……なんで触れる事ができないんだ。
なんで。
「僕はアテのある組織の情報に片っ端から進入してみる。ヤイバは?」
「アンジュさんとも話さにゃならんし、向こうの町に行ってくる」
「あ、私もついてく。ハルミちゃんも一緒に行こ?」
「え……あの、いいんですか?」
「うん。ここにいても仕方無いでしょ? 動いた方がマシよ」
「わかりました。じゃあ、一緒に行きます」
「決まりね。ヤイバ、行くわよ」
「ああ」
「カズマ、サボっちゃだめよ」
「サボるわけないよ。ヒカル達も頑張って」
「うん」
そう言って、三人とも私の横を何の気なしに通り過ぎた。
誰も、私の事なんか見ていない。気付いていない。
私の捜索……捜索? どうして捜索なんかするんだ? 私は行方不明になっているとでもいうのか?
「カズマ!」
テーブルの上に置いてあるノートパソコンのキーボードを凄いスピードで叩くカズマに、私は必要以上の大声で呼びかけた。でも、やっぱり反応がない。
本当に私に気付いてないのか?いったいどうして?
「……夢、かな」
そうだ。きっと私はおかしな夢を見ているんだ。
全く性質の悪い夢だ。どうして私の見る夢はいつもこんなのばっかりなんだか。ああ、早く目が覚めないかな。夢を見ているって事は、眠りは浅いんだろう?
……。
…………。
「……嘘だろ」
目が覚めない。これって夢じゃないのか?
でも、こんなの現実なわけがないじゃないか。
誰も私に気付かないどころか、触れる事もできないんだぞ? 普通に考えて有り得ない。
考えろ。
考えるんだ。
こうなったのには、何か理由があるはずだ。
私が誰にも気付かれない理由。
私が行方知れずになった理由。
一体全体、私の身に何があった?
____
――もう、会えないだろうから。
____
「あ……れ?」
随分とおかしな事を覚えてる。
大きなトラックに轢かれたんだっけ?
「え、あ、あは、はは」
何をバカな事を考えてるんだ。あれこそ夢だ。だって今、私はピンピンしてるじゃないか。
誰にも気付かれないけど。
誰にも触れられないけど。
でも、それってつまり……。
『私 死ん だ 』
「……う、嘘でしょ」
そんなはずない。
誰にも気付かれないのは他に理由があるはずだ。
誰にも触れられないのは他に理由があるはずだ。
だって、私が、死んだなんて、そんな――まさか。
私が、死んだ?
「いや」
いやだ。
いやだいやだいやだ。
そんなの嘘だ。
「嘘だ、嘘だ」
絶対嘘だ。
私は死んでない。
死んでない死んでない。
「絶対に死んでない」
絶対に死んでない――なんて言い切れるのか?
じゃあ、この状況をどう説明する?
「違う、違う」
私が死んでいるのなら、誰も私の声が聞こえないのにも納得がいく。
「そんなはずない」
私が死んでいるのなら、私の手が宙を掠めたのにも頷ける。
「だって、私は……」
私は……私は……。
私は、死んでいる。
「――――――――!!」
私は叫んだ。
でも、誰も聞いてはくれなかった。