留年

大学を留年する、ということ自体は珍しいことではあるが、かといって全く見かけない訳ではない。ソーシャルゲームで言えば無課金プレイヤーの所持率はほぼ0だが、重課金プレイヤーなら持ってて当たり前のカードぐらいの価値だろうか。
「この前大学の職員から聞いたんだけど、ウチに5回生以上の学生って400人ぐらいいるらしいんだよ。ウチの学生が全部で約1万人。そっから400人を引いて4で割れば1学年当たり2400人。つまり単純計算で6人に1人は留年してるってことになる訳だ」
「何ですかそのひたすらどうでもいいトリビアは…」
…とはいえ、その大半が必須単位をちょっとだけ取り損ねたとか、いい就職先を見つけるために敢えて留年したというケースで、ほとんどが5年目には何事も無かったかのように卒業していく。6回生以降となると途端に人数が少なくなり、まさにMMOのレアアイテムが如き遭遇率になるのだ。

では、大学というものは何年まで留年できるのだろうか?…答えは4年、つまり大学に居られるのは計8年までである。8年かかっても卒業できない場合は除籍処分となるのだ。
実際そんな人も全くいない訳ではないが、大抵は引き篭もり化してしまいそのままフェードアウト、あるいは他にやることを見つけて大学はもういいや、となるパターンが多く、
「つまりあれですか、こうして大学に来てる8回生と話してる私はtotoBIGで1等当たっちゃうとかそういうレベルの幸運をこんなクッソどうでもいい場面で使っちゃった訳ですか!?」
「さすがチャオラー、話が分かるじゃないか。おめでとう!これで君は一生不幸だ!」
「たはー…せめで彼氏の1人ぐらいは作りたかったですねぇ…」
「いやぁ、『結婚は人生の墓場』とも言うし、酷い相手と結婚しちゃうとかそういう系かもよ?」
「いずれにせよロクな人生じゃ無さそうです。最もこんな人と男女2人っきりでオフってる時点で相当ロクでもない自覚はありますけどね」

…という訳で、これは大学に8年通う変わり者の男と、同じ大学に通うごく普通…いや、ちょっと普通じゃない女子大生(2回生)のお話である。ちなみにtotoBIGの1等の確率は3の14乗、約480万分の1ということをついでに記しておこう。

そもそも、大学における学年の呼び名は関東と関西で違う。関西では「◎回生」と呼び、留年によって同じ学年を繰り返す、ということがない代わりに、4年で単位を取りきれずに卒業できなかった場合「5回生」になるのである。何の問題も無く4年で卒業する人間にとっては単なる呼び方の問題であり、いわゆるケンミンショー的な雑学として卒業後に酒の席で盛り上がる程度のネタにすぎないが、実際に留年する人にとっては大問題である。即ち、講義や手続き等で学年を書くとその時点で留年したことがバレてしまうのであり、「7」や「8」とでも書こうものならまさしくtotoBIGの1等の当たりくじを眺めるが如き視線を浴びるのだ。

で、話を戻すと、この変わり者の8回生の男とちょっと普通じゃない2回生の女がこうして出会ったのは、とあるネットゲームがキッカケである。
8回生の男はとあるコミュニティの中心的存在で、2回生の女はそのコミュニティの一員。会話をしているうちに、どちらも同じ大学に通い、しかもチャオラーというまさに奇跡的偶然が重なっていることが発覚して、大学の空き教室という前代未聞の場所でオフ会をすることになったのだ。
「どちらかというと僕としては、その偶然の方が余程totoBIGに当たるようなもんだと思うけどねぇ。…まさか残り少ないチャオラーがこんな身近にいたなんて」
「それもそうですね。大学に8年通ってネトゲ廃人でしかもチャオラーとかもうツッコミ所しかないじゃないですか。しかもそれが目の前にいるとか、帰りに交通事故にでも遭うフラグか何かですかこれ」
「大学8回生ということ以外は君もだいたい一緒ってことに気付こうか?」
「気付かないフリをしてるだけです。仮にも貴方ネトゲでギルマス的存在なんですからそういうとこ察して下さい」

しばらく、ちょっと気まずい空気が流れる。男女2人でのオフ会なんて、得てしてそういうものであるが。
やがて30秒ほどしてから、2回生の女がこう問いかけた。
「…というか、そもそもなんでリアルでこんな貴方があそこのコミュニティでリーダー的存在なんですか?」
その質問を聞いた8回生の男は、笑いながら答えた。
「いやぁ、簡単だよ。ネトゲに限らず、どんなコミュニティでもリーダーになるのは簡単。そのコミュニティにずっと居続ければいいのさ。そのうち勝手に周囲から年長者扱いされてリーダーになれる」
「は、はぁ…」
呆然とする2回生の女。さらに男はこう続ける。
「ついでに言うとコミュニティ内での争いに勝つ方法も同じ。敵対する人やグループよりも長くそのコミュニティに居続ければいいだけの話さ。サバイバルと同じで最後まで残った人=勝者って訳だ。もちろん相手が居なくなるまで我慢する必要があるけどね」
「だからって大学に8年居るのはどう考えてもやりすぎだと思います」
2回生の女が半分呆れたようにそう返すと、
「リアルはネトゲみたいにうまくはいかないからね…この大学で僕を知ってる学生なんて君含めて数人しかいないし」
8回生の男は苦笑いしながらそうつぶやいた。そもそも大学はネトゲのコミュニティと違って4年で学生のほとんどが入れ替わるのである。当然8回生の人間なんて知らない学生がほとんどであり、2回生の彼女も実際に会うまでは知らなかったのだ。

「そういえば、そもそも何で8年も大学に通うことに…って、答えはほぼ1つか…」
彼女はその質問を途中まで投げながら自ら結論を出した。『この手』の人間は大抵ネトゲ三昧の末に留年しているに決まっている。ネットの掲示板等ではたまに見かける話であり、自らもネトゲをプレイしている故にそういう類の話は時折耳に入ってくる。まさかそんな人が同じコミュニティに、しかもよりによって眼前に現れるとは思ってもみなかったが。
…というところまで思考が回ったところで、再び彼女は疑問にブチ当たる。
「…あれ?でも貴方そこまでログインしてないですよね?」
そう。確かに彼はコミュニティでリーダー的存在であるが、かといって一番ログインしている、という訳ではなかった。いわゆるゴールデンタイムにふらっと現れて適当におしゃべりやクエストを楽しみつつ、0時過ぎには規則正しくログアウト、つまり落ちるのだ。
もちろん彼女が知らない時間帯にログインしてる可能性もあるのだろうが、それにしてはキャラクターのレベルも高くなく、(ゲーム内の)資産もそんなに持っているようには思えない。ハッキリ言って、ログイン時間は大学にキチンと通っている2回生の彼女とそう変わらないはずなのだ。
その疑問に対して、8回生の彼はこう説明した。
「まぁ、大体は想像通りなんだけどね。考えてもみなよ。この国では月に何十本ってゲームが発売されて、月に何十冊って漫画雑誌やラノベが発売されて、週に何十本ってアニメが放送されてて、他にもエンターテイメントが溢れてる。根本的にこの国は娯楽が多すぎるんだよ。それこそニートでも時間が足りないぐらいさ。ネットだとたまに漫画の規制が云々って話が出てくるけど、犯罪方面はともかく規制すれば確実にニートは減らせると思うんだよね」
「は、はぁ…」
呆気に取られる2回生の女。さらに8回生の男が続ける。
「例えば欧米ではスポーツが文化として社会に深く浸透してるけど、日本ではいくらスター選手が活躍しても所謂ミーハー的な盛り上がりで終わってしまう。なぜか?この国には娯楽が溢れすぎていて、スポーツを日常的に楽しむ余裕なんてないからさ。月曜の朝に週末のサッカーを語る暇があったら皆ジャンプを読んでる訳だ。…って感じで、実質的にニートをしているからといってチャオを育てる暇もなく、気が付いたら8回生、という流れだね」
「…いや、ここで持論を熱弁されましてもですね…」
彼女はもう完全に呆れた表情で、ただ返事をするだけだった。

「というか冷静に考えたら、大学に8年通うって…学費ヤバくないですか?」
ちなみに大学の学費は、私立の文系で年100万ちょい程度。国公立であればその5~6割程度だろうか。理系ならば年150万を超えるところもあるという。大学に8年通うということは、当然普通の学生の倍学費を払わなければならない訳だ。ちょっと考えただけでも、恐ろしい金額を大学に持ってかれるということはすぐ分かる。
「数年前に京都じゅうの大学に、こんなチラシが張られてたことがあったんだよ。えっと…あの、曲名は忘れたけど、『1年生になったら』ってやつの替え歌で、『♪8回生になったーら、8回生になったーら、学費で1軒家が建つ♪』って書かれてるのがね」
その替え歌に彼女は思わず吹き出す。だがすぐに気を取り直し、
「こ、答えになってないですよねそれ…!」
と言い返す。
「やっぱり?」
と苦笑いしながら8回生の男は答えた。
「まぁ、その辺については…察してくださいということで」
「あー、そのパターンですね」
「そうそう、そのパターンで」
「ソニックが永遠にチャオをダッコし続けることで寿命を半永久的に延ばすみたいなアレですね」
「だいたいそんな感じだね」
2回生の女は自分で言っておきながら微妙な例えだと、というかそもそも無理矢理チャオに例えなくても良かったのでは、だとも思ったが、とにかく事情は察した。8回生の男本人も否定はしていないように、彼は実質的にはニートに近い存在であり、そうなれば当然この辺りの話題に触れたくないものである。

「まぁ、さすがにこのまま卒業できないのは色々とまずいから、ちゃんと最低限の授業には出席してるけどね。でなきゃここにいないし」
そういう話になって、再び2回生の女はある疑問に突き当たり、その疑問をぶつけてみた。
「ですよね。…でも卒業した後ってどうするんですか?…いやストレートに言いますけど、働き口あるんですか?」
「うん、こっちが聞きたい質問だねそれは。この国中の企業の人事担当者様にでも聞いてくれないかな」
「…まぁ、そうなりますよね」
大学に4回留年した人間、しかも理由がネトゲなんて人間をどこの会社が採用したがるのだろうかという話であり、ニートの社会復帰の際に起こっている問題とほぼ同じである。最も、大学を4回留年した人間なんて恐らくニートよりも遥かに少ないはずなので、話題になるまでもないのであるが。
再び大学の小さな教室に20秒ほどしばらく沈黙が走るが、
「とりあえず、これについては頑張って下さい、とだけ言っておきます」
と2回生の女がこの話題を締めた。
「うん、ありがとう」
それに対し、8回生の男は軽く礼を言う。そこで、タイミング良くチャイムが鳴った。大学の授業時間の終わりを示すチャイムである。それと同時に、この小さなオフ会の終わりを告げるチャイムでもあった。
「時間ですね。それじゃ、またゲーム内で会いましょう」
2回生の女が挨拶をし、それに対し8回生の男も、
「まぁ、何かあったらリアルでも…と思ったけど、色んな意味でまずいか」
という感じで冗談半分に返事をする。
「こうして話す程度なら構いませんけどね。それ以上は全力でお断りします」
それに対し2回生の女は、割と本気でこう返した。8回生の男は笑いながら「冗談だよ、冗談」と2回繰り返し、そのまま小教室を先に出ていった。


…それから数年。
当時2回生だった女は、何事も無く無事に大学を卒業し、それなりの会社でそれなりに働いていた。
ネトゲは大学生活といわゆる就活が忙しくなるにつれフェードアウトするようにログイン時間が減っていき、気が付いた頃にはもうログインしなくなっていた。人間がコミュニティから抜ける時というのは概してそういうもので、抜けると宣言して抜ける人の9割は何だかんだ言いつつあっさり戻ってきて、本当に抜ける人間は何も言わずに消えていくのである。
当時8回生だった男とも、結局あれ以来リアルでは一度も会っていないし、ネトゲもフェードアウトしたのでもう音信不通である。いや、メールアドレスやSNSのアカウントを知っていたのでその気になれば追いかけることもできるのだろうが、わざわざ追う気はなかった。

オフ会では別れ際にあのような事を言ったが、実際のところあの時は、このまま当時8回生の男と腐れ縁になって結婚まで行ってしまうんじゃないかと薄々感じていた。彼が冗談めかして言っていたように、まさに「酷い相手と結婚して、一生不幸な人生を歩む」のかもしれないと思っていた。
しかし現実はそんなラノベのように都合悪くはいかないもので、かといってイケメンや金持ちとも付き合える程都合良くもなく、それなりにそれなりの人生を歩んでいる自分が少し不思議でもあった。

彼女はふと思う。
そういえば、結局当時8回生だった彼は卒業できたのだろうか。卒業はできたとして、いや仮に卒業しなかったとしても、その後どうやって人生を歩んでいるのだろうか。
たぶん、あの手の人間は、なんだかんだでしぶとく生きているのだろう。そして、あのネトゲには、相も変わらず毎日ログインしているに違いない。いや、残り少ないチャオラーである以上、そうでなければ困る。
そう考えると、少し足取りが軽くなった。かばんの中にこっそり忍ばせてあるチャオのぬいぐるみが跳ねて、ポヨの部分が外に飛び出したが、それに気づく者は誰もいなかった。

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既にチャオ小説かどうかもだいぶ怪しいですが今の私はこれが限界です。勘弁してください。

この作品について
タイトル
留年
作者
ホップスター
初回掲載
2014年12月23日