後編

 それからというもの、暇さえあれば岡本とモンスターハンターをした。昼休みはもちろん、帰りの電車の中から河川敷に行って日が沈むまでずっとゲームばかりしていた。自習室が使える時は自習室でゲームをすることもあった。模試の結果は悪かったものの、僕は直前になってから勉強すればいいや、という気分になっていた。
 岡本と一緒に行動して分かったことは、彼が思ったよりも辛辣だということだ。彼を慕う人は多い。廊下で並んで歩いていても、彼は色んな人とすれ違うたびに挨拶を交わしている。しかし相手がまだ話しているのにも関わらず、彼は話を強引に終わらせることが多かった。そのたびに「話が長い」とぼやいていた。落ち着いて話すことが好きなのだろう、と思った。
 一度、田中さんとすれ違ったこともある。岡本は眼もくれずにモンスターハンターシリーズの新作の話をしていたけど、田中さんのほうは困り顔だった。教室に僕がいる時は僕に対して何か話したがっているようだったが、金田か岡本が一緒にいることが多かったせいで彼女と話す機会はなかった。昼休みになると、僕たちは自習室で一緒にご飯を食べた。僕は家から持ってきたおにぎりで、彼は専らセブンイレブンで買ったパン、それもクロワッサンだった。クロワッサンばかりであることを指摘すると、彼は食べるのが楽だから、と答えた。
 マフラーを着ける生徒がぐっと増えて、冬が来ていたことを知った。
「今年の冬は去年より一段と冷えるなあ」
 と、リオレウス希少種を倒した後で岡本は言った。
「おっさんみたいだよ」
 この頃になると、岡本のヒーローチャオ騒ぎも一応の収まりを見せていた。テレビの出演は二週間に一度くらいあるようだったが、僕と話している時はヒーローチャオの話をしなかった。彼もそれを望んでいるだろうし、僕もその話題を振るつもりはなかった。
「毎年同じこと言ってる気がする。なんで冬って来るたんびに去年より寒い気がするのかな」
 秋の後に冬が来るからだ、と思った。ついこの間まで暖かったことを、随分昔に感じて、去年と比べてしまうのだろう。元から人の頭は過去のことを憶えていられるようにはできていないのだ。ミントを買った時のことも僕はあまり憶えていない。今となっては、嬉しかったという感想だけが残っている。
「お前、時々変な顔するよね」
「ごめん、考え事」
「考え事してる時に変な顔するって」
 くっくっと岡本は笑った。
 家に帰ると、父が居間で項垂れていた。その様子を見て、僕は面接の結果を察した。
 これで父が選考に落ちたのは六回目になる。母も平静を保つことができていない様子だった。最初に母の八つ当たりの対象になったのは、ミントだった。餌の節約という題目で一日中餌を与えなかった。お金がないから仕方がないにしても、僕はそういう母のやり方には納得ができなかったので、勝手に餌をあげることにした。僕の行動を母は見咎めた。
「ご飯、食べられなくなってもいいの」
 脅し文句のようなものだった。母はそう言って、ミントの手の届かないところに餌を置いた。贅沢な生き物だねえ、とぼやいている母の姿を見ていると、これから先、母に対してどのように接すれば良いのか分からなくなってくる。確かにミントはペットで、自分では働くこともできないし、食べ物を手に入れることもできない。でも、買ったのは僕たちなのだ。ミントを頑なに養護するのは、思いやりのない母への対抗心でもあった。
 妹も僕の意見に同意してくれて、毎月のお小遣いから少しずつ出し合って、ミントの餌を買うことにした。それが母にバレるのも時間の問題だった。一週間くらいしてから、母は二人でこっそりミントの餌を買っていることを指摘して「そこまで余裕があるのなら、お小遣いはなしにします」と言った。妹は怒っていたが、肩身が狭そうに白米を食べている父を見ると、僕には何も言えなかった。
 結局のところ、生活費を稼いでいるのはパートに出ている母と父なのだ。僕と妹は高校に通わせてもらっている身で、強く何かを発言できる立場にはなかった。白米と卵焼きだけの、満足の行かない夕食を食べて、僕は水の使い過ぎに気をつけながらシャワーを浴びた。
 お金が必要だった。宝くじにでも当たればいいのに。そう思った。
 
 
 朝、学校に行くと、金田がビッグニュースと言ってスマートフォンを見せてきた。岡本が出演したテレビ番組の動画だ。ヒーローチャオを育てるメカニズムの解明のために、彼を密着取材しよう、というコンセプトの番組だった。普段、一緒にゲームをしている時とは大違いの爽やかすぎる彼の姿に、僕は今すぐ大笑いしてやりたい気持ちでいっぱいだった。
「久しぶりに一緒に帰ろうぜ」
 という金田に、今日は用事があるからと告げる。一瞬、気まずい雰囲気になったものの彼はすぐに表情を緩めて、また今度な、と言った。午前中の授業では模試対策の試験勉強をした。手遅れのような気もしたが、お小遣いがなくなった以上、次に減らされるとすれば間違いなく夕飯だろう。授業中だけでもと、僕はより一層集中して勉強に打ち込んだ。
 昼休みになって、僕は自習室に向かった。自習室にはカップルが二組いて、岡本が真ん中の席で堂々とゲーム雑誌を広げていた。
「今日、土手に行こう」
 彼はセブンイレブンで買ってきたクロワッサンをかじりながら、そう提案してきた。その理由は、自習室を生徒会の行事で使ってしまうからというものだった。受験勉強のことが頭をよぎったが、ゲームの誘惑には勝てなかった。いいよ、と答えると、岡本は具体的な時間と待ち合わせ場所を言い渡してきた。
 河川敷に到着した僕は、いつもの位置に体育座りをしているだろう、岡本の姿を探した。彼の細身の後ろ姿はすぐに見つかった。二人して並んで座って、二人して同じ色のゲーム機を取り出して、二人でクエストを選ぶ。雑談しながらゲームしたいなあと思った僕は、戦い慣れているリオレウス希少種の討伐クエストを選択した。岡本はお馴染みのランスで、僕はサポート用の片手剣だった。
「金田、いいの。最近一人じゃん」
 どうやら岡本は僕と金田の仲違いを心配している様子だった。ん、と答えに詰まる。確かに金田とは最近あまり一緒にいる時間を作っていなかった。しかしそれは、元からそんなに仲が良くなかったからなのではないかと見当をつけていた。金田の発言に苛立ちを覚えることや、彼の言動に付いて行けなくなることも多かったように思える。離れるべくして離れたのだ。そう認識していた。大丈夫、と答えておくことにした。そんなことよりも、僕には気になることがあったからだ。
「おまえこそ。田中さんとはどうなんだよ」
「田中さん。二組の?」
 岡本がリオレウス希少種のブレスに対し回避行動を取る。ランスを使っている彼の小ぢんまりとした回避と攻撃のリズムは、後ろから見る分には軽やかで、僕でも簡単にできそうだと思えてくる。
「何もないよ。ラブレターもらったくらい。あ、捕獲圏内」
「知ってる」
 マップに表示されるアイコンが黄色く光る。そろそろ捕獲できます、という合図だ。
「罠仕掛けたよ。それで、どうすんの?」
「田中さん?」
 罠に引っ掛かったリオレウス希少種に二人して「捕獲用麻酔玉」を投げてから、岡本はゲーム機を膝に置いた。夕日を反射してオレンジ色に光る川面を岡本はじっくりと見つめていた。クエストクリアの文字が画面に表示されて、報酬アイテムを全部受け取ってから、ゲーム機をスリープモードにした。
「どうもしないけど」
「どうもしないって」
「普通でしょ」
 普通なのかな、と思った。ラブレターすらもらったことのない僕だから違和感があるだけで、モテる人たちの認識では普通なのかもしれないな、と思い直した。あるいは僕の田中さんに対する気持ちがまだ心のどこかに残っているから、彼の言葉に違和感があるのかもしれない。だが、不思議と岡本のことを妬む気にはなれなかった。付き合いは短いが、岡本の性格は分かっているつもりだ。岡本には田中さんと付き合う気がないのだ。そして、だからこそ何もしない。変に希望を持たせてしまえば、田中さんが傷つくことを分かっているから。それは彼の優しさのように思えた。
 クエストを一つ終わらせた僕たちは、小休止ということで、大学のパンフレットを読むことにした。大学の敷地の広さ、文化祭の華やかさ、学生食堂のメニューの多さ、授業内容の幅広さ、サークルの数、その全てに僕たちは圧倒されていた。高校三年生の思い出になったはずの、文化祭のカフェテリアが霞むくらい、大学という場所は魅力的に映った。岡本と一緒にゲームをしながら、同じサークルに入って、同じ授業を取って、他にも多くの友達を作って大学に通う。新作のゲームが出る時と同じくらいのわくわくが僕の中にあった。
「俺、旅行サークルとか良いと思うんだよね」
「旅行サークル? 普段何するの?」
「ゲームだろ」
 あははと笑う。大学に入っても変わらない毎日が待っているのだ。その事実が、今はとても嬉しかった。
「そういえば」
 と岡本が軽い口ぶりで切り出す。
「モンハン3、発売までもうすぐだな。予約した?」
 ついにこの話題が来たか、と思った。
「いや」
 全てを説明するのは億劫だったので、大雑把に話すことにした。
「お小遣いがなくなったんだよ。だから新しいゲームは買えない」
「お小遣いゼロ? なんで?」
「親父のリストラでさ。節約だよ。参っちゃうよな」
「あ、なんかごめん」
 いいって、と手を振る。少し気まずく感じて、二回目やるか、とゲーム機を起動する。クエストを選んでいるうちに、「あ」と岡本が何かに気づいて、草むらを指差した。つられてそちらに目を向けると、赤いダークチャオが佇んでいた。
 見て、すぐに思ったことは、「なんか汚い」だった。チャオの艶やかな肌は影も形もなくて、泥や垢にまみれていた。二日間ミントを風呂に入れなかったら、あんな感じになったなあということをぼんやりと思い出していた。赤いダークチャオを中心に、次々と別のチャオが集まってきた。
「捨てられたチャオだろうな」
 岡本が言った。ざっと目に入っただけでも六匹はいる。そのどれもがダークチャオだった。河川敷に放置されたチャオの痩せ細った姿を見て、僕はぞっとした。
「色々な事情があるんだろうけど」
 猫や犬が捨てられているところを見ても今まで何とも思わなかった。精々、捨てた人の自分勝手さに憤ってみたりするくらいだ。拾ってあげようとは思わなかったし、可哀想だとも思わなかった。それはきっと、野生でも彼らが生きていけることを知っているからだ。だけどチャオはそういう生き物ではない。自分では「狩り」をすることができないのだ。「贅沢な生き物」と吐き捨てるように言った母の声色が耳に染み込んでいく。
「可哀想にね」
 やはり、そんなふうには思えなかった。このチャオたちがいずれどうなるのかを想像すると気が遠くなった。このチャオたちはおそらく死ぬ。愛情が足りないせいで白い繭に包まれて死ぬのだろう。だけど、それまでは死ねない。どれほど空腹だろうと、栄養が足りなかろうと、寿命を迎えるまでは死ねない。苦しみながら生きるのだ。僕は怖くなって、言葉を失った。
「寒いな。帰ろう」
 岡本が涼しい顔で言って、坂道を上った。
 土手の上から見る河川敷の景色はおぞましいほどに綺麗だった。だけど夕日が眩しくて、僕は眼を逸らした。さっきまで一緒にゲームしていた岡本を、今は遠くに感じた。
 
 
 翌日以降も僕は岡本と一緒に昼食をとって、モンスターハンターをした。そうしているうちに「3」の発売日がやってきた。だけど岡本は僕に付き合って「2」のままで遊んでくれたが、その気遣いが今の僕には辛く感じられた。
 そろそろミントが転生するのだ、という話をしたのは、冬休みが始まる一週間前だった。ゲームばかりしていた割には思いのほかテストの点数が良くて、母から五千円のお小遣いをもらうことができた、という話から始まって、ようやく「3」にデビューできるけどミントがもうすぐ転生するからチャオの実を買わなくちゃいけない、だからデビューは当分先になりそう、という話の流れだった。ミントが転生することを聞いた時、岡本はやったな、と言って、すごい嬉しそうにしていた。だけど僕は不安でいっぱいだった。ミントには満足な食事も与えることができていないのだから、転生ではなく死んでしまう可能性があった。そうならないように僕と妹のお小遣いをチャオの実の購入資金に充てることにしたのだった。
 このまま「2」に付き合わせるのも悪いので、僕は先に「3」をやっててくれ、すぐに追いつくから、と言った。だけどそれからしばらく岡本は無言で考え込んでしまった。彼の優しさを受け入れないことで、彼を傷つけてしまったのかと思い謝ると、ふっと笑って、岡本はこう言った。
「ヒーローチャオの作り方、知りたいだろ?」
 チャイムが鳴った。後ろめたい気持ちは好奇心で覆い隠されていた。
 放課後になって僕は岡本の家に来ていた。友達としての付き合いは二か月くらいになるが、彼の家に遊びに来るのは初めてだった。寂れた住宅街の隙間を縫うようにして自転車を漕いだ。何の変哲もない小さなアパートに着いた僕は、言われるまでそこが岡本の家だということに気がつかなかった。
「俺の親、別居中なんだ。一緒に暮らしてる母さんは滅多に帰ってこない」
 男の家に行っているんだろうなと、いつもの軽い口ぶりで彼は言った。何もかもが初めて知ることだった。二か月の間、岡本と親友にさえなったと思っていたけど、ここに来て自信をなくしつつあった。
 アパートの建てつけは僕の家よりも幾分マシという程度だ。ドアを開けると畳の匂いがした。リビングに通されて、木製のローテーブルの前に座った。ここで待っててくれ。岡本はそう言ってからロフトに上って行った。壁の塗装は所々禿げかかっていて、そこら中に埃が舞っていた。キッチンには洗っていない食器が山ほどあって、油がこびりついているのが見えた。人が住んでいる場所じゃ、ないみたいだ。そう思ったのと、チャオがロフトから落ちてくるのは同時だった。緑色のヒーローチャオは、テレビで見た姿のままだった。落ちたせいで、ポヨをぐるぐるにしていた。反射的に緑色のヒーローチャオ、確か名前はヨッシーだ、を抱き起した。するとロフトから降りてきた岡本が、初めて、咎めるような視線で僕を見た。
「だめだろ、そんなことしちゃあ」
 せっかく育てているのにと、彼は続けて言った。困惑する僕に対してヨッシーを見せつけながら、いつもの涼しい顔に戻って、岡本は話し始めた。
「このぐるぐるが多いと、ヒーローチャオになるんだよ」
 まあ見てて。そう言って、彼はバシンとヨッシーを叩いた。ポヨがぐるぐるになる。何度か叩くとヨッシーは泣き出した。
 気まずい、と感じた。ヒーローチャオを育てる方法がこういう方法だとは思わなかったし、僕にできるとも思えなかった。だけど岡本は平気で叩いている。それが僕にとっては少し怖かった。やめろ、とも、可哀想だろ、とも、僕は言うことができなかった。代わりに言葉になったのは、
「そんなにすると、死んじゃうんじゃないのか」
 だった。岡本は笑って、それでいいんだよ、と答える。
「同じチャオだけだと、飽きるでしょ。別のヒーローチャオを育てたほうが話題になるし。テレビの出演料、いくらか分かる?」
「いや」
「九十万円。モンハンが六千円くらいだから、余裕で買えるよ」
 ヨッシーは縋るような目つきで僕を見た。見ていられなくて、僕は眼を逸らした。
「世間に知られたらバッシングだからなあ。あんまり人には言えなかったんだけど、お前は特別」
 にい、と子供みたいに笑う。すぐに帰れるような雰囲気ではなかったので、僕たちはゲームをすることにした。「2」もこれで最後になるかもな、なんて岡本は笑っていた。二人して古龍モンスター「クシャルダオラ」を効率的に倒してから、そろそろ暗くなるからと、僕は逃げるようにして彼の家を去った。
 帰り道、自転車を漕ぎながら僕は考えていた。岡本にとってチャオは何なんだろう。あれじゃあ、ただの商売道具だ。だけど可哀想とは思えない自分がいた。ミントがヒーローチャオになったら、という想像と、九十万円という単語が頭の中にちらついていた。九十万円で何が買えるだろう。自然とそういう考え方をしてしまっていることに気がついた。六千円をゲームに使ったとしても残り八十九万円。僕は赤信号を無視して自宅に急いだ。早くミントの顔を見たかった。
 
 
 それから何となく、お互いにチャオの話題には触れないことになった。結局、僕はお小遣いとしてもらった五千円と、財布に入っていた千円を合わせてモンスターハンター3を購入した。完全に以前のようにとはいかなかったし、常に微妙な雰囲気が僕と彼との間には流れていたけど、オフラインプレイで競争しつつ、時には協力して、一緒にゲームを楽しんだ。終業式の日、僕は久しぶりに金田と一緒に帰った。駅のホームに設置された自動販売機でオロナミンCを買って、一気に飲み干した。今までは自動販売機で飲み物を買うことすら我慢していたが、最近は節約する気にはなれなかった。お金を使うたびに、九十万円からマイナスしている自分がいた。冬休みに入ると岡本と遊ぶ機会はめっきり減って、代わりに受験勉強に精を出した。年末には母がスーパーで大安売りしていた餅を買ってきて、家族四人で分け合って食べた。
 年が明けて、高校三年生は自由登校の身になった。それはそれで寂しく思ってふと学校に行ってみると、岡本が自習室でモンスターハンターをしていた。僕と目が合った彼は、にいっと笑ってゲーム機を掲げた。年越し前のわだかまりが嘘みたいになくなって、僕たちは「3」からの新種モンスターであるラギアクルスをひたすら狩り続けたのだった。今年の冬は、去年より一段と寒いなあ、なんて岡本が言い出したものだから、僕はたまらず笑ってしまった。
 センター試験を一週間後に控えたある日、ミントが転生した。黄緑色のタマゴを見て母が言った。
「進学か、その子を捨ててくるか、どっちかにしなさい」
 父は先日、近所の小さな事務職を受けたものの、最終選考で落ちてしまった。七回目の落選だった。その煽りを受けて、母は市役所に行って生活支援の手続きを受けることにしたようだった。一か月につき八万円の支給、しかし、四人家族である我が家にとってその額は、まさにスズメの涙だった。母の「節約」の手はとうとうミントにまで及んだ。妹はもちろん拒否したが、高校を辞めて働くことを条件にされて、何も言えないようだった。
 ヒーローチャオの誘惑が、まだ僕の心の中に巣を作っていた。九十万円を思った。テレビ出演のことを思った。岡本を思った。よっしーを思い出した。ミントをヒーローチャオにすれば全てが解決するのだと分かっていた。だけど、それではミントが可哀想だ。だから僕は手をあげることができないのだ。今はそう思い込みたかった。
 空が熟れた柿のように色濃くなり始めていた。僕はミントのタマゴを持って、できる限りの防寒具を身につけてから外へ出た。
 
 
 捨てる場所を考えた時、真っ先に思いついたのは河川敷だった。チャオが数匹捨てられていて、野生化していたのを憶えていたからだ。チャオのタマゴを抱えながら上る坂道は、この間、岡本と走った時よりも重く感じた。
 歪な形をした雲の合間に、夕日が霞んで見えた。自転車を止めて土手から河川敷に降りて行く。何匹かのチャオが草むらの陰から僕を覗いていた。その中には赤いダークチャオもいた。
 河川敷の、草が生い茂っているところにミントのタマゴを置いた。マフラーを巻いてやって、風で飛ばされないように、砂利を寄せ集めて重しにする。
 これで、僕の仕事は終わった。
 もうすぐセンター試験だ。そう思うと酷く憂鬱な気持ちになった。気分を誤魔化すために空を仰いでみたけど、ついさっきまで見えていたはずの夕日は、今や雲の奥に隠れて見えなくなっていた。寒くなる前に帰ろうと思って、自転車に跨る。自転車のペダルが思ったより軽くて、僕は坂道を思いっきり駆け抜けた。

このページについて
掲載日
2014年10月16日
ページ番号
2 / 2
この作品について
タイトル
抜け殻
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
2014年10月16日