6話 私の愛は絶対に死なない
「明日、引っ越しなんだ」
「うん。知ってる」
僕はマユカの運転する車に乗って、ステーションスクエアに向かっていた。
マユカが引っ越す前日、最後にステーションスクエアに一緒に行くことになったのだ。
荷台にはチェーンソーやハンマーが積まれている。
そして僕の他にもう一匹、ホウカが一緒だった。
ホウカは僕の膝の上に乗っている。
「ホウカとは時々、ステーションスクエア来てたんだよね」
「どうして?」
「ホウカを飼ってた人、見つかったらいいなって思って。ホウカの飼い主さんが見つかったら、他のチャオの飼い主さんも探すつもりだったんだけどね、そこまでいかなかった」
「そっか」
マユカのことだから、見つけたらきっと氷を砕くのだろう。
それで飼い主さんが生まれ変わって、その人はホウカと再会できるんだろうか。
マユカは再会するところまで考えてはいないんだろうけれども、僕はといえば、そういう都合のいいロマンチックな出来事を夢見てしまう。
でもそんな奇跡が起こる可能性はゼロじゃない。
もしかしたら奇跡が氷を溶かすよりもずっとあり得るのかもしれない。
「ああ、でもね。ホウカの飼い主さんだけは、見つかったんだ」
マユカは自慢げに言った。
「えっ。そうなのか」
「うん。普通の人だったよ」
「普通?」
「ほら、ドラゴンをキャプチャさせるってことは、お金持ちだったのかもって予想してたじゃん?だけど外から見た感じ、ごく普通の家だったよ」
「じゃあ愛だったんだな」
「愛?」
「愛情の表現方法の一つとして、ドラゴンをあげたってこと」
「ああ、そうだね。まさに」
ステーションスクエアに着き、服を着込んでから車を降りる。
ホウカも子供用のコートやニット帽を着けて防寒はばっちりだ。
マユカとは別行動をして両親に会いに行くことも考えたけれど、ホウカの飼い主が見つかったという話を聞いたら、その人たちを見てみたいという気持ちが勝った。
まだマユカはその人たちの氷を砕いていないらしかった。
今日はマユカに借りたスパイクを靴に取り付けて、普通に歩いて移動する。
スケボーで移動するよりもゆっくりだけど、スパイクのおかげでかなり安定感がある。
転んだりどこかにぶつかったりすることはなさそうだ。
凍った住宅街を歩く。
僕が住んでいた所とは少し離れている道の住宅街だった。
家の屋根も、庭に生える木も、手作りの郵便受けも凍り付いて全ての色が白っぽくなっていた。
その中の一軒、薄っすらと赤い色が見える屋根の家がホウカの住んでいた家だった。
リビングのガラス戸の向こうに、奥さんと思われる女性が立っていた。
「じゃあ入ろうか」
マユカは躊躇なくハンマーで凍ったガラス戸を叩いた。
カシャン、と音を立ててガラスは割れた。
音が響いたのは一瞬だけで、すぐに時が止まったように静かな氷の世界に戻る。
凍り付いた世界は物音をたちまちに吸収してしまう。
パリパリと割れた氷を踏みつつ僕たちは家の中に侵入する。
確かにマユカの言ったとおり、そう裕福な家庭でもないようだった。
チャオの玩具であろう小さなマラカスが、床に置きっぱなしになっていた。
マラカスはワンコインショップなんかでも売られている、ごくありふれた玩具だ。
木製のテーブルに使われている木の色にも特別なものは感じない。
そのテーブルの上には、手編みのマフラーがまだ編んでいる途中で凍っていた。
手に持ってみれば固まっていて硬い。
丸められた状態の毛糸もソファの傍で氷になって固まっていた。
「他に誰かいないかな」
と僕は他の部屋も探そうとする。
マユカはハンマーと大きなリュックをリビングのテーブルに置いて、
「たぶんいないと思うよ」
と言った。
マユカはチェーンソーをリュックから出して、飼い主の女性を砕く準備をする。
一階の部屋には誰もいない。
「チャオガーデンにホウカを預けてたってことは、たぶん旦那さんとか子供は外に行ってたんだと思うよ。その人たちも見つけられたらよかったんだけどねえ」
玄関をチェックすると、確かに靴は一足しかなかった。
「お父さんと子供が一緒に出かけて、途中でホウカをガーデンに預けてどっか行って、って感じか」
「そうそう。でお母さんはいつも家事で忙しいから、たまにはゆっくりリラックスみたいな。まあ、結局家族のためにマフラーなんて編んでたんだけど」
「なるほどね」
僕がリビングに戻ると、マユカはチェーンソーの電源を入れた。
するとチェーンソーの大きな音にかき消されないほどの声量で、
「チャオー!!」
とホウカが叫んだ。
それは氷を壊さないでほしいという叫びかと僕は一瞬思った。
だけどそうじゃなかった。
ホウカは精一杯に、氷に向けて火を噴いていた。
ホウカが必死に氷を燃やそうとしているのを見たマユカは、ゆっくりと首から切断を始めた。
チャオの噴く火の温度では、この怪現象の氷はなかなか溶かせないみたいだ。
チェーンソーで分断していくスピードの方がよっぽど速い。
だけどチェーンソーが止まるまで、ホウカは頑張って火を噴き続けた。
そしてホウカがハンマーに持ち帰るとホウカも、
「チャオ、チャオ~!」
と分断された女性の氷を手や足で叩き始めた。
氷を叩くホウカの掛け声にはメロディがあった。
そのメロディに合わせてマユカも途中から歌に入り、ハンマーを振りかぶる。
私の愛は絶対に 死なない
こぼれまくっても走り続ける血は
元々はあなたからもらったもの
マユカのリュックの中には小振りのハンマーもあった。
ホウカを手伝ってやりたいと思った僕はリュックをあさってそれを見つけた。
僕はホウカとその小さいハンマーを握らせる。
小さくてもチャオにとってハンマーは重いだろうから、僕も支えるように柄を持ち、一緒に氷を叩いた。
マユカの振り下ろす大型ハンマーほどの威力はなくても、一回叩くごとに小さな氷の粒が二個か三個飛んだ。
僕もマユカやホウカと一緒に歌った。
そして僕は決心した。
ホウカはチャオなのに、マユカのやっていることを理解して、それで自分でやろうとするのだから、すごく偉い。
僕はチャオではなく人間だから、ホウカに先を越された代わりに、一人でやろうと思った。
「ねえマユカ、頼みがあるんだけど」
「なに?」
「チェーンソーとハンマー、貸してくれない?僕の家族の氷も壊そうと思う」
マユカは、いいよ、と頷いた。
まずはショッピングモールにいる姉さんの氷から壊した。
チェーンソーの扱いは、氷の彫刻で慣れている。
だけど首の高さまで持ち上げるのは大変だ。
彫刻はそこまで高さがない。
必死に腕を上げて、チェーンソーの刃を姉さんの首にぶつける。
刃が入る瞬間に姉さんが叫び声でも上げはしないかと怯えるのだけど、耳を傾けたつもりでもチェーンソーの音以外には悲鳴も感謝の声も聞こえてこなかった。
首が落ちると、こういうものか、という実感があった。
供養とは、相手からなにかを受け取る行為ではない。
ただ僕がそれをするだけなのだ。
そのことがわかると緊張が消えて、あとはマユカがやっていたように姉さんの体を小さく切り分ける。
そしてマユカからハンマーを渡された。
「やることは、いつもとなにも変わらないよ。ただ思いを込めて、振り下ろすんだよ」
「わかった」
初めて振るうハンマーに体が付いていけない。
だけど気持ちを込めるということだけは守って、ハンマーを姉さんの頭に叩き付ける。
姉さんの氷は飛び散らず、薪のようにその場で割れた。
そこにもう一撃を叩き込む。
生まれ変われ。
今度はこんな終わり方をしないで、幸せになってくれ。
するとマユカが小さな声で歌い始めた。
今までそんな歌い方をしたことがなかったけれど、それは僕を導くための歌声だとすぐにわかった。
そうだ、僕がマユカに教わってきたのは、そういう触れ方だった。
下地に僕の色を重ねるように、マユカの導く声よりも大きな声で僕は歌い出す。
ホウカも一緒になって歌ってくれた。
小さい氷の欠片も追って、僕はハンマーを叩き付ける。
何度でも夢中で叩き付ける。
間違っても姉さんがこの町に閉じ込められたままにならないよう、バラバラの粉微塵にして解放する。
ハンマーの重みを無視して僕の腕は動き続けてくれた。
そして姉さんの氷が跡形もなくなると、すっかり息の上がった僕に、
「お疲れ様。寒くない?」
とマユカは聞いてきた。
僕は首を横に振った。
全然寒くなかった。
動いたからだろうか。
「暖かい感じがする」
と僕は答えた。
急にチェーンソーとハンマーでぶん殴られて姉さんはびっくりしたかもしれない。
とんでもないことをされたと思ったかもしれない。
だけど僕自身はいい供養ができたと思った。
息は上がっているけれど、まだまだ動ける感じがした。
父さんと母さんも同じように砕くまでは休む必要がないと思えた。
僕はマフラーを緩めて、白い息を吐いた。
冷たい空気に晒しても僕の熱気は収まらなかった。
そして僕の吐く息がステーションスクエアを僅かに温めていく。
僕たちはもう凍っていない。
放課後、僕とリコは一緒に歩いていた。
ステーションスクエアからの風は相変わらずこの町に吹いてくる。
クラスではついに十組目のカップルが生まれた。
「今の風めっちゃ寒かったね」
とリコは全身を棒のように硬直させて歩く。
「チャオガーデン来るか?暖かいぞ」
「なにその、俺ん家来るか、みたいなノリ。俺の体で温めてやるよってか。エロ人間め」
「そんなに寒いんなら、お望みどおりに温めてやるよ」
「あー、いい。既にこの恥ずかしいやり取りのせいで体が温まってきた」
とリコは体を硬直させたまま言う。
「いいことだ」
「全然いいことじゃないよね?」
「いや、いいことだろう」
「どこがよ。まあ、ヘルメタル連れて、行くよ」
「ああ。氷の準備して待ってるよ」
僕は今、チャオガーデンにアルバイトとして雇われていた。
マユカがやっていたことは、僕の仕事になっている。
チャオガーデンで仕事をするようになって、おばちゃんとは前よりも仲良くなった。
「ああ、インクくん。おかえり」
「ただいま。みんな元気?」
「元気よ。相変わらず」
親子の振りをするのが最近おばちゃんとのブームになっている。
特にお客さんの前でやって、悪戯でお客さんを騙すのである。
ただ今日はお客さんがいないようだ。
チャオガーデンの中に入っても、人は見当たらない。
最適な環境に整えられたチャオガーデンの空気はとても暖かい。
誰にとっても優しい空間だ。
ここでみんなの幸せを作るのが僕の仕事である。
洞窟の中へ行き、作業着を着る。
水色に黄色のラインの、チャオ風の作業着だ。
そして氷を用意して、台車に載せて運ぶ。
「早かったじゃん」
洞窟から出ると、リコがもう来ていた。
コドモチャオに戻ったヘルメタルが抱きかかえられている。
「ちょっとだけ走った」
とリコは照れたように笑った。
「チョコバットやるよ。食べな」
「ありがとう。いただきます」
そしてチャオたちとリコは氷の周りに集まる。
僕たちの暮らす世界の暖かさを僕は感じている。
「よっしゃ、始めるぞ」
マユカから譲り受けたチェーンソーが大きな音を響かせる。
みんなの目が期待に彩られる。
なにもかも、まだマユカのようにはできない。
それでもチャオたちはもう笑顔になっている。
僕はホウカと目を合わす。
ホウカも転生できるように、僕が精一杯愛してやる。
ホウカは嬉しそうに頷いた。
チェーンソーの刃が氷に触れる。
細かい粒がチャオガーデンの人工の空へ飛ぶ。
僕はチェーンソーの重みをしっかり感じながら、氷に命を吹き込んでいく。
丁寧に、命を掘り起こす。
今日はハトでも作ってみるか、と考える。
そしてチェーンソーからノミに持ち替えれば、僕はやはりあの歌を歌う。
僕の体、そしてチャオガーデンが、熱を帯びていく。
マユカとの日々で受け取ったあの愛をみんなに伝えるために、僕は声を張り上げた。