8 たぶん明日

 エメラルドが生まれてから六年が経った。
 もうそろそろ寿命だ。
 チャオは他の生き物と比べて老化がわかりにくい。
 体を壊すということが全然ないからだ。
 それでも最近エメラルドは運動量が減っていて、なんかもう少しで死にそうっていう雰囲気を出していた。
 チャオはあれから増えていない。
 減ってもいない。
 エメラルドの寿命が近いことを感じているのは、もちろん俺とアサだけでなくカオスチャオたちもだった。
 それでみんなエメラルドのことを気づかって、ことさら優しくしている。
 元々親気取りだったカオスチャオたちは、エメラルドの頭を撫でてやるなどして、もはや飼い主らしささえある。
 俺とアサはそんなカオスチャオたちとエメラルドを見守っている。
 ラストスパートのごとくご機嫌取りをする気にはなれなかった。
「あと、何日だと思う?」
「たぶん明日」
 とアサは答えた。
「そうか」
 明日にはエメラルドは決断するんだな。
 この島で生き続けるかどうか、という決断だ。
 生きていく気がなければ、転生せずにエメラルドは消える。
「なあ、もし転生しなかったらどうする?」
 と俺は聞いた。
 エメラルドが死んだら、転生する価値のない暮らしと思われてしまったら、それでも俺たちはこの生活を続けていくのだろうか。
 何年か前に考えた島からの脱出計画を思い出す。
 だけどアサは俺の意図とは違う答え方をした。
「お墓を作る。それでエメラルドのことを思い出したらそのお墓の前で手を合わせて、今日までのことを振り返る」
 アサは実際に手を合わせて、目を閉じた。
 きっと本当にエメラルドとの思い出を振り返っているのだろう。
 俺は手を合わせず目も閉じずに、思い出せることを思い出してみる。
 去年は、繁殖のダンスのはずなのに花畑から出てしまうくらい激しく回転して、アサはエメラルドを振り回していた。
 一昨年には二回目の雪が降ったけれど、エメラルドは雪よりも寒いことの方が大事だったらしく、ずっと俺たちの布団にくるまっていた。
 などと思い出しながら、アサはこの島から出ることなんて全然考えていないんだな、と俺は思った。
 じゃなきゃ俺たちが手を合わせるためのお墓なんて作らないのだ。

 翌日、アサの見立てどおりにエメラルドは寿命を迎えた。
 風のないよく晴れた日だった。
 エメラルドはピンク色の繭に包まれ、転生した。
 その様子をみんなで見ていた。
 繭の色がピンクだとわかっても、繭の中から卵が出てきても、誰もなにも歓声を上げなかった。
 エメラルドの転生を祝っているはずだが、みんながみんな無言なせいで、重苦しい雰囲気になっていた。
 俺もどのように喜べばいいのか、振る舞い方に困ってしまっていた。
 そんな中、繭が完全に消えるなり俺の向かいに座っていたアサは立ち上がって、卵を持った。
 そして卵が来た時のように草色の染みだらけのワンピースに卵を入れて、妊婦の振りをする。
 おどけることなく重い雰囲気をそのまま背負ったアサは、服の中で卵を抱えたままじっと立っている。
 ますます俺たちはなにも言えなくなって、アサがなにかしてくれるのを待つばかりになる。
 だけどアサは微動だにせず突っ立っている。
 俺まで身動きが取れなくなってくる。
 身じろぎするのさえ抑えなくてはいけない気がする。
 動かないでいるとそれまで暖かいだけだった日光に熱さを感じるようになってくる。
 空がじりじりと俺を熱している。
 俺の感じている熱は、アサと卵を温めている熱だ。
 いつか本当の赤ん坊を生ませてほしい。
 たぶんアサも俺と同じことを祈っている。
 空の青さ、日の暖かさは、未来を意味していた。
 それなら今その下に照らされている俺とアサにだって未来があってもいい。
 俺は未来を見上げて、声を出した。
「もう一度俺たちに子どもをください。お願いします」
 そう、もう一度。
 この島に捨てられてしまって、なにかが生まれることとは無縁になってしまった俺たちに見せてほしい。
 人が、チャオの卵が、生まれるその時を。
 アサが抱えている膨らんだ腹の中に、未来のあらゆる人やチャオの誕生が隠されているように感じられてきて、俺はアサがごっこ遊びに飽きるまで彼女の腹を見つめ続ける。
 アサは百人の赤ちゃんと百匹のチャオの母親になり、そして卵を降ろすとアサから誕生した全ての未来が空の向こうに消えた。

このページについて
掲載日
2017年12月23日
ページ番号
8 / 9
この作品について
タイトル
ガーデンコール
作者
スマッシュ
初回掲載
2017年12月23日