チャオとヒトの事実に関する日記

 私の呼吸が荒く、酸素を求めるのはこの脳裏に浮かぶ大量の水のせいだ。水は勢いのままに都市を駆け回り、人をさらい車を食らいながら水位を上げていく。ビルを覆い、中へと侵食していく。あるいはもう既に中からその体を膨らませているかもしれない。底から噴き上げる泉。窓を割り外へ飛び出す滝。途方もない量の液体は光までも吸い込んでしまい、無色から色を持って私たちを睨む。
 その中で私の意識は溺れてしまうのだ。手でもがき、足をばたつかせるが、苦しいままだ。

 その光景の一から十までが私の病的な恐怖の生み出した無根拠な幻というわけではないのだ。私は見たことがある。この恐ろしい光景は間違いなくカオスとかいう化け物が我々を襲った時のものなのだ。ただ一つだけ違う点がある。
 私の想像力によって描かれている化け物は人々が躊躇することなく触れているチャオなのだ。

 私が知っていた人類が別の顔を見せたのは、一年前になる。信頼が崩れた最初の衝撃は、一年前、一人の少女が現れたことだった。
 その少女は見てくれは十代後半、十七か八くらいで、私と同じ日本人の顔つきをしていて目や、頭から肩へそして腰へと落ちる滝のような髪は黒く、若者を思わせるやや少ない語彙の日本語で喋り、知らなかったことを聞くと何よりも「本当?」という言葉が出て、体質なのかそれともこれまでろくに満腹にならず生きてきたのか腹から腰までのラインが美しく足の細さが頼りなく、そしてそんな少女の体をなぞっていくと背中には小さな手のひらほどのピンクの羽があり臀部には尾てい骨が延長して子どもの拳ほどの尻尾があった。
 羽と尻尾のある少女。その一突き、その最初の衝撃だけで、これまでの人類への信頼は崩れてしまっていたのだ。あろうことか、そして幸福なことに、私は鈍感さのためにそうと気付かず、また恐怖せず、頭をおかしくすることもなかった。確かにヒトには羽も尻尾もない。だが我々人類が築いてきたものが、人間以外が息一つ吹くだけで崩壊してしまうことを何度か経験していた。突如現れた青いハリネズミが音速で走り、未知の脅威が現れ世界は絶望し、奇跡によって救われる。だから私にはそんな少女がいてもそのようなこともあるのだろうとしか思わなかったのだ。

 彼女に最初話しかけた時はそのような異常を発見することはなかった。おかしかったことと言えば、人一倍素朴に服を着ていて、道路に座っていたことだった。その手の人間にはあまり声をかけたい気持ちにはならないのだが、みずぼらしさを美しさがぼやかしていたことが私の警戒心を弱めた。恩を売って、人が良ければそのまま親密になってしまおうと打算して私は彼女に声をかけた。
 肉体関係になったのはそれから一ヵ月後のことで、その時に私は彼女の体を知り、一通り驚いた後は学校でいじめられたりするだろうな程度に思った。できることならばこの時には私に迫っている恐怖に勘付くべきで、逃げなくてはならなかったのだ。
 そうすれば私は偉大なるヒトとして周りと同じように冠をかぶっていられただろう。いや、勘付いても、それだけで恐怖は私の体をたちまち窒息へと追いやってしまうのかもしれない。

 私と彼女の間にできた子どもは、できたとわかってからたったの一週間で生まれた。生まれたのは彼女と同じように羽と尻尾がある生き物で、姿かたち及び頭の上に浮かんでいる球体から判断すると間違いなくチャオだった。
 私はひどく混乱した。私はいつの間にか頭をおかしくして、想像力がたくましく一人歩きをして自分の子どもをチャオに見せているのではないか?そう思うものの、いくら気を落ち着かせてもそこにいるのはチャオだった。人間の間にチャオが生まれるわけがないはずだ。私は当然そう信じていた。彼女はこの出来事に関して「本当?」などと事実を疑うようなことは一切言わなかった。
 チャオの体とヒトの体がそれとなく似ているのに気付くにはそれから一週間もかからなかった。

 そんなまさか、と思う。このちゃんとした自然の中で暮らすのが望ましいとされ、攻撃性の低い弱い生き物と人間に関わりがあるというのか。長い歴史の中でチャオの一部は人間へと変換されていったのか。否定しようにも生まれてしまっている。このチャオが、そしてこの少女が。
 望めるのであれば、私はそんなまさか、と思いたい。そうしようにも私には否定するため真実に近付く意志はない。私は怖い。

 何より恐ろしいのは、人間と羽と尻尾があるだけで限りなく人間に近いものとの間に生まれるのはチャオだ、ということだ。チャオは冒涜的な速度で私たちからヒトの色を奪っていくのだ。彼女との交配に限らない。人間と人間が交わったとしても、その肉体から出てくるのは水色で愛嬌があり人々が愛し私が恐怖するあれなのかもしれないのだ。そうやって、人間の体を食い破るようにしてチャオは世界を支配してしまうのではないか。チャオからヒトに至る際にその計画は遺伝子に刻まれていたのではないのか。
 そのように思ってしまってから、私が感じていたヒトの威厳が消えてしまった。知識があり食物連鎖の頂点に立ち、地球を制御し他の動物を管理する人類は消えてしまった。本当にあのチャオガーデンは人間がチャオを飼うために作ったのか?ここにある幾多の建物はいつかチャオのためのものになってしまうのではないか?環境保全。チャオと住める家。チャオのためのニュースはもはや私を怯えさせるものでしかないのだ。
 私は今日も見えぬチャオの水分に顔を押し込まれ、息がしにくい。

この作品について
タイトル
チャオとヒトの事実に関する日記
作者
スマッシュ
初回掲載
2010年12月23日