チャオとは-検索件数0件

 とある一匹のチャオがいます。
 チャオは不自然な形をしていたのです。どういうふうに不自然な形かはご想像にお任せします。
 チャオとは何なのでしょうか。
 僕がチャオという生き物を想像すると水色が真っ先に浮かび上がります。次に浮かび上がるのは黄色いポヨです。
 これが僕のチャオ像であります。
 ですがそれは想像の形であり、無意識における本質ではありません。
 本質とはその想像物の内側に秘められた志向でしょう。
 本質です。無意識とは本質を示します。では意識的とは本質とかけ離れているのでしょうか。話題が逸れたので原点回帰。
 チャオとはどういったものなのかでしょうか。
 実物ではありません。
 つまり形を表現することに意味はないのです。
 この文章にも意味はありません。無意識を形にするのは非常に難しいことだと僕は考えます。自分の見えない部分を自覚し、文章化する。難しいのです。
 要点はそこです。僕はチャオをどういうふうの存在に捉えているか。
 子供の頃は簡単でした。恐らくこれはみなさんの共通認識だと思います。
 けれど今は違う。子供の頃よりも色々な経験を積んでいると感じます。
 そこで僕はチャオをどう捉えているか。分かりません。みなさんも分からないのだと仮定します。分かっていたら教えてください。
 僕は無意識潜入における初心者、ビギナーでありますので、一番簡単な単語を引き出す手段を使用してチャオという存在を形作っていこうかと思います。
 チャオとは可愛らしい。これがまず僕の最初の印象であったはずです。
 奥が深い。これも印象でしょう。あまり確かな記憶ではありません。
 破滅。無意識上にこのような単語が浮かび上がりました。破滅。破滅と再生。転生。無限の生命でしょうか。よく分かりません。
 希望。確かに幼い僕にとって、チャオという生物は希望だったに違いない。
 ミステイク。これは雑念ですね。申し訳ありません。
 愛。まさしくそうでしょう。チャオは愛により生かされ、また別の愛に殺される。愛とは恐ろしいものです。僕は愛を一種の宗教だと感じます。
 奇跡。何万というゲームタイトルの中、チャオに出会え、チャオ小説を書く機会に恵まれたことは、故に奇跡と言えるかもしれません。
 ここまでの情報を統合してみましょう。
 僕はチャオをどう捉えているか。抽象的な単語が多いように思います。少なくとも単語自体に方向性を示す意味は含まれていない。そうなるとこれらはまだ本質に近づけていないのです。
 最も、これらの統合こそが僕の中のチャオを形作っていることは確かでしょう。ですが本質ではない。まだ完全な無意識エリアではないのです。
 再び無意識潜入を始めましょう。
 チャオとはデータの塊。これは事実ですね。事実は事実以外の何者にもなれません。可哀想な事実。
 願うこと。挨拶。憐憫。マギテックシューター(雑念)。未来。青空。神殿。鎧。緑。瑞々しい何か。はらわれるべきもの。最後通達。疑念。悪魔。
 こうして見ると心の中には多くの雑念があるように感じます。大半は雑念と言っていいでしょう。ビギナーであるが故の苦悩であります。
 ビギナーである僕はこの方法では自分のチャオに対する真実を見ることは叶わないようです。
 では他の方法を考えましょう。
 僕はどうしてチャオを楽しんでやっていたか。これです。
 僕はチャオに何を求めていたのか。チャオは癒しをくれます。努力に対する確実な見返り。未知への期待感。進化タイプの多さと可能性。育成し、完成させることへの喜び。
 思えば、チャオは僕に創造することの=想像することの楽しさを教えてくれたのではないでしょうか。
 そう考えれば辻褄が合う。
 チャオ小説という創作活動に興味を抱いたのも、あるいは自己欺瞞のみならず、自分の内側で留めておくに難しかった想像力=創造力を発散したのかもしれません。
 ここまで考えて、チャオをエネルギーとイコールとして考えることが出来ることに気が付きます。
 加えるならば、チャオの育成には時間を要するため"焦れったさ"のようなものを感じながら楽しんでいたのかと思い出します。
 もしかすると可愛い、という僕の第一印象は偽物で、実のところは別にあるのかもしれませんね。
 今はチャオを見ても可愛いとは思わない。
 子供というのは感性が豊かなのですね。チャオから色々なものを感じ取ってしまう。そしてそれを正しく認識することが出来る。昔を懐かしむのはやめておきましょう。
 今までの積み重ねである僕のチャオに対する無意識の印象は以上のものの統合、いわば"エネルギー"であることが分かりました。原動力。意欲を与えるもの。食べ物や飲み物のようなものです。
 では今の僕はどう感じるのでしょう。
 チャオ。
 チャオという単語から思うのはやはりピュアチャオの姿です。座っています。座ってこちらを物欲しそうに見ている。ポヨは常にハートマークです。
 可愛いと感じているのでしょうか。異性に対する感じ方とはまた違うような気がします。それでは何か。分かりません。僕はチャオに対して何かを感じているが、それを言葉に出来ない。
 思えば言葉に出来ない感情というのは、意識しないだけで数多くあると思います。喜怒哀楽とはいいますが、これは赤青緑黄と書かれているだけです。ブレンドし、混ざり合ってこそ様々な色合いが生まれる。感情も同じです。
 例えば寂しい、というのはどのような気持ちでしょうか。僕は自分の無意識的な行動からでしかそれを認識できません。認識するときはいつもこうです。
 あ、自分は寂しがっている。
 チャオに対しても同じなのでしょう。自分の行動からでしか認識することが出来ない。しかし現実には目眩ましが数多く存在する。僕がチャオ小説を書いている理由が何かを明確に決めることが出来るでしょうか(いや、出来ない)。
 チャオ小説を書いているから、チャオを愛しているのだ。
 違いますね。僕はチャオを愛しているのでしょうか。僕の中の別の登場人物がチャオを愛しているような気がします。
 かつて愛する自分がいた。
 これです。僕はかつてチャオを愛していた。今、その激情は僕の中にない。
 僕は単純傾倒型の人間ではありません。オタク向きではないということです。なのにオタク向きのことをしている。これは大変な矛盾です。世間ではにわかと呼ばれています。
 どちらかというまでもなく、僕は多種放浪型の人間です。一つどころに留まれない。しかしなぜ僕はチャオ小説を書いているか。それは僕にも分かりません。
 僕には学がない。
 才能もない。
 色々なことを考え、思いつく力もない。
 人望を集める術も知らない。
 何かを成し遂げるだけの気力もない。
 今分かりました。僕はチャオに対して嫉妬しています。チャオは全てを与えられて進化し、育て上げられる。自分は与えられていない。自分で手に入れるしかない。
 その無意識の嫉妬が僕をチャオから引き離し、チャオに固執させている。
 今の僕はかつてチャオを愛し、今、嫉妬している。羨望といってもいいでしょう。
 そしてチャオへの愛を失った僕に何が出来るでしょうか。
 何が出来ると思う時点で、恐らくそれは決まっているのです。何のために何が出来るかではなく、何が出来るか。
 多分何も出来ないと思います。
 だから書くしかないのです。
 僕のチャオに対する嫉妬心が消えて失せるまで。
 しかし、一方でチャオを可愛いと思う自分がいます。不思議なものです。なぜ画面の向こうに感情を覚えるのでしょうか。分かりません。
 というわけで僕のチャオに対する無意識エリアの認識は嫉妬です。
 チャオは与えられて育った生き物。
 僕は与えられてない。
 僕は辞書ではありませんので、チャオが何かを正確に書き出せる能力はありません。だが僕にとってのチャオはこれなのです。
 以上、中身のない小説でした。

この作品について
タイトル
チャオとは-検索件数0件
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
2010年12月25日