「チャオのあね」

 夏は日照りが姦しい、太陽のはしゃぐ季節。影だけは暑さの中、平気そうに歩いている。前を歩く声たちがチャオのことを喋っている。ペットにするにはもう流行が過ぎている。美佳はその会話を聞きながら歩いていた。少しの苛立ち。頬を伝う汗。指で首筋を拭う。乗っかった水滴を日光に当ててみた。乾くだろうか。その前に地面に落ちる。遊ぶものがなくなって暑さを思い出す。胸元ははだけている。袖はまくっている。それでも暑いのに変わりはない。意識を前に向けると話題が少し変わっていた。チャオがきっかけの出会い。美佳はどこかに向けて溜め息をついた。
 住宅街まで戻ってくると歩く人影はない。一人。足がふらりと公園の方へ向いた。退屈を紛らわせたかったのだ。駐車場にでもなるかと思われていたスペースは、美佳が中学生の時にどういうわけか公園になった。芝生で覆われていて木も生えている。そしてペット向けの大きさの池がある。そこにあるほとんどが元々あった施設の名残だ。ベンチに腰掛ける。背中を預け、仰げば深い青が見える。
 天の清々しさに対して地の暑さときたらやっていられない。こういう時に、空を飛べたら気持ちいいのではないか。
 空を飛べそうなのが足元で、ちゃあ、と愛らしい声を上げた。美佳の顔が無言でそちらに向いた。睨むような目に水色の生き物がぴくり、と震える。怯えさせてしまったようだった。それに美佳の心もぴく、と反応。もし時間が小学生の頃で人間が友人なら絶対にこうはならないだろう。それとの対比をしていた。小学生の頃は、ここはチャオガーデンだった。そんなことも思い出した。美佳は右手を伸ばす。あんたも大変だねえ。そう思っていると伝わるだろうか。チャオの頭を撫でた。チャオは気持ちよさそうにうっとりとしている。繰り返すと、頭の上で浮いている球体がハートの形になる。ますますうっとりとするチャオ。なでなでの虜。伝わらなかったようだ。
「ってか野良なんだよね、あんた」
 チャオにとってはこれ以上なく住みやすそうな場所だ。ベンチから離れて、しゃがむ。顔の高さがよりチャオに近付いた。指で顔などを軽くつつくと楽しそうな声を上げる。美佳は、無邪気なもんだな、と面白くなって、その次に数匹のチャオの姿にぎょっとした。声を聞いて集まってきたようだった。それらを、いち、にい、と数えていく。「ろく」最後のチャオと目が合う。改めて七匹のチャオを見て呟く。「多すぎでしょ、これ」なでなでに引き寄せられる水の栗。生き物が密集しているのに美佳はむしろ涼しいと感じていた。チャオの体温は人間のそれより低い。撫でてやりはしないものの、適度に触れて冷たさを味わう。
 野良のチャオはここ数年増加し続けている。捨てられたチャオだけでなく、その中から生まれたチャオもいるという。チャオを飼っていないけどもチャオガーデンに行って遊んでいるチャオの姿を見よう、なんて人ももういない。捨てられたチャオが美佳の記憶の引き出しを開ける。チャオをきっかけにして出会う。ドラマじゃあるまいし、と一人が言う。すると「でも」と一人。チャオの羽になりたかった少女の話をし始めた。これは実際にあった話。チャオの羽になって自由になりたかった少女。叶わない夢の裏にあるのは危険な欲望。少女を救ったのは恋だった。ある事情でチャオを飼わない少年。どんどんテンションを上げながら話していた。話し終わると「それ本当にあったの」と聞いていた一人が言う。それに「本当だって聞いたよ」と力強く返答していた。本当にあったのだろうか。美佳にはわからない。今となってはもうドラマの中にすらなさそうだ。
 そういえばあの頃はドラマだけじゃなかったな。自分が小さい頃、チャオが出てくる絵本を読まされた。今はどうなんだろう。自分が読んだのは、タイトルが「チャオのかぜ」だった。中身は覚えてないけど。今の子どもはそんな絵本のことなんか知らないのかも。こういうのをジェネレーションギャップって言うのか。なんか嫌な感じだ。まるで自分が昔の人間みたいじゃないか。大丈夫大丈夫、まだ今の人間だ。彼氏はいないが。恋愛。なんで皆、恋愛をしたがるのだ。もうちょっと皆が別のことに興味を持っていてくれれば、私だってきっと恋愛なんて全く意識しないでいられるのに。
 チャオが身悶えする。それで美佳に不快感が伝わる。触る手に力が入って表情も険しくなっていることに気付く。「あ、ごめ」取り繕うように優しく撫で回す。さするかのように。次第にチャオの表情も柔らかくなる。痛いものは飛んでいったようだ。残っているのは直前まで考えていた言葉。目に映るチャオの姿とが脳の中で混ざった。その気まぐれで手前のチャオの胴体に手を回す。そして抱き締めた。ぎゅっと力を込めてみるものの、感動も衝動も湧いてこない。そりゃあチャオだしなあ、と美佳は落胆することもなくチャオで涼む。
 彼氏とかより姉と弟って感じだよなあ。弄ぶ感じが。っていうかこいつらは野良だからそういう家族な風でもないか。姉じゃないとして、姉御。いやいやそれってどうなの。
 抱き締めを解除し、チャオを置く。しかし両手は胴体を捕らえたまま。美佳は目を細め、氷柱の眼差しを向けた。野良は目を大きくして、びくっと怯えた。それに共鳴したのか周りも同じだけ震える。美佳は目から力を抜いて、ふう、と息を吐く。
 違うんだよなあ。そういう柄じゃないんだよねえ。
 少女は小首をかしげて、それから立ち上がって家路に戻る。野良のチャオたちはそれを見送ると、今までのことを忘れたように彼らだけで遊び出した。

この作品について
タイトル
「チャオのあね」
作者
スマッシュ
初回掲載
2011年2月23日