バイザウェイ 一
トラックに衝突されてしまったので、私の彼氏の星谷翔矢は家族と一緒に死んでしまった。
父方の祖父母の家に行く途中だった。その事故で彼らは一家丸ごと死んでしまい、私は故人が一人ではない葬式を初めて経験した。しかし彼の飼っていたチャオだけは転生したので今も生きている。
高校から家に帰ると私はリビングのソファの端にぬいぐるみのように座らされているコドモチャオを抱きかかえる。
テレビを見せていれば手がかからないということで母はそこに座らせておくのである。
母は今買い物に出かけているらしくて、玄関には靴がなかった。チャオの方もテレビが面白くてソファから離れずに大人しくしている。
再放送の刑事ドラマをチャオが楽しめているとは思えないけれど、割とコメディ色の強いドラマだからにこにこして見ている姿に違和感はなかった。
このチャオはヒーローチャオに進化するつもりのようで、産まれた時より随分と体が白っぽくなっている。
「ゴウ、ただいま。チャオガーデン行こうか」
私はソファの後ろからそう言った。
ゴウというのはこのチャオのあだ名だ。本当の名前、翔矢がこのチャオに付けた名前は、ソニゴロウである。
とてもださいと私は思う。ソニックチャオにするつもりで卵を買ったので、名前にソニを入れることは始めから決まっていたそうだ。そして色々と考えた末にソニゴロウと命名した。
彼はこの名前を、可愛らしい名前だと思っていて、一度も恥ずかしがらずにそのださい名前でチャオを呼んでいた。恥ずかしかったから私がその名前で呼んだことは片手で数えられるくらいにしかない。
彼の親戚から半ば押し付けられる形で、私はソニゴロウを譲り受けた。
転生するくらい愛されていて、それで助かったというのは美談だけれど、私はチャオだけ生きていても少しも嬉しくなかった。
私はチャオよりもチャオに構っている翔矢を見ているのが好きだったような気がするのだ。
チャオは手のかからないペットだが、構ってやらなければ寂しがるしチャオガーデンにも連れていかなければいけない。チャオを長生きさせるにはチャオに適した環境で過ごさせる必要があるのだ。
「チャオ!」
ゴウはソファの上に立つと羽をばたつかせながらぴょんと跳ねる。
ゆっくり降りていくところを捕まえて、抱きかかえる。ゴウの頭上の球体がハートマークになる。
自転車の籠にゴウを乗せる。駅を通り過ぎ、通っている高校を越えて五分の所にチャオガーデンはある。
翔矢が通っていたチャオガーデンは隣町のチャオガーデンで、そちらのガーデンの方が広かった。しかし電車賃を使うのが嫌で、私は自転車で行けるガーデンに通っていた。
日が落ちるのが早くなったとはいえ、四時前だとまだ外は明るくて、影の出来る方角でしか夕方が近付いていることがわからない。
私は前に自分の影を見ながら学校への道を走り、背中の熱さで汗をかく。
駅を過ぎると、自分と同じ学校の制服を着た人とすれ違うようになる。
制服を着たままだと、忘れ物を取りに戻っているように見えそうで恥ずかしい。それでも制服を着たままチャオガーデンに行くのは、制服姿が結構似合っていると思っているし、この格好の自分は割と本当の自分だって気がするからだ。
三階建ての白い建物がチャオガーデンだ。二階より上の大きな四角い建物を、下の一回り小さな建物とその周りの柱が支えている。その外観通りに、一階は受付や売店になっていて二階と三階がチャオガーデンになっている。
建物の中に入ると右側に売店がある。闇の取引所という名前の老舗だ。チャオの保護がうたわれ始める前からチャオガーデンと一緒にあった店で、チャオガーデンの建物には大抵この店が入っている。
そのまま奥へ進んでいくと受付がある。
身分証か会員カードがないとチャオガーデンの中には入れない。チャオに暴力を振るうトラブルを防ぐためだ。おけいこや診察の窓口もここにある。
私は受付の女の人に会員カードを見せ、階段を上がる。階段を上がってすぐのところに自動ドアがある。そのドアに手を触れて開けた先がチャオガーデンである。
チャオガーデンは昔作られた三種類のガーデンを基にして設計されていることが多い。
このガーデンはヒーロー系のガーデンだ。やはりガーデンはヒーロー系とノーマル系が多くて、ダーク系は少ない。昔に作られたダークガーデンと似たようなガーデンは悪趣味だと言って近付かない人が多いので、ダークガーデン系のガーデンでも大抵は薄暗いことが快適さに繋がるような、落ち着くガーデンをコンセプトにしている。
このガーデンの中央は吹き抜けになっていて、三階の照明と窓から光が降りてくる。
私はゴウを抱えたまま三階に上がる。
チャオの餌の木の実が成る木を植えている都合で三階だけ上に長い。天井が遠くにあって、二階の中央にある噴水を見下ろせるところが好きだ。
木の実が落ちていたらラッキーだが、どれも食べられてしまったようで見当たらない。
私は木を見上げる。この木は季節に関係なく鶏卵のように木の実を生み出してくれる。
十分に大きくなった木の実が付いていたので私は木を蹴ってみた。
幹は細いのにびくともしなかった。
周りの人が見ていなかったら飛び蹴りをかましてやるのだが、二階にも三階にも人はそれなりにいて、近くには同じ高校の男子や子供を連れた女性までいるとなるといよいよそんな乱暴な真似はできない。
「買ってくりゃよかったね」
私は木陰に腰を下ろしてゴウに言うと、ゴウはうんうんと二度頷いた。転生する前からゴウは語りかけるとそれらしい反応をしてくれる。
「さあ、好きに遊びな」
ゴウを下ろしてやる。するとゴウは真っ先にあぐらをかいている私の脚に上り、そして腕をよじ登っていく。右腕だけにゴウの重みがかかって痛い。
「ちょっと、ゴウ、やめようそれ」
そう言う間にゴウは私の肩を掴み、そこまで登ると次は頭の上を目指そうとする。
髪を掴まれたくはないのでゴウを持ち上げて頭の上に乗せてやる。
すぐにチャオの重みで首が辛くなって、
「ゴウ、もう無理なんですけど、下りてくれない?」と言うのだがゴウは下りない。
私はどんどん猫背のような姿勢になる。そして同じ高校の制服を着た男子が近付いてきた。
彼は正座して私に目線を合わせると、
「あの、すみません。チャオの写真、撮らせてもらっていいですか」と言ってきた。彼はデジタルカメラを持っていた。
「いいけど、早くしてくれる?」
たぶん私の頭の上に乗っているところを撮りたいのだろうと思ってそう返し、私は少し背筋を伸ばす。
「ありがとうございます」
私が要求した通り彼は急いでくれたようだ。カメラの設定をして二枚撮るまでに一分もかけなかった。それでも私には辛い一分だった。
ゴウを頭から下ろして、首を色々な方向に傾けたり回したりしながら、
「もっと早くできなかったの。首、超痛いんだけど」と言った。
「ごめんなさい。かなり急いだんですけどね」
「そうなんだろうけど」
「肩揉みましょうか」
「うん」
揉んでもらえたら気持ちいいだろうと私は思った。しかし見ず知らずの男に体を触らすのは恋人を事故で亡くした身にしては軽率なのではないのかしらとはっとして首を横に振る。
「やっぱいいよ」
「そうですか」
彼はカメラを見ているゴウを撮影して、撮れた写真をゴウに見せてやる。そしてまたゴウを撮る。
ポーズ取って、と彼が言うとゴウは両手を挙げてにっこり笑った。
そのままそのまま、と彼に言われてゴウは笑顔を保つ。
「オッケー」
そう言われるなりゴウは彼に、と言うよりもカメラに向かって走り出す。
そういえばゴウは写真を撮ってもらったことがあまりなかった。私もほとんどゴウを撮っていないし、翔矢もそうだった。撮ってもスマホだ。ちゃんとしたカメラで撮影されたことはもしかしたら初めてのことかもしれない。
「テンション上がってるねえ」と私はゴウに言った。
「そうみたいですね」と男子は言った。
「そういえばさあ、君何年生? 同じだったらタメ口でいいでしょ」
私は敬語とか丁寧語とか、そういったもので話されるのに慣れていなかった。だから同い年の人間が敬語に使われるのは嫌なのだ。
「二年生です」と彼は言った。私は三年生だ。
「じゃあそのまま敬語な」と私は命じた。
タメ口でもよかったのだが、先輩らしく命令してみたかったというだけで私は彼に敬語で話すよう強制したのだった。
「かしこまりました」
そう答えながら彼はカメラをゴウから遠ざける。ゴウがカメラを欲しがっているのだ。それで写真を撮ってみたいのだろう。
彼は、駄目だよ、とゴウに言う。
「面白いチャオですね。カメラ欲しがったり、人の頭に乗ったり」
「いつも乗るわけじゃない。と言うか、初めて」
私はゴウを抱き上げてカメラから離す。
「ごめんね」と頭を撫でてやると、ゴウは伸ばした手を下ろした。
「それにしてもどうして頭に乗ったんだろうね」
ゴウにも尋ねるように聞くと、男子は首を傾げたが、ゴウは右手を上げてどこかを指した。
指した方を見ると木がある。
「木?」
「行ってみましょうか」
そう男子が言うので私は立ち上がった。
ゴウが指した木に行ってみると木の実が一つ落ちていた。さっき見た時にはなかった、落ちたばかりの木の実であった。
それを見つけたのだと言う代わりにゴウはしつこくその木の実を指し示す。
「これ?」
まさかこれを見つけるために頭の上に乗ったわけじゃないでしょうという意味で私は木の実を指して聞いた。しかしゴウは頷く。
ガーデンに落ちている木の実は早い者勝ちだ。
ゴウを下ろして、食べさせてやる。
「凄いですね」と男子は言った。
「見つかるわけないと思うんだけどな」
私はさっきのようにあぐらをかいた。
座った私の頭の上に立っても、低くて落ちた木の実を発見できるようには思えなかった。
「たとえば、落ちたことを確認してた、というのはどうでしょう」
「そんなまさか。落ちたところ見たとしても偶然でしょ」
私はチャオが犬や猫のように人間以上の感覚で何かを察知することなんてないと思っている。むしろ人間より鈍感っぽく見える。
しかしながらゴウが木の実を発見したことで餌代が浮いたことは嬉しい。
犬や猫をキャプチャさせればもっと落ちた木の実に対して鋭敏になってくれるだろうか。
そんなことを口に出したら白い目で見られるのだが、私は言ってみたくなった。
「犬や猫みたいなチャオならともかく、だけど」と私はほのめかした。
「チャオって鼻はあるんでしょうか」と彼は言った。彼はカメラを構えない。木の実を食べているところを撮る気はないようだ。
「臭いを嗅げるんだから、あるようなもんでしょう」
「あ、そっか。そうですね」
キャプチャさせる話にならなくてがっかりしながら、私は彼のことを人の良さそうな奴だと捉え始めていた。写真を撮らせてほしいと言ってきた時など、無邪気な感じがあった。
「君はチャオを飼ってないの?」と私は聞いた。
飼いたくても何らかの事情で飼えないのだと彼が答えるだろうと私にはわかっていた。
彼は思った通りのことを言った。チャオは大好きなのだけれど、住んでいるマンションがペットを飼うことを一切禁止しているのだと彼は言った。
チャオを保護することが決められてからはチャオなら飼ってもよいとするマンションが増えたものの、まだそのような所もいくらか残っているのだった。
「高校卒業したら、チャオが飼える所で一人暮らしするつもりです。まあ、できればチャオガーデンに住みたいんですけど」
「最近はチャオガーデンみたいになってるマンションとかアパートとかあるって聞くよ」
テレビで見たアパートでは、部屋の一室が小さなチャオガーデンになっていた。浴室のようにタイル張りになっていて換気扇があり、浴槽のような池が埋め込まれている。そこに人工芝のマットを敷いて湿気に強い植物と遊具を置いてチャオにとって快適な空間に仕立てているというものだった。
「いえ、こういうチャオガーデンに住みたいんです。一人じゃ飼える数に限度があるでしょう? だからチャオが集まってくる所に住んだ方がたくさんとチャオと触れ合えるわけじゃないですか」
「それに写真も撮れる」
その通りです、と彼は頷いた。そして彼は将来チャオ専門の写真家になるつもりなのだと語った。
私はゴウが飛びたがっていたので、持ち上げて真上に放ってやった。
ゴウはハシリタイプにさえ進化しないと思う。飛ぶし登るし泳ぐ。カオスドライブだって与えていない。
翔矢はソニックチャオにさせたくて、それ用のカオスドライブをキャプチャさせていたそうだ。
チャオ専門の写真家になるつもりならわかるだろうかと思って私は彼に聞いてみた。
「ゴウはハシリチャオになる? それとも別のタイプになる?」
「ならないと思いますよ」
ゴウが降りてくるのを待つこともなく彼は答えた。
「ヒーローハシリタイプは一本だけなんですよ」と彼は角を生やすように頭の上で人差し指を立てた。
「見た感じ、ヒーローノーマルじゃないですかね」
「へえ」
「ハシリタイプがよかったんですか?」
それならカオスドライブを、と彼は闇の取引所の店員のごとく続けて言ってきそうだった。
私は首を振り、違うよ、と言った。
「転生する前はソニックチャオだったんだよ」
「え、転生してるんですか」と彼は驚いた。私は、うん、と頷いた。
「凄いな。それだけ愛されたわけだ」
両腕を広げ、降りてきたゴウを受け止めようとしながら彼は言った。
ゴウは彼の期待に応えて、彼の胸元に抱き付いた。撫でられて、頭上の球体の形をハートに変える。
「私じゃないけどね」
「え?」
「転生するほどそいつを可愛がってたのは別の人。私は代わりに連れてきてるだけ」
「でもあなたが優しくした分もあるんじゃないんですかね」
社交辞令みたいなものだと私は思った。私はゴウに優しくした覚えはない。むしろ旅行にも付いてくるゴウを邪魔に思ったことならはっきり覚えている。付いてきたと言うか、翔矢が連れてきたのだったけれども。
その後彼は以前から写真を撮らせてもらっているというチャオと飼い主を見つけて、そちらに行ってしまったので私は家に帰った。母も帰ってきていた。
「ただいま」と私は言った。
「おかえり。チャオガーデン?」
「そう」
私はゴウをソファに座らせてやり、テレビを付けた。地方局のワイドショーの天気予報のコーナーだった。明日は県内全域晴れで、降水確率はゼロパーセント。
私はリビングのクローゼットの扉を開けた。その中に父が以前使っていたデジタルカメラがあるはずなのだ。新しいデジタルカメラを買って不要となったそのカメラがクローゼットにしまわれたところを私は見ていた。
クローゼットの手前側には五十センチ立方のコンテナが二つ置いてある。その二つのコンテナの中にはガムテープや紐だとか、乾電池のような度々必要になる物が入っている。
そのコンテナの左右も日用品のスペースで、ティッシュペーパーにトイレットペーパー、床掃除のワイパーなどが置かれている。そしてそれらの奥のスペースに、使わないけれども一応保管している物が収まっている。
真正面には、私の胸の高さくらいの所に、昔流行ったゲームのキャラクターのシールがいくつも貼られている段ボール箱がある。
この箱の中身は私が昔遊んだ玩具類だ。
何が入っているのか全てを思い出すことは難しいけれども、一番夢中になったアニメのグッズがたくさん入っていることはわかっている。
中でもカード集めに夢中になっていた。親にたくさん買わせた甲斐あって、レアカード二種類以外は揃っている。
カードは缶詰に入れてその段ボール箱の中にしまわれているのだ。
どうしても欲しかった好きなキャラクターが集合しているレアカードが缶詰の一番上にあることと、手に入らなかった二種類のカードのことは今も覚えている。
玩具の入った段ボール箱から視線を逸らすとアルバムが見つかった。
私の小さい頃の写真を収めたアルバムに違いないが、どんな写真が入っているか全くわからなくて恐ろしい。赤ちゃんの頃の私が不細工だったらとても嫌だ。
積み上げられた段ボール箱の中を探さなくてはならないのだろうか。
そうする覚悟が決まらないまま目を左右に動かしていたら、デジタルカメラのパッケージの小さな箱が見つかった。その箱を出して中を見てみると、そこにちゃんと箱の絵と同じカメラが入っていた。薄くて軽いから、ゴウでも扱えるだろう。
ほとんど同じ大きさなのに性能が全然違くて色々な機能が付いている、と新しいカメラを買った時に父はとても喜んでいたから、このカメラでできることは少ないに違いない。それでもゴウが使うのだから十分だ。
カメラの底面の右側にある蓋を開けると、充電池を入れる場所がある。SDカードを挿入する所も蓋を開けた所にある。充電池のすぐ上だ。既にカードは挿入されてあった。
試しに電源を入れるため、シャッターボタンの横の小さなボタンを長押ししてみるとレンズがせり出してきた。撮影モードになっていた。液晶画面のすぐ近くにあるスライド式のつまみを左に動かして、画像を確認するモードに切り替える。どんな写真を撮ったのだろうと思ったのだが、何の写真も保存されていなかった。
「あれ?」
「どうしたの」とキッチンにいる母が声をかけてきた。
「前にお父さんが使ってたカメラ、SDカード入ったままだったんだけど、一枚も写真保存されてないの」
そう答えると、ふうん、と母は言った。
言ったのはそれだけで、何も意見を言ってはこなかった。
私は、父がわざわざSDカードの中のデータを全て消去するような人間だろうか、と考えていた。
あり得そうではあるが、そんなことはしないだろうという気もする。
母なら父がデータを消すか消さないか理解していそうだから、何か言ってくれるのを期待したのだが、ここで醤油とみりんを入れます、と料理の手順を呟いているのが聞こえて諦めた。
「このカメラでよかったら使う?」
私はゴウにデジタルカメラを差し出した。ゴウがにこりと笑って手を伸ばしたので、私はカメラを持たせてやった。
理解できるかわからないけれど、私は電源の入れ方など操作方法を教えてみた。
するとゴウは電源の入れ方と、スライド式のつまみを右に動かせば撮影モードになることを把握したようだった。
ゴウはテレビにカメラを向けて三枚撮影すると、私にカメラを差し出した。
私はつまみを動かして、ゴウが撮った三枚の写真を見た。どれもテレビの画面は綺麗には撮れていない。黒い部分と白っぽくなっている部分がほとんどであった。それにチャオには指がないせいで、両手でカメラを固定してボタンを押すということのできないために、写真はぶれていた。
「テレビを撮るのはあまり上手くいかないみたいね」と私は言ってカメラを返した。
ゴウはつまみを動かして撮影モードに戻すと、カメラを私に向けた。
私はいつもカメラを向けられたらするように、ピースして歯を見せないように笑う。
撮った写真をゴウは見せてくる。
「ぶれてんじゃん」と私は笑い、楽しそうな振りをした。
しかし私はゴウの撮った写真を面白いとは少しも思っていなかった。
写真を撮らせてあげたのだからもう十分だろう、と私は思った。
「それじゃあ撮影頑張ってくださいね」
そう言って敬礼してみせ、私はゴウを置いて自分の部屋へ行った。
私はずっと机の引き出しにしまっていたmicroSDカードを出そうと思った。
カードケースに入れてあるそれは翔矢がスマホに挿していた物だ。
私は恋人だったという理由で色々な物を遺品としてもらっていた。
彼の家族が暮らしていた家に遺品をもらいに行った時、私は彼のことを思い出せるような物をことごとく持って帰るつもりでいた。
好きなだけ持っていっていいと言われたから、心を悲しみの液体の中に沈めてひたすらに染み込ませているような状態だった私は、本当に好きなだけ持ち帰るつもりでキャリーケースとリュックサックと紙袋を持って彼の家に行ったのだった。
そうして持って帰った物に触れて彼のことを思い出すことは全くと言っていいくらいになかった。彼の家に泊まった時に読んだ漫画をもう一度読み返して泣いたくらいだ。彼の描いた落書きの絵のある教科書は持ち帰ってから一度も開いていない。
私は自分のスマホにカードを入れて、翔矢の撮った私の写真を探す。
翔矢はフォルダを作って撮った写真を丁寧に分別していた。美結待ち受けというフォルダがある。待ち受け画面のために私の最高の写真を撮りたいと翔矢は言って、私たちはモデルとカメラマンの真似事をしたことがあった。
ただ私が被写体になってスマートフォンのカメラに向けてポーズを取っていただけで大したことはしていないのだけれど、それでも今まで撮られたどんな写真よりも私は可愛く写っていた。
旅行に行った時の写真もあった。フォルダ名には日付が書いてあるだけだったが、それだけで旅行の写真だと私はわかった。
夏休みに私たちは海水浴へ行った。二泊三日の旅行で、ゴウも付いてきた。
写真のほとんどが海で撮ったものではなくホテルで撮ったものだった。
旅行に行ったのは待ち受け画面の写真遊びの後だったから、ホテルで撮った写真でも私はポーズを取っている。
水着姿で窓際に立ち、膨らませたビーチボールを抱えて微笑んでいる私の写真があった。
私は幸せだった。干からびる前の私の体を愛する男に撮られていることが幸せだった。
私は二十歳を過ぎたらもう老化していくだけなんだと今でも信じている。
だから綺麗なところを撮られたい。撮ってもらえて私は幸せそうに微笑んでいるように見える。
しかし鏡を見ながら笑ってみる時だって同じような笑顔だということも私にはわかってしまった。
幸せであることと私の笑顔には何の関係もないようだった。
そのように思った瞬間にこの写真の中から私と幸せは切り離された。そこに写っているのは幸せな私ではなく幸せと私になってしまったのだった。どの写真を探してもそこに写っている私は幸せとは別物だろう。
そのことを否定する気も確かめる気もなく、私はただ始めたことの終わりを求め、保存されている写真を全て見ようとした。
しかし翔矢の入っていた大学のサークルでの旅行の写真を見終わると、私は飽きてしまった。
翔矢も入れて十数人で行ったということは聞いていた。確かにそのフォルダの写真にはたくさんの人が登場していた。そこにもソニックチャオがいる。
ゴウはサークルの人々に可愛がられていて、いつも誰かに抱っこされて写っていた。
なるほど転生するわけだと私は思った。この人たちに可愛がられた分もあるのだ。
はたして私がチャオだったら私は転生するのだろうか、と私はふと考えた。
しかし考えたところでどうしようもないことだ。翔矢は転生しなかった。ゴウばかりが愛されているのかもしれない。それはゴウがチャオだからだ。
それにチャオなんて頭は人より悪いし、写真だって綺麗には撮れないのだ。事故に遭っても転生して助かるかもしれないとしたって、一度の寿命が約六年では頼りない。なんと言っても、もう翔矢は死んでしまったのだ。だからゴウ、お前はもう五年と数ヶ月しか生きられないかもしれない。
私はベッドに横になり、母に呼ばれるまで眠った。
起きると父が帰ってきていて、夕飯には酢豚が用意されていた。ゴウのガラスコップにはぶどうジュースが注がれてある。
「いただきます」
私は椅子に座るなり手を合わせてそう言った。遅れて父と母もいただきますと言い、ゴウはそれまでジュースを飲まずに待っていた。
ゴウはストローを使って少しずつジュースを飲んだ。ゴウが飲み終わるより早く父は食べ終わる。
ゴウはさっきガーデンでは木の実を勢いよく食べていたのに、今は目を瞑って味わっている。
私も母も父やゴウのペースには合わせず、自分のペースで食べている。母は私より少し早く食べ終わるだろう。
「そのカメラ、使うのか」
父は私にそう聞いてきた。
「ゴウがね」と私は答えた。
「そうなのか」
父はゴウに聞いた。
ゴウは目を瞑ったまま反応しないので、今度は私の方を向いて父は再び聞いた。
「そうなのか?」
「ガーデンで写真撮られて。それで興味持っちゃったみたい」
「へえ」
「そういえばさ、カメラにSD入ってたけど、なんにも保存されてなかったんだけど、どうして?」と私は聞いた。
「ああ、元々カメラにそのカードが入ってたんだよ。でも使ってる時は別のカード挿れてたけど、そのカメラ使わなくなったから元々入ってたやつを戻しといた」
「ふうん」
確かにそれはデータを全部消すことよりもずっと父のやりそうなことだ。
「それで、ゴウはどんな写真を撮ったんだ?」
「後で見てみたらいいよ。酷いから」
「それは面白そうだな」
「つまらないよ」
最後に食べ終わった私が最初に風呂に入る。父は食器をキッチンに運んで洗う。母はゴウとテレビを見ている。
風呂から上がると私はスマートフォンのアプリを立ち上げて、クラスの友達と話をしながら楽譜を書く。
曲を作っているわけではなくて、いい加減に書きたいように音符を書き入れていくだけの遊びだ。落書きと言っていい。私の場合絵を描くのではなくて、音符をたくさん書くのだ。そして五線譜ノートに音符を書いていくと、自分がとてつもない音楽を創作しているような気分になって楽しい。
だけど私には音楽の才能はない。
一度鍵盤ハーモニカで書いた楽譜を弾いてみようとしたことがあったが、あまりにもでたらめで弾くことは難しかったし、弾けた数小節のメロディーはどこも素晴らしくなかった。
どこかで聞いたことのあるような、あるいは好きな曲をちょっといじっただけの曲を鼻歌で歌いながら、見た目だけは綺麗な楽譜を私は作った。
会話している四人の友達の中で一番好きな怜央ちゃんが宿題の話をし始めて、私も今から宿題やる、と急いで送信する。そして通学鞄から宿題に出された英語のプリントを出して、本当に宿題をやり始める。
他の三人も宿題をやる気になったらしくて、会話は止まる。
解くのが面倒くさい問題は怜央ちゃんに教えてもらえばいい。
そして私はプリントの問題を全て解き終えても終わったと報告せずに、しばらく楽譜作りに専念した。